土曜日の夜に、とあるコトが起こりましてねぇ…。
それは、結構、衝撃的というか。起こって然るべきだったというか。まぁ、そんなことだったのだけれども。私は中々受け止めきれないものがあって、しかも、それを受け止めることはしないほうが良いのじゃないか?トカ。
と、考える自分がなんだかとっても冷たい人間に思えたりもして…。
ふぅぅぅぅぅ~…。とばかりに昨日の朝、友人に電話で話してみたらば、お昼食べよぉ~なんて言ってくれたもんで。綺麗に吐き出せました(笑)。
否定をしないってコトは、これほどまでに自尊心を高めてくれる行為なんだなぁ~とつくづく実感し、そうやって聞いてくれる友人や、解らない部分を解ろうとしてくれる姿ってのは勇気付けられますよねぇ。
夕方、日頃からお世話になってる方のトコに電話し、自分のスタンスというか動きをね、相談というよりもこりゃぁカウンセリングだなぁ~ってくらいにさ、聞いて頂き。あ、やっぱ、これは自分自身の問題として抱え込まなくて良いんだと改めて実感しつつ。
その時々の想いや、心の痛みは他人に押し付けられるもんじゃぁないしね、その部分の傷みを自分で癒す術を知らずに他人の同情やら、依存にすり替えていたらば、きっとそのツケはいつか自分に還ってくるんだと思います。
変わるってのはとっても難しいことだしね、その前提として気づくってことが必要なんだと思うんだけど。その気づきの段階でさ、過去の自分を否定するんじゃなくこれからの自分や周りの幸せを考えたのならば、自分が作りあげてきた負の連鎖から抜けさせるのじゃないかと思うのね。逆に、その負の連鎖に人を巻き込もうとする人は、全てを他人に責任転嫁して自分って人間の生き様すら他人のせいにしているあたり。命に責任持てと距離を置いてしまう自分がいます。
人って支えあって生きていくからこそ、その支えてもらった部分から上は自分の領域であって、どんな様でも、それが生き様なんじゃないかしらねぇ…。
否定もしないし肯定もしないって、ある意味、他人事に感じることもあるけれども。実際、人間って独りで産まれて独りで死んでいく生き物だから、自分事の部分は他人に押し付けちゃぁいかんよねぇ。
それは、結構、衝撃的というか。起こって然るべきだったというか。まぁ、そんなことだったのだけれども。私は中々受け止めきれないものがあって、しかも、それを受け止めることはしないほうが良いのじゃないか?トカ。
と、考える自分がなんだかとっても冷たい人間に思えたりもして…。
ふぅぅぅぅぅ~…。とばかりに昨日の朝、友人に電話で話してみたらば、お昼食べよぉ~なんて言ってくれたもんで。綺麗に吐き出せました(笑)。
否定をしないってコトは、これほどまでに自尊心を高めてくれる行為なんだなぁ~とつくづく実感し、そうやって聞いてくれる友人や、解らない部分を解ろうとしてくれる姿ってのは勇気付けられますよねぇ。
夕方、日頃からお世話になってる方のトコに電話し、自分のスタンスというか動きをね、相談というよりもこりゃぁカウンセリングだなぁ~ってくらいにさ、聞いて頂き。あ、やっぱ、これは自分自身の問題として抱え込まなくて良いんだと改めて実感しつつ。
その時々の想いや、心の痛みは他人に押し付けられるもんじゃぁないしね、その部分の傷みを自分で癒す術を知らずに他人の同情やら、依存にすり替えていたらば、きっとそのツケはいつか自分に還ってくるんだと思います。
変わるってのはとっても難しいことだしね、その前提として気づくってことが必要なんだと思うんだけど。その気づきの段階でさ、過去の自分を否定するんじゃなくこれからの自分や周りの幸せを考えたのならば、自分が作りあげてきた負の連鎖から抜けさせるのじゃないかと思うのね。逆に、その負の連鎖に人を巻き込もうとする人は、全てを他人に責任転嫁して自分って人間の生き様すら他人のせいにしているあたり。命に責任持てと距離を置いてしまう自分がいます。
人って支えあって生きていくからこそ、その支えてもらった部分から上は自分の領域であって、どんな様でも、それが生き様なんじゃないかしらねぇ…。
否定もしないし肯定もしないって、ある意味、他人事に感じることもあるけれども。実際、人間って独りで産まれて独りで死んでいく生き物だから、自分事の部分は他人に押し付けちゃぁいかんよねぇ。