東日本大震災の中で、全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明という、教育現場として最大の悲劇が起こってしまった大川小学校へやってきました。
今回の石巻訪問の目的は、この地を訪れることでした。
というのは、今月から中学校の教員として社会人になる息子が、教員の仕事を始める前に、ぜひ見ておきたい場所として、ここを選んだからでした。
周りは何ひとつない荒地。
工事のダンプカーがひっきりなしに走り回る場所に、
変わり果てた小学校の建物はありました。
この写真は、慰霊碑の前に飾られていた、被災前の集落の写真です。
風光明媚な川沿いの集落の様子がよくわかります。
この写真は、学校の建物の左脇から現在の様子を写したもの。
集落は何一つ残っていません。
砂埃舞う更地が続くばかりです。
校舎の中は津波で全て流され、がらんどうの建物のみが痛々しく残っているばかり。
校庭には、家庭科で使っていたのであろう、ミシン用の糸が、半ば土に埋もれていました。
薙ぎ倒されてしまった渡り廊下、
津波の力のものすごさを改めて感じます。
一本の木が植えられていました。
「大川小を愛するすべての人達へ」
校庭から眺めた裏山です。
ここを登れば、助かったという報道もありましたが、急峻な斜面は、トレイルランナーを自認する自分でもかなり手強そうで、ましてや、震災当時は積雪もあり、小学校低学年の子どもたちは登れたのでしょうか。
校庭から7メートル高い、新北上大橋です。
児童や教師が流された場所にも慰霊碑が立っていました。
ユーチューブで検索すると、この橋の袂を濁流が洗う映像がありましたが、激しい流れに巻き込まれたら、とても助からないでしょう。
校舎前の慰霊碑に手を合わせる子どもたち。
息子には、この地で感じたことを長く記憶にとどめて、教員生活を始めてほしいというのが、親としての偽らざる気持ちです。
合掌。