散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

ガチコロ!デリカスタジオ横浜

2011年07月17日 | ☆ガチうま商店街

「ガチでうまい横浜の商店街コロッケNO.1決定戦=ガチコロ」
その3軒目。
ケーヨーD2にお買い物ということで、エントリーNO.31の「デリカスタジオ横浜」へ。
場所は、日向山。
といっても、わかる人は実に限られている。

昭和51年に相模鉄道グループが手がけた区画整理事業により誕生した新興住宅地の販売名称が「日向山」だ。
当時、瀬谷区の宮沢町(現在、南瀬谷二丁目)と戸塚区の和泉町、上飯田町の3町にまたがって開発された。
名称は、開発区域内の上飯田町にあった「日向山」という字名から付けられた。
環状4号線と鴨居上飯田線の都市計画道路が町の中心部で交差し、併せて神奈川中央交通のバスターミナルが隣接地にでき、相鉄いずみ線が延伸して交通の便がすこぶるよろしくなるといった計画が見込まれたために、販売も好調で人口が急増し、昭和55年には、計画を前倒しして、日向山小学校が開校した。
しかし、小学校以外の計画は遅々として進まない。
昭和61年、人口増加著しい戸塚区を分区し、栄区と泉区が誕生。
人口をバランスよく振り分ける必要から、日向山の宮沢町部分を取り込んで、開発地区全体を泉区に編入する予定だったが、瀬谷区も人口が頭打ちになっていたことで調整が頓挫し、結果、区境界線を道路に沿わせるのがやっとだったらしい。
現在に至るも、時計に例えると、日向山のうち、12時~3時の部分が瀬谷区、残りが泉区となっている。
月日の経過は皮肉なもので、環状4号線も相鉄いずみ野線も延伸、バスターミナルも移設されたものの開発住宅地の宿命=年が経てば高年齢化していくことには勝てず、日向山小学校は閉校となり、下瀬谷小学校に統合されて、瀬谷さくら小学校となった。

そんな日向山での商売は、難しいと思う。
環状4号線に面しているものの、やはり見落としてしまいそうなほど、数店舗足らずの店のつながりに埋もれていて、目立たない。
それでも「デリカスタジオ横浜」というネーミングは、いつかビッグになってやる、という現れだろう。

ガチコロ探訪のために配布されている小冊子の案内見出しには
「あっさりじゃがいもと自家製ハムとチーズ、絶妙な美味さの融合が楽しめる逸品」と書かれている。
数種類コロッケのバリエーションがあるが、ハム&チーズコロッケ80円(見出し写真)は、注文を受けてから揚げるようにしている。
そのため、できあがるまでの待合い用のイスと冷水が用意されている。

時間があるので、ついつい店内を見回すことになる。
すると、冷蔵ケースには、自家製のハムやソーセージが並べられており、牛すじ煮込みやもつ煮込み、自家製カレーまで冷凍で売られている。
「お待たせしました」
声に目を向けると、別に座っていたお客さんが、焼きたてのチャーシューのブロックを選ぼうとしているところだった。



ハム&チーズコロッケのほかに、手づくりコロッケ80円も買った。
ハム&チーズコロッケは、丸くて、ハムとチーズの味がはっきりしていて、工夫の逸品だ。
手づくりコロッケは、塩味もしっかり味が付いていて、じゃがいもの食感もあり、肉の風味もほんのりとする。


売上げにガチコロは貢献してますか?と尋ねてみた。
「ずいぶん遠いところから尋ねてくれたお客さんもいるし、お近くに住んでいる方でも、ガチコロの冊子で見るまで知らなかったというお客さんもいる。そこそこ売上げに貢献しているかな?ついでにといって、本業のハムやソーセージを買っていってくれるお客さんもいたりして、うちみたいなお店にすれば効果はあるわね」といっていた。

今度行ったときは、ついでに買ってみるかな?

(店内)


(外観)



日本大通りと富士山を被写体として、定点観測中です。



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