散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

1999年の横浜あちらこちら その1

2021年10月26日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

1999年のデジカメ写真の整理もぼちぼち。
この情景は今と違うなぁ!と思った写真を並べてみます。
まずは、相鉄鶴ヶ峰駅(見出し写真)の南側にまだビルが建てられておらず、鶴盛楼の赤い看板が見えます。
駅前の通りには、ぬかみそ漬けで評判の乾物屋がありました。

このころ、帷子(かたびら)川の改修が進められているところで、水道道にかかる鎧(よろい)橋から下流は暗渠化されて親水緑道になっていましたが、上流部はまだ整備されていませんでした。

横浜橋の商店街は、この当時と比べると今の方が賑やかな気がします。

真金町にあった銭湯・平和湯。

この当時、日本橋と呼ばれた辺りには料亭や芸妓置き屋がまだいくつも残っていた気がします。

旧・三吉国民小学校の建物には、横浜市立大学医学部があり、あの有名な「法医学教室の午後」の舞台でした。
今は、南区役所が建っているので、夜な夜な何か現れていないか、聞いてみたいですね。
金沢シーサイドラインは、このころ無人運転に移行していましたが、悪天候時には有人で運行していました。

そして、金八商店。
金八先生には関係なく、金沢八景駅前にありました。


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