マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

黄金の兵士 プロローグ

2007-06-05 09:23:49 | GOLD WARRIORS

シーグレイプ氏のGoldWarriorsを翻訳しています。日本語版が出ていない以上自分で翻訳するしかないでしょう。この本も、又前作「YamatoDynasty」も色々な議論を呼ぶでしょう。うれしい事に「ヤマト王朝」は日本語版が出ました。私のような素人がいいかげんな日本語訳するよりプロが翻訳したほうが言いに決まっています。しかし、これは、私の信念ですが、原文に忠実に訳するつもりです。今の段階で三章まで行きました。後、半年掛かると思います。内容については私は責任を負いかねますので、意見のある人は投稿して下さい。

GOLD WARRIORS  “金の戦士”
著者より
多くの人が、この本は歴史的に見ても重要であり、ぜひとも出版されるべきだと言ってくれる。
しかし、又、「出版すると殺されるぞ!」、とも警告してくれる。
あるオーストラリアの経済評論家はこれを読んで、「彼らが貴方達を生かしておいてくれればいいが。」と言った。しかし、彼は「彼ら」が誰なのかは説明してくれなかった。

日本によるアジアでの略奪と、この略奪された金塊がアメリカの銀行に隠匿されたことは、スイス銀行に隠匿されたホロコーストの押収品と密接に関連がある。
両方の秘密を明らかにすることは危険な仕事なのである。
スイスの教授で議員でもあるジィーン・ツィグラーは彼のThe Swiss the Gold and the Deadで五十年間公式に隠されていた多くの事をあきらかにした。
彼は出版し、そして米国上院金融委員会の前で証言した後、スイス連邦検察官、カルラ・デ・ポンテに国家反逆罪のかどで告発された。
告発は、二十一人の金融屋、商法専門弁護士、そして極右の政治家、大きなスイスの銀行家の大金持ちらが起したものだ。ツィグラーはスイスから莫大な金額を強請り取るユダヤ人組織と共犯であると訴えられた。
ツィグラーは単に欲以前に倫理的迫害を受けた多くの中の一人だった。
ユニオン・バンク・スイスの警備員、クリストファーメイリは処分される前に保全した書類について上院公聴会で証言したために、殺人と家族の誘拐で脅迫された。彼と家族はアメリカに隠れ家を与えられた。我々も以前、殺しで脅されている。The Soong Dynasty(宗王朝)を出版した時、CIA長官から我々を殺すための殺人チームが台湾に集められていると警告された。
彼は、「もし私があなたなら本気にしますよ。」と言った。
我々は英国領コロンビアの沿岸に近い小島に一年間姿を隠した。消えている間に台湾の殺し屋はサンフランシスコにやってきて、中国系アメリカ人ジャーナリストのヘンリー・リューを射殺した。The Marcos Dynastyを出版する時は、マルコスやその仲間からの被害を覚悟していたのだが、代わりにワシントンから嫌がらせを受けた。
他の人もマルコスを調べていた。しかし、我々はいかにアメリカ政府がマルコスの莫大な金にこっそりと関わっているかを初めて明らかにした。すると、米財務省と収税係から嫌がらせがきた。その手先は我々の年老いた両親を真夜中の電話で脅かした。
取材のためにニューヨークへ行った時には、いくつかの経由地のひとつ、JFK空港でパスポートを押収され、三時間も拘束された。そして何の説明もなくパスポートは返ってきた。
情報の自由を主張しその理由を開示するようにせまると、渋々テレックスの伝言の写しを送ってきたが、日付以外はすべて塗りつぶされていた。検査員を正当化するのは政府の守秘義務だということだ。もちろん法の上をいくことだ。
アメリカ財務省の手先からの嫌がらせ電話の中で彼は事務所にすわって、我々が日本で済ませてきたインタビューをながめていると言った。そのインタビューは日本だけで放映され、我々はついに見ることはできなかった。
The Yamato Dynastyの出版の後、その中でGold Warriorの基本にちょっとだけふれたおかげで、我々の電話もメールもおかしくなってしまった。
