Brothers Blog

日常の出来事からいろんなテーマについて考えます。
趣味はバス釣り、猫、映画、興味のあるもの全て。
見てね(^_^)

偽善

2013-06-17 21:48:09 | 真面目な話

「偽善」とは一体?

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は
偽善者とよばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心から

ではなく、虚栄心や利己心などから行われる事を指している。腹黒いやゴマ
すりや食わせ物という表現もある。 また、和英辞書では偽君子(snob)も

hypocrite とされている場合がある。


僕はこの言葉が嫌いだ。この行為がではない。言葉が嫌い。そもそも善良と
いうのは一般常識において規定されたものと個人の裁量のもの二つある。

その中で、僕は政治の問題で選挙で左右されるもので、個人の行動について
思うことがある。別れてしまう意見の中で、少数に属してしまった人、これ
を悪と呼んでいいのか?

少数の人は自分なりの善の心でそちらについている。前提があり、そこに考
えが構築され、そちらにつく。悪しき心がどこかにあったにせよ、それを善

しとして行動している。これは多数派にも言えることだ。自分が大事だとい
うのは人間が本能的にもっているもので、互いに自分の思い通りにならない

からといって寄り添うことを否定したり、相手に誹謗・中傷するということ
は相手の善を否定することになる。そして、自分の善を肯定する。

結局、これも偽善ではないか?あたかも自分の善が正義で間違いないものと
語り、相手の善を否定する。これは善であって善でないと僕は思う。

そもそも偽善なんてものは存在しないと僕は思う。あるのだとしたら、それ
は悪意であり、それを善しとするのはその人の心なのである。これも善だ。

だから僕は偽善と言われたくもないし、言いもしない。相手が善しと選ん
だ道だ。向き合うのならば、その行動ではなく、その行動に至る心だと思う。

何かが善の根拠となっているし、向き合うための努力だったりする。

自分の心にある善で人は動いているのだから。偽善者なんていない。

この言葉を考えた人間はきっと、どこかの権力者だったのだろう。

自分の善を肯定するためにやる行為。この言葉は人にむけて使うものではな
いと僕は思う。自分に向けて使い、人を貶めていないかを見るものだと僕は思う。

人にむけて発した時、人はなんていうか、それは考えなくてもわかる。

「お前は何様だ!」

上から見ているから、「偽善者」なんて言葉が言えるんですよね。

どれだけ悔しくても、それが違うと思っても、人にむけるべきではない言葉。

僕はそう捉えて、「偽善」「偽善者」って言葉は使いません。

みんな最終はそれを善しとして生きているのだから。



おしまい