マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

小野田少尉の真実

2007-11-06 09:35:20 | GOLD WARRIORS

昨日でGoldwarriorsの翻訳を完了した。あとはもう一人に頼んである12章が残っているだけだ。ただし、タイピングと校正でもう少し時間がかかる。今月中に完成させよう。

ところで、第11章の最後に小野田さんが出てきた。ルバング島で生き残っていた小野田さんは真実を語らないままブラジルへ行ってしまった。国民は何も知らないが、今日、真実をここで明らかにしよう。少々長いがしかたがない。読んで欲しい。

前回取り上げた部分を貼り付けよう。

いま「小野田少尉」の告白本を読んでいるが、これが実に興味深い。というのは彼は22歳、昭和十九年の末に参謀本部から秘密の指令を受け静岡からルバングへ赴任した。彼の受けた指令の詳しい内容は今でも秘密だが、要は、戦争が終わっても玉砕はするな、ゲリラ活動をして敵軍の邪魔をしろ。ということだ。

そして、任務を解くには参謀本部の直属の上司からの命令が必要だった。(通常の命令系統とはちがう。)、だから、兄、母、同級生が呼びかけても投降できなかった。(小野田さんは実の兄貴が歌っているのを聞いている。) 上司たちは戦後名前を変え、あるいは所属を隠して生きていた。家族ですら自分の父親が中野学校の出身である事を知らないという。小野田さん、それから今でもフィリピンで戦っている戦士たちは、当時の上司が名乗り出て任務終了を伝達しなければならなかったのだ。自分たちは責任を逃れ、見捨てられた兵士たちは気の毒なものだ。

問題は、その任務だ。ルバング島はマニラ湾の真ん前の島で、確かに戦略的に重要なところだ。しかし、ルソン島自体が占領されてしまえばもう何の意味もない。小野田さんは中野学校で秘密情報部の人間だが、彼にはそこに残る意味があったわけだ。つまり、隠されている隠匿物資の監視だ。参謀本部は戦争終結を見込んで、終戦になっても誰も財宝に近づけないように小野田さんを派遣したのだろう。その任務を解く事が出来る人間は限られていた。フィリピンにはまだ日本兵がいるはずで、彼等はいまだに任務についているのだ。彼等に近づけば必ず銃を撃つだろう。本当に気の毒な事だ。(この内容は、Goldwarriors第十一章に出てくるらしいが、まだ訳していない。もう少しお待ちを)・・・・・以上

今日お伝えするのはその十一章の一部からの引用だ。

小野田さんに指令を出したのは竹田宮だった、それは竹田宮の従者だったフィリピン人のベン・バルモアが証言している。彼はルバング島で小野田を見ていると言う。そして、竹田宮はベンを連れてルバング島で略奪財宝の隠匿を指示していた。

終戦後、財宝を探しに来る者達から財宝を守るために派遣されていた特殊工作員が小野田たちだった。(当時、その島には三人の日本兵が派遣された。)

だから、彼が発見されたあと、日本は任務解除に谷口義美元大佐を派遣した。その一団の中にこっそり竹田宮が入っている、それはベンがテレビ映像で確認している。つまり、竹田が解除命令を出さなければならなかった。

秘密を握っている小野田は帰国後即座にブラジルへ送られ、ルバング島の発掘が終了するまで護衛に守られていた。(監視されていたと言うべきか。)

ルバング島の発掘は笹川良一だ。彼はマルコスと契約してルバング・リゾート開発をした。どのぐらいの回収をしたのかは不明だが、マルコスはそれを知らなかったと言う。笹川はそれを船舶振興会でロンダリングして自分たちの基金に入れた。

これが小野田少尉に関わるすべての真実だ。戦後六十年たっても何も国民は知らない。でも、戦争終了を知っていたにも拘らず、長い間忠実に任務についていた小野田さんの人生とはなんだったんだろう。

捏造の日本歴史研究所で後日アップします。特に重要と思われる章は見る事が出来るようにしています。ぜひご覧ください。


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