今日はポスター貼りのお手伝い。
と言ってもどんな感じで行っているかを市議さんについて見てきました。何
とノルマが凄まじい。1市議につき400枚のポスターがノルマらしい。
それを一人でしているという。一日5枚でも10日で50枚貼れると凄い前向き
だ。地道な作業が維新の会の存在感を作り上げていくのだと実感。
でも単純に貼るだけではない。地域性があるんです。維新の会はベンチャー
政党。地盤がない。歴史的な地盤があるところにポスター貼りをお願いすることになる。
僕の地域なんかはその特徴が強い。例えば維新の会ポスターを軒先に貼って
るだけで、「あの家、維新の会支持らしいで」と噂されます。
場合によっては村八分もあると。商売やってるとこはそれが顕著なんだと
か。確かにそうだ。どこの政党を応援してるかで、もうあんたのとこはいかない。
なんて事がある。だから無理に貼れないのです。その家や店に迷惑がかかる
から。さらに家族間で揉める事も。奥さんがOKでも、旦那がダメってケースも。
だから無理強いは禁物なんです。無理強いはまた次の選挙にも影響します。
人ってひつこいの嫌になりますよね。ダメって言われたらキッパリ諦め次へ。
話を聞いてくれてありがとうって言って。いつかわかってくれる。そんな気
持ちで細く長くが大事なんだ。まさにローマは一日にして成らず。
地道な積み重ね。ベンチャーはベンチャーらしく、知ってもらうところか
ら。これは政策内容も同じ。ああだ!こうだ!は萎縮をうむ。
特に感心が薄い人にはね。今日は大変勉強になりました。政治を身近にこれ
が最も重要な事だと。これは理解者にも出来ることがある。
何となく結びつけること。話題は常にテレビで溢れてる。偉そうな一言は何
もいらない。正論は政治家が伝えてくれる。きっかけが重要なんです。
理想を語ったら前へ一歩踏み出してみませんか?言うだけでは何も変わりま
せん。出ることで自分や周りは変わってゆくのです。
おしまい
理想は大きく、目標は刻む。
僕は理想っていうのは何かをする時の大きな原動力だと思うのです。しか
し、掲げるだけでは何もならない。小目標が必要です。
小目標の積み重ねが理想という大目標に繋がると思います。というよりスポ
ーツの世界や勉強の世界でもあたり前の事です。
なので理想を言ってるだけの間は何もないただの願望になります。そういう
意味ではまず、第一歩目の小目標を目指す必要があります。
日本国を良い国になるように変えるという理想も同じだ。大きく道筋立てる
のは政治家の仕事だ。そこはどうあっても個人のレベルではどうにもならない。
しかし、何かの党を支持する人というのはそれなりの自論を持ってる。これ
は大事な戦力だ。僕もその一人になる。では個人レベルは何ができるか。
関心があるんだから、政治の議論されてる部分を知っている。問題と良い点
を自分の視点で見ている。それを示すことで貢献できるのではないでしょうか。
何も自分の支持政党に入れろという事ではなく、何が起こってるか、そのト
レンドを示すことが重要かと思います。それが意識や機運をうむから。
こういう事を言うと、何や!その程度か?とか、しょうもないという人がい
ると思う。でも他に何ができるといえば何も言えないと思う。
他人に選挙へ強制的に向かわせることはできない。できるのは意識をもって
もらうところまで。悲しいかな、選挙権は権利であり義務ではないから。
理想は大きくてもできる事というのは小さい。理想が大きく個人の理想では
ないから。だから政党と支持者連携は必ず必要になってくる。
何も気負う必要はない。政治に緊張感は出てきている。問題点と身近な事象
に対してどのような策が行われているか何となく伝えてくれれば。
生活に結びついているのがポイントだ。生活と離れてしまった事に問題が
あるのも一つ。離れたわけじゃないが、そういうイメージがついている。
とにかくムードとイメージの払拭。これは身近な人の声の方が効く。知らん
人間の声は届かない。政治家の難しい言葉も。
小さい積み重ねだが、役割は大きい。それが一番そばの声だから。私の声な
んてと思わず、さりげなく話題にして欲しい。主役は国民です。
おしまい
真剣に考えて。
最近はTwitterで政治の発言が多くなった。そのため、仕事が終わって帰った
ら、新聞を読み、囲み取材、TVの報道をメモ帳にメモる。
その上で自分の解釈をして、自分の意見を持つようにしている。でも、それ
だけではない。今起きている大阪の現状を若い人やアナログ層とりわけTVの
情報が全てになる高齢者層にどうやって政治に興味をもってもらい、選挙に
行ってみようかなという気持ちをもってもらえるか、常に考えている。