私が治療上のことで一時的にヨーロッパの病院にいたとき、婦長さんが、誰かがあなたのアメリカの主治医のようなふりをして電話で質問をしてきたと書いてあったのでわかった。この本の抜粋が二〇〇一年の秋South China Postに発表された時、編集者からの電話が突然切れた。新聞社からのメールは我々のところへ着くのに七十二時間も掛かった。
仲間へ資料を郵送するほうが早く着くくらいだ。
最近数ヶ月、訳のわからない殺意ある脅迫を受け始めた。我々が殺人者を怒らせる何をやったというのだ。
ジィーン・ツィグラーの言葉を借りるならば、我々は公的陰謀と戦っている事になり、一九三〇年代のドイツの様な危険な時代を生きている。
隠された財宝を公表するような迷惑なことをする者は、テロリストとか、反逆者とレッテルをはられてしまう。
数ヶ月前、元大使が日本へ行き、大企業に補償を訴えている昔のアメリカ人捕虜や市民強制労働者はテロリストと同じだと言い切った。
いまやCIA職員は機密情報の漏洩をとめる必要があるし、もし必要とあらば、ジャーナリストの巣に鎮圧部隊を送ると言っている。
すべての人民にとって国家機密は重大なことだ。我々もそれに文句はない。しかし、国家機密は、役人の汚職や利害の対立の陰謀を引き起こす。それを圧政というのだ。治療法は開示し、日の元にさらすしかないのではないか。
この本の中ではトルーマンがこれらの略奪品の回収作業を秘密にしていたことが正しいかどうかは問わない。指摘したいのは全体を秘密にすることで、堕落した人々が不正資金を乱用してきたのだし、その乱用が癌のように増殖していったことだ。
世界的な買収の輪が不正資金の回りに群がってきた。
役人、諜報員、軍人達は黒い金に病みつきになった。この略奪物資の多くはみせかけの愛国心のもと、アメリカの極右の連中により吸い上げられる兆候があった。
無計画なトルーマンの決定がもたらしたものは、世界の金融体制の有害な部分となり、罪もない人々を危機に陥れた。この買収で利益を受ける人や、その立場の人はこれを隠すためなら殺人だって何だってやるだろう。この病気を除去するためにはまず最初にそれが何なのかを知ることである。
しかし、皇帝が脳の梅毒で気が狂っていたとき、最初に火あぶりで苦しめられ燃やされるのは診断をした医者だ。つまり、伝える人間は殺される。
アメリカや日本政府を論破する最高の努力、即ち我々は数千の文書を集め数千の文書を集め数千時間のインタビューを行った。にもかかわらずゴールデン・リリーに関する資料は制限され、あるいは失われてしまう。我々はこの本の読者すべてに利用可能な二つのCDを作成し又ウェブサイトwww.bowetring.netで知ってもらえる。そうすれば少しは気分は入れ替えることができる。我々はこれらの行動を前面に出すことを知ってもらい、他の人の応援をする。幹部が買収されてしまえば、幹部から真実は出てこないだろう。
何かをしようとしたジィーン・ツィグラーや、クリストファー・メイリーのような人の小さな積み重ねで明らかになるであろう。
念のため何か変なことが起こるときにそなえてこの本を出版しインターネットの多くのサイトにこの文書をのせている。もし殺された場合、読者は我々を殺した人物を見出すのに苦労はしないだろう。
読者は徹底的な注釈をこの本の後でみてもらえる。追加的な文書、地図、画像、写真を望むなら著者のウェブサイト www.bowstring.netで九〇〇Mバイト以上もある二枚のCDを手に入れてください。

      プロローグ
第二次大戦の終結する月(八月)、フィリピンでは、何人かの高位な皇族の皇子達が、将来のための準備をしている間、山下将軍は、ルソン島の険しい山の中で、戦争引き伸ばし作戦に従事していた。彼らは、後日回収されることになる、略奪した金の延べ棒や、盗んだ財宝を洞窟やトンネルの中に、あわただしく隠していた。日本で一番のやくざが、アジアの裏社会や闇経済を奪っている間に、日本陸軍に同行している専門チームは、国庫、銀行、工場、個人宅、質屋、絵画店から組織的に略奪し、一般人の身ぐるみをはいだ。
