私は同窓会に行く機会は少ないです。特に小学校のクラス会は
開かれたことありません。隣のクラスは和気あいあいと続いていたそうですが。
開けるわけがないと思います。6年生の時のクラスは学級崩壊していたからです。
九州N市の郊外にあった小学校では2年生~5年生まではそれなりの先生方で
特に音楽の先生には啓発されるところが多くありました。
ところが6年生の時の担任(女教師)の授業放棄による学級崩壊は酷くて
この時期を思い返しても失ったものは大きく、今も私には大きな心の傷として残っています。
この時の担任は宮崎の中学教師との結婚を控えていた評判の美人でしたが、授業に熱意なく、
授業時間になっても、いくら待って教室に現れないことが日常でした。
何の指示も出さずに3時間クラスを放置したこともありました。思い出して
書くのも辛いのですが自習することもなく学級は崩壊していました。
校長他、上の先生からの注意もなかったようです。敗戦後の混乱した時期のことですが
今思うと許せないことだと思います。親に転校を申し出たと思うのですが実現しませんでした。
その後私は私立中学に行きクラスの友人とは交流がなかったのですが、後年女友達数人と会ったのです。
その時、聞いたのは騒がしかった男子生徒達も中学に入り熱血先生の指導の下で真面目に頑張り
それぞれ国公立大等を出てその先生を慕って同窓会を開いていたとのことでした。
先生の当たりはずれというと語弊がありますが、今も昔も親にも子にもそれは
気懸りなことだと思います。良くも悪しくもその後の人生に影響を及ぼすものと思います。