だから高齢者の話の話題にも注目するし、若い世代のトレンドや声をおさえ
るため、政治以外の話にも目や耳を傾け、出来るだけ興味の幅を増やしている。
そうしてやってると気付けば深夜になっている。時間が足りない。でも
Twitter上で主張をすれば、賛同者と反対者が必ず出てくる。
その賛同者の中でも評価を受けるし、反対派はその根拠について質問を投げ
かてくる。その時、ちゃんと答えられるように準備しておかなきゃならない。
説明できないのは無責任だし、反対派にとってはしょうもない意見になる。
反対派を無視する人も多いと思うが、反対派はこちらに足りないヒントをくれる。
だから悪質な差別、悪意のあるもの以外はスルーしない。会話の訓練にもな
る。また相手の足りない部分を見つけられる目も養える。
言いっ放しは僕は嫌だ。そうしてやってるとある種のプライドというか信念
が生まれる。人からすれば大した事はなくとも、真剣にやってるという気持ちが。
だから全否定されるのって悔しいんですよね。せめてどういう気持ちでやっ
てるか、その主張だけはさせてくれと思うんですよね。
それで分かってもらえなければそれでいい。でも主張するチャンスはほし
い。それでこそ公平だと僕は思ってる。それが特に同志なら。
若いからという理由で同じ目標をもつ人に認めもされないのは、僕にとって
は残念な話。反対派に反対されるより悲しい話だ。
なぜなら同志だからこそ、真剣に話をしているから。Twitter上でここまで真
意を伝えるのは難しいが、この概念、僕は譲る気はない。
それは僕がこれを正しいと信じているから。それが僕の理想だから。
おしまい
今日は誕生日でした。
28年間、振り返ってみました。いろんな思いがめぐります。良かったこと、
悪かったこと、どちらが多いのか。わかりません。
今日一日を考えてみても、良いことと悪いことがあった。なかなかパーフェ
クトというのは難しい。目指すだけの価値はあるものだけど。
年齢的に微妙な年頃になってきた。しっかりしていかなきゃならない年齢で
はあるけれど、中途半端な年齢。強く発信すれば目上の人は不愉快に感じる。
しかし、これまで培ってきたプライドは僕にもある。レベルはどうであれ、
そこまで真剣にやってきた。それを否定されたくないのが僕の世代。
目上だから黙って聞く。これは決して建設的な議論にならない。誤認があれ
ば、とことん真意を主張する。それが平等、公平だと僕は思う。
頭ごなしの否定から始まる目上の意見を素直に聞けるほど、僕はよく出来た
人間ではない。素直は掲げてはいるが否定は、信念に反するものであれば言
わせてもらう。
これはきっと矛盾していると思われるだろう。素直なのか、信念をとるのかと。
信念なくして物は語れず、素直なくして人を見ることはできない。僕はそう
思っている。素直に声は聞くが、信念の否定に直面すれば釈明する。
それで僕はアイデンティティを保っている。偉そうに見えたりするかもしれ
ない。でもそれは真剣に考えての事であると僕は主張しておきます。
それが生意気と取られることは寂しいが、それが僕の生き方であり、老若男
女公平を目指す社会の在り方だと考えています。
おしまい
大事な事は思いやり。
お互いの価値観が渦巻くTwitter世界。そんな中でうまく付き合っていくには
どうしたら良いのか?そもそもうまく付き合う必要はないのかもしれない。
でもね、何か目標があってそれを広めたい時って言うのはやっぱりうまく付
き合うって大事なんですよね。じゃあどうするか。
まずはちゃんと向き合うことではないでしょうか。どうしてその考えになる
か、その前提を見て話すこと。案外これをしない人が多い。
これはTwitter上でもリアルな現場でもそう。その思想は前提から導かれたも
のであるから、そこを理解してやらないと喧嘩になります。
誰だって否定はされたくないもの。みんな自分なりに一生懸命やってるか
ら。少なからず、プライドというか、譲れないものがある。
そんな時、強い当りは必ず不快感を生みます。そこで人によって感情の出し
方が変わってくる。でも共通して言えるのは何かしら嫌な感情を持つ。
それを口に出すか、出さないか。そして、どちらであったにせよ、次から言
われた相手に対して壁を作ってしまいます。
それは決してプラスになりません。場合によっては二度と聞く耳もってもら
えない可能性がある。それでは人は動かないんですよね。
何かを伝えて、共に歩んでもらいたい。そんな時は相手の気持ちを汲んで
投げかける。認める。それが僕は大事だと思います。
決してこれは理想論ではなく、現実的な話。これなくして人の心はつかめな
い。僕の経験からの話でした。
おしまい