この点、日本はナチよりもはるかに徹底していた。まるで巨大なバキュームカーが東南アジアを横切ったようなものだ。略奪品のほとんどは、朝鮮経由で日本に送られた。
残りは船を使ったが、一九四三年(昭・十八)米潜水艦が日本周辺を完全に制圧するようになるとフィリピンよりこちらへは運べなかった。隠匿された財宝にとって決定的なことは、日本の軍事力が失われると、財宝も最終的に失われるということだ。
植民地のどこで戦争が終結しようが、日本は常にフィリピンを維持しようとした。
皇子達に監督されて、一七五箇所の皇室地下金庫が島中に作られた。一九四五年(昭・二〇)六月初旬、アメリカ戦車隊がバンバングから二〇マイル以内に接近していたころ、一七五箇所の地下貯蔵庫の技術者代表は、八番トンネルで知られる地下二二〇フィートの坑道でお別れ会を催した。そこには壁から壁へ上から下まで、ぎっしりと金の棒が並べられていた。
夜もふけ、大量の酒を飲み、軍歌を皆で歌いながら、長生きを祈りながら次々と万歳をした。深夜になって、山下将軍と皇子はそこを抜け出し、トンネルの入り口はダイナマイトで爆破し、技術者達は埋められた。彼らは生き埋めにされたのだ。
形式的に言うなら殺された訳ではない彼らは、金の延べ棒に囲まれ徐々に窒息していった。地下貯蔵庫は秘密を保たれることになった。
数日後、皇子は潜水艦で日本へ脱出し、三ヵ月後、山下将軍もアメリカ部隊に投降した。
半世紀の間、この恐ろしい生き埋め事件は知られなかった。隠匿された財宝は、「山下将軍の金塊伝説」として無視された。
しかし、生き埋めの目撃者は、我々を八番トンネルへ案内し、個人的な話も得られた。
フィリピンの若者ベン・バルモアは、戦争中、フィリピンにある皇室財宝基地で基地建設や在庫調べ、封印などに従事していた日本のさる特別な皇子の従者であった。高学歴で、たまに涙もろい皇子はダイナマイトが爆発する直前ぎりぎりでベンを八号トンネルから連れ出し、彼の命を助けた。
我々は十七歳半ばの貧乏だが健康的なベンに取材し、彼は、一九四三(昭・十八)~四五年に、その皇子の部隊で見たこと、経験したことを、何ヶ月にも渡って我々に語った。最終的にその皇子と他に関与していた他の皇子を特定できる重要なヒントを我々に与えてくれた。
アジアでの略奪を監督していたのは裕仁の優雅で洗練された弟、秩父宮であった。
彼の組織は天皇による詩の題名のひとつ、「黄金と百合」にちなんでGolden Lily(黄金のユリ作戦) と名づけられた。他の(下級)皇子は征服した領土に広がったGolden Lily の別の基地で司令官となっていた。情報筋は、戦時中のベンのご主人は、竹田恒泰親王であると確認した。
彼は裕仁の一番上の従兄弟であり、明治天皇の孫にあたる。
この裏づけをとるために、英国図書館から手に入れた一九三〇年代の不鮮明な多くの写真を使い、ベンに目隠しテストを行った。それらは、パールハーバー前日ごろと見られる軍服姿の皇子達の写真である。写真の名前ははずし、普通の兵士も混ぜておいたのに、ベンは竹田宮、そして裕仁の兄弟である秩父宮、三笠宮、そして南京虐殺において日本軍の指揮をとった年長者、朝香宮を指さした。ベンは彼らが在庫を調べ財宝基地に収納する間、ともに過ごし食事を運びお茶やタバコをもっていったと話した。
ベン・バルモアはフィリピンから離れたことのない田舎の百姓であり、小学校以上の学歴はないから、彼が即座に皇子を確認したことは説得力があった。
竹田皇子の写真を見せたときベンはどきっとして、日本の民謡の「さくら さくら」を口ずさみだした。竹田がいつも口ずさんでいたと話した。
竹田皇子の特定を発見したことは、大きな難問の失われている一片をみせてくれた。我々が天皇家の物語Yamato Dynastyを書いているころ、一九四五年(昭・二〇)八月、アメリカ情報局は、フィリピンにある日本軍の財宝地下貯蔵庫の数ヶ所を知り、秘密のうちに数十億ドルの金、プラチナ工芸品、宝石類を回収したと聞かされた。もしこの知らせが本当なら、米国政府が半世紀以上にも渡って隠し続けている、驚くべき国家機密の存在が明らかになる。だから、それらを新たに調査する価値があると考えた事は、重大な危険を伴うことになるだろう。
