みんな色々と大変だ。
「見えるものが全てじゃない。」ここ最近、良くこう思う。ツイッターもそ
う。楽しく振舞ってる人が、単なる陽気な人かって言ったらそうじゃない。
しんどいからこそ陽気に振舞っていたり、押しつけがましくならないように
気遣って、ふわっとツイートしている人もたくさんいる。
ツイッターの利用目的ってみんな違いますもんね。仲良く同じ方向性の人と
話をしたい人、反対意見も見てみたい人、発信したい人、啓発したい人。
嫌な思いをしたくてやってる人なんていないですよね。せめて嫌な思いをし
ても最後に利が少しでもある、そんな付き合いをしたい。僕はそう思うのだけど・・・。
とにかく嫌味や罵声を浴びせて喜ぶ人っていうのが出てきますね。論戦でき
ないから、最後は捨てゼリフを言う。偽アカウントまで作る人も。
ここまで来ると、ただの痛い人になる。百歩譲って広い目で見たら、寂し
いんだと思う。そんな態度は世の中では通用しないから。
顔も見えない、世の中で通用しないからこそ、ネットで真摯に向き合う人に
言いたくなる。哀れではあるけども、彼らには最後の頼みの綱なんだろうな。
かばうつもりはない。突き放す相手に合わせる気もない。ただ、どういう理
屈でそういう考えになるのか?そこだけは見て人を判断する。
そういう姿勢はずっと持っていたいね。「花の慶次」の前田慶次のよう
に。広い心で、強く、美しく。
強いからこそ優しくなれる。
そういう自分を目指したいですね。そして、間違ってはいないのに弱ってる
人、自分を見失いかけた人に・・・
だが、それがいい
と声をかけれる人になりたいですね。あ、これも『花の慶次』のセリフで、
人に対してその姿勢、全て含めて、気にするな、それでいいよ
って励まし、労う言葉なんですよね。まだまだ器は小さいけど、そんな言葉
を何気に言える漢になりたいですね。いや、なるんだ!
おしまい