《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

また良書にであってしまった

2010年06月12日 19時50分01秒 | Weblog
ここのところ更新がままならないのは
矢田挿雲師匠の「新版 江戸から東京へ」の(一)~(九)がそろいで手に入って、
それを遅々と読み進めているからである。

おもしろい。

挿雲師匠が時折繰り出す
「ひょっとしてここは笑うところか????」的なとぼけた書きぶりが、わたしには

たまらない!

しかし「(四)本所(上)」まで読了して、さすがに別種の活字に触れたくなってきた。
したがって「江戸から……」は小休止。



最近鉄道に関する情報が枯渇してきたので、
なにかコラーゲン的役割を果たしてくれそうな書籍はないかとアマゾンでつらつらと
検索、検索、森田健作。



で、こんなん見つけちゃいました。

『五反田駅はなぜあんなに高いところにあるのか』

タイトルは面白い。抜群のセンスである。
しかし、小職は個人的に「鉄道の謎」系本には、なぜかどことなく抵抗があって、
あまり読む気がしない質なのであります。

でもこのタイトル・センスなら欺されてもいいや、と購入。



いい読み物でした。食わず嫌いをしなくてよかった。
食わず嫌いをしていたら生涯の大損になるところでした。

どちらかといえば鉄道における栄光の歴史よりも、影の歴史について語りつつ、
ここまで読ませてしまうのだから、長谷川裕氏の鉄道愛は見上げたもんである。

見上げたもんだよ、屋根屋のしょんべん!

私負けましたわ。(回文)


「鉄道の歴史は人間の歴史だから、失敗と挫折の山積みで、不合理、不条理、非能率的なことが多い」

ウンウン。

「しかし、そこには先人の知恵、理想、努力とその成果も詰まっていて、…経済性…利便性…の歴史でもある。」

ウンウンウン。

まさに(菅首相の『まさに』って口癖、無駄なひと言であることが多いと思いません?)影の歴史を取り上げた「第三章 電車が燃えないようになるまで」がいちばん引きこまれました。
いかに「聡明と愚劣」の衝突が人間の歴史とはいえ、
払われた尊い犠牲に思いをいたし、ちょっと目頭が熱くなる一瞬さえありました。


「どの私鉄も好きだ。それぞれ独自の個性的カラーがありながら、どの私鉄にも共通する美点があるからだ。それはどの鉄道で働いている人たちも、自分の仕事を愛しており、誇りを持っているということだ。

 鉄道会社というものは地域社会の繁栄に担保されている。地域社会が衰退してしまえば、乗客は減る。不動産開発も頓挫する。結局、鉄道会社も滅びる。

 さっさと転身なんてことはできない。線路、駅舎、車庫などのインフラはその土地に密着しているから、資産を売り払って夜逃げなんてまねはできないのだ。地域社会に尽くして、地域社会が繁栄しなければ、自分も繁栄できないのである。乗客と地域のために誠実にやるしかない。

 さまざまな企業が生まれ、消えていく中で、鉄道会社の寿命は長い。企業の寿命は人間の寿命よりも短いなどといわれるが、すでに一世紀を超える社歴を誇る鉄道会社がいくつもある。

 鉄道会社は古い事業形態でありながら、、そこには、企業という社会的存在がこれからの時代を生きていくうえで、大事なものが保たれている。」


国鉄民営化以降、いくつの第三セクターが消えただろう?
なんて思うと、鉄道会社を持ち上げ過ぎな「あとがき」だなあと思うが、
本書をご一読あれ。
本書を読んだあとなら、素直に肯いてしまうことであろう。
いいじゃない、どうせ書名に欺されたつもりで購入したんだし。

なんで自分は鉄道が好きなんかいな?という疑問を自分のことながら抱き続けて生きてきましたが、
なんとなく自分の気持ちが分かりました。


ときに、良書にであうと、どうしても奥菜恵さんと革命的奥菜主義者同盟と奥菜主義革命のことを考えさせられる。
奥菜主義革命が実現しなければ、自分も繁栄できないのである。奥菜恵さんと革命のために誠実にやるしかないのである。



(本日の画像:奥菜恵さんと京浜急行電車)