ここに、我々が知ったことがいくつかある。
日本降伏の公式告示を受けた後の一九四五年(昭・二〇)九月二日、山下将軍とその部下達は、キアンガン地帯の要塞から出てきて、MPジャック・ケン・ウォルシィー大佐に率いられる米軍将校等に武器を渡し、マニラ郊外ニュービリバッド刑務所に入れられた。
マニラ市での岩淵幹二提督の船員と海軍による恐ろしい犯罪行為のため(山下が町を無傷のままにして離れる命令を出した後だ!)山下将軍は戦犯に問われた。
彼の裁判の間、戦時略奪の話はいっさいなかった。しかし、そこには隠された密約(agenda 協議事項、覚書)があった。
山下の弁護側弁護士に知られずに山下に肉体的な拷問をすることは不可能だったので、代わりに部下が拷問を受けた。
運転手小島香椎は特に過酷な拷問がなされた。山下が一九四四年(昭・十九)十月フィリピン防衛を引き継ぐため満州から到着して以来、小島はどこへでも一緒にでかけた。小島の拷問を担当したのはフィリピン系アメリカ人、セビリアーノ・ガルシア・ディアズ・サンタ・ロマーナ、情報局の役人で、名前も個性も多い男だ。
友人は彼を「サンティ」とよんだ。彼が小島に自白させたい事は、山下をどこへ乗せていったのか、延べ棒や財宝がどこに隠されているかだった。
サンティを指揮していたのは、のちにアメリカで氷の戦士として知られることになるエドワード・G・ランスデール長官だったとわかった。
ランスデールは三十七才のとりえのない男であり、当時は、サンフランシスコでOSSのためのプロパガンダを書いて過ごすただの広告代理店の作家だった。そこに、彼の人生においてとてつもないチャンスがめぐってきた。トルーマンがOSSの閉鎖を命じたのだ。
OSSのウィリアム・ドノバン長官は、アメリカの知的財産と個人的情報網を保護するため全職員を政府、もしくは軍の部署へ移動させた。ランスデール長官は、フィリピンの米軍G―2へ配転するチャンスを与えられた五十人の職員の一人だった。そこで彼はサンティが山下の運転手の拷問をすることを聞き、その尋問に同席し、観察者、参加者となった。
その年の十月、小島はついに屈服した。そしてランスデールとサンティーをマニラ北方山岳地帯の、簡単に開く事ができた二ヶ所を含む一ダース以上のゴールデンリリー地下貯蔵庫へ案内した。
内部にあったものには誰もが驚いた。サンティとその部隊が貯蔵庫の残りを開けている間にランスデールは東京へ行き、マッカーサー将軍に要点を伝えた。そして、それはトルーマンに知らせるためワシントンヘもたらされた。内閣での討議の後、トルーマンは回収を進める決定をした。ただしそれは国家機密として保ったままでだ。
金、プラチナ、樽に入った宝石などの財宝はヨーロッパで枢軸国の略奪品と一緒にされ、共産主義と戦うために世界中に広がる秘密政治活動資金として創設された。
この黒い金はトルーマン政権に隠れた作戦用に、事実上無制限、かつ領収証なしで基金を扱う権利を与えた。これは又、ワシントンによって連合国の国庫をうるおし、政治家の汚職のため、また外国の選挙を操作するために使う財産基盤の準備金となった。
一九四〇年代、ソビエト連邦が世界中の過激な共産主義者と社会主義者の活動を支え、資本主義世界の生存が窮地におかれていたことがこの方針を正当化させていた。
読者はこの情報により、我々がそうであったようにびっくりするだろう。
何人かは、トルーマンの下した戦略の決定を深刻に悩むだろう、そして、他の人は熱く支持してくれるだろう。この本の狙いは、その決定を調査することでも、良いか悪いかを判断することでもない。それはその時点では賢明な決定だったのだろう。(長い目でみると悲惨な結果になったのだが。)
我々はただ小手調べの記事を書いただけで、政治的には中立でありたいと思っている。
この本の唯一の目的は、秘密のヴェールをあばき、調査を進展させ、多くの、そして悩ましいしい、予期せぬ成り行きを調べることだ。
