横浜は、東京港や羽田空港が整備されるまで、
海外から来る日本の玄関口だった。
それだけに、多くの地図が存在しても不思議ではないのに、
古地図を手に入れようとすると、なかなか見つからない。
さて、表面(ここをクリック)は、
発行所として、有隣堂本店、片山冨文館、雄文館が名を連ねている。
昭和4年に印刷発行、昭和6年、昭和7年に改訂を重ねたようだ。
市電の終点は、
間門、山元町、杉田、弘明寺、井土ヶ谷、保土ヶ谷、六角橋、生麦。
大さん橋は、税関桟橋と表記されている。
新港町(埠頭)からの航路は、
品川、芝浦、荻ノ浜、函館、神戸、四日市、
米国、シアトル、サンフランシスコ、
伊豆、熱海、伊東、下田、七島、小笠原島。
次に、裏面(ここをクリック)は、
江ノ島鎌倉案内図、横浜東京交通案内図、
横浜市新旧町名対照表、中区東北部詳図。
新旧町名対照は、昭和2年の第3次合併実施、区制施行に伴って、
町名が新設変更となったものを掲載している。
中でも、中区東北部詳図(ここをクリック)を見ると、
明治32年に山下町・山手町が新設されると同時に廃止された、
薩摩町、加賀町、蝦夷町、小田原町などの表記が残っている。
呼称として、根強く使われていたのかもしれない。
横浜中華街のメインストリートの呼称は、
現在、中華街大通りだが、当時は、前橋町だったということがわかる。
「法医学教室の午後」で知られる横浜市大医学部の、
解体されてしまった建物は三吉小学校とあり、
今の市大浦舟病院は十全病院とある。
伊勢佐木警察署の場所には、今、ワシントンホテルが建っている。
それにしても、横浜の中心部は、埋立でできた町だけに、
新設された町が多く、寿、羽衣、千歳、黄金など洒落ている。
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