"東日本大震災"
あの日私は都内で仕事をしていました。地震の後、お客様と共にビルの外に避難し、落ち着いた後に片付けをし、帰宅時間(18時位だったかな。)となりましたが、電車がどこも不通になっていて、歩いて帰った事を思い出します。
大きな被害はありませんでしたが、窓ガラスが何枚か割れ、落下していました。カラスがぐるぐる上空を旋回していたのも印象的です。
(こちらは現在のビル画像)
皆ぞろぞろと歩いていたし、車も渋滞になっていて、怖くは無かったです。
何とか後歩いて2時間位の距離の所で、旦那がバイクで迎えに来てくれてホッとしたのを思い出します。
仕事場にテレビが無く、すぐにはどの程度の被害だったのかわかりませんでしたが、地震の後に津波災害が起こっているのを帰り道際のお店テレビで知りました。
当時はスマホでは無く、私の携帯はガラケーだったので、情報が遅かったのだと思います。
その情報を聞いてみるみる血の気がひいたのを覚えています。
父の実家が宮城県気仙沼だったからです。
いくらおじさん、おばさんに連絡をしても全く繋がらず、不安だけが募りました。
後半に続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます