昨夜、鳩山法務大臣が退任するに当たり、「法務大臣の判子がなくても自動的に死刑が執行される方法はないのだろうか。」と述べた。びっくりした。
と思ったら、一晩たって訂正会見。たぶん彼は再任されると思っていなかったので、思わず持論を、あるいは法務省から頼まれてしゃべったものだろう。
確かに死刑執行の基準は我々には告げられていない。しかし、絶対に執行理由はあるはずで、死刑の判決があったとしたら、執行できない何かがあるのだろう。
終身刑のない日本では死刑がそれに当たる。無期は比較的早く出所する。言いか悪いかは私には判らないが、被害者の心情を考えるとちょっとつらいものがある。
判決から半年で執行されるべき死刑がなかなか執行されていない。
いつ死刑になるかをおびえて過ごす囚人たちの心境もなかなかすさまじいものがある。
早く殺してあげたほうが人道的なのかもしれない。(囚人のためには。)
この問題自体、私も結論を出しにくい。
醜い事件が起こるたびに心が揺れるからだ。逆に言うなら醜い事件が多いときに法律を変える事は危険だと言う事だ。特に報道が盛り上げている時は。(今だ!)
大変に悲惨な事件の結果、法律を改正し、その法律はまず軽くなることはない。
結論から言うと、なるべくその場の感情で法律を触らないほうが好いと言う事だと思う。
最低限、執行するのに法務大臣は判子ぐらい押してやれよ。囚人だって人間だ。
命が重いと言うのなら。
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