それは、トルーマン一人の決定だったわけではない。世界的な政治活動資金の基礎を、戦時略奪品でまかなうということは、実際のところルーズベルト政権の戦争大臣、ヘンリー・M・スティムソンが創設したものだ。戦争中にスティムソンは、枢軸国の略奪品と、戦後の枢軸国がどの様に扱われるべきかを詳しく考える顧問団を持っていた。
形勢が枢軸国に不利になってきて、財宝を手に入れるのは時間の問題だった。
この戦争のご褒美はナチスにより侵略された国々と、民間の犠牲者からの金の略奪だった。もともとの所有者の痕跡を消すため、ナチスはそれらを溶かし金塊に鋳造したのち、鉤十字とドイツ銀行の黒鷲の刻印を押した。
金の足跡がたどれないのには別の理由もある。
もとの所有者は死んでしまい、前の政府は消滅しているのだ。東欧はソ連の支配に屈してしまい、略奪された金の返還は不可能だった。特筆すべきスティムソンの補佐役は、補佐官ジョン・J・マッコイ、ロバート・ロベット、そして相談役としてロバート・B・アンダーソンらで、すべて役所や銀行で傑出した抜け目のない男たちだ。
マッコイは、後に世界銀行のトップに、ロバートは国防長官、アンダーソンは財務長官になった。彼らの解決法は非公式なBlack Eagle Trust (黒い鷲基金)を設立することだった。
この考え方をアメリカの同盟国が、秘密裏に議論したのは一九四四年(昭・十九)七月が最初で、四十四ヶ国がニューハンプシャーのブレトンウッズに集まり、戦後の世界経済の計画を練った。
(これは一九四五年のサンティの回収を知っているマニラを拠点としていたCIA職員や前のCIA副長官レイ・クレインを含む多くの高い地位の情報により我々が手に入れた文書の中で確かめられた。クレインは、最近になっても、シテイバンクの地下金庫にまだある日本の戦時略奪金塊を支配しようと関わり続けている。)
トルーマン大統領とワシントンのマッコイ、ロバート、スティムソンへの説明を終えると、ランスデール長官は、一九四五年(昭・二〇)十一月、ロバートB・アンダーソンと共に東京へもどった。そこでマッカーサーはアンダーソン、ランスデールに同行し、極秘にマニラへ飛び、すでにサンティが開放した地下貯蔵庫めぐりへと出発した。聞くところによるとその中で二mの高さにまで金の延べ棒が積まれているところを散策したらしい。
彼らが見たものから、日本が全アジアから数十億ドルの略奪を長年にわたって行ってきたことは明白である。
アンダーソンとマッカーサーが見たのは日本には届かなかった金だけだ。戦争のために破産していたなんてとんでもない。日本はとても豊かだった。
レイ・クラインや他の者によると一九四五年から四七年の間に、金の延べ棒はサンティとランスデールによって四二カ国の銀行の百七十六口座へ慎重に運びだされたらしい。
秘密にしておくことが重要だった。もしも盗まれた莫大な金塊の回収が公になれば、何千もの人々が、多くはうそだろうが、文句を言いに来るだろうし、政府は所有権を解明しようとして身動きがとれなくなるだろう。
トルーマンは又、そんな大量の闇金があると知れると一オンス三十五ドルの固定相場が崩壊すると聞かされた。あまりにも多くの国が、金や米国ドルとリンクしているので、金融災害のせいで世界中の貨幣価値は急落するだろう。この議論は「黒い鷲作戦」によって利益を得る立場の人間が過大に表現していたかもしれない。しかし、誰もどうなるかという確信はなかった。もし、金の秘密が保たれれば、価格は一オンス三十五ドルが維持でき、ドルは強いままで、金ペッグ制の通貨は安定するだろう。
その間に、闇の金が準備資産として配給されれば、連合国の優良銀行を支え、各国政府も強固になるだろう。用心のため、各銀行の金塊置き場は注意深く管理された。金として使用することは厳しい制限下に置かれた。(イヤーマーキングとよばれた)これで、ワシントンは事あるごとに、各政府や中央銀行そして優良銀行に圧力をかけられるようになった。
あまりにも長く国と指導者を協力させ、冷戦の中アメリカと同盟させた状態に放置していたため、眠っている金の延べ棒は、不正政治資金として利益供与の目的で使えるようになった。
公文書は一九四五年から四七年の間にとても大量の金とプラチナが世界最大級の銀行、即ち黒い鷲基金のでかい集積場となるユニオンバンク・スイスや他のスