散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

60代のことばたち「サイモンの秘訣」

2022年03月01日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

柴門 ふみ 著/講談社・65ページ目
私の場合、漫画のストーリーを考えることは、最近では殆んどなくなった。
絵が脳に走るのである。
意識で構成しなくても、確かに私のキャラクターがポーズをとり、構図をきめて、私の額あたりに投影されるのだ。そして。そのキャラクターたちが勝手にストーリーを持って動き始める。私は展開を考えることなく、ただ、自動的に手を動かし、それを紙に描き始める。いわゆる自動書記、という奴だ。これだと2時間で連載1本分の(つまり20頁くらい)絵コンテが仕上がってしまう。

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本の解説(文:秋元 康)には、
彼女に対する恋慕、それは、母親に対する親孝行のようなものなのである。と言っても、今さら、僕が言うまでもなく、才能のある母親である。世の中が何を求め、人は何に笑い、何に怒り、何に泣きたいのかが手に取るように、”柴門ふみ”にはわかっているのだ。その上、秋元康のように、あざとくはない。何しろ、”柴門ふみ”は母親なのだ。
と記述されています。
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ある時、目からウロコが落ちるように、漫画が描けるようになったのは、前頭葉のあたりにイメージが浮かぶようになったからだと、柴門ふみさんが語っています。これは棋士も同じで、最近では藤井聡太さんが、また伝説的なエピソードを持つ羽生善治さんも、何手先を読むとか読まないとかではなく、盤上の駒がどこへ動かせというのでそれに従って打つだけ、というようなことをいっています。
柴門ふみさんは、自分がそうである以上、心霊家のいう「見える」ことが理解できるといっています。かくいうメタ坊も見えないが聞こえるときがあります。とはいっても、ふだん意識できている訳ではなくて、見える友達と旅に出たとき、友達が「見える」と指差した方向から、それを裏付けるような音や声が聞こえるのです。
こんな話をすると切りがありませんし、思い出すと身震いしてくるのでこのへんで・・・では、次回のときに。

>>>「100ページ目のことばたち」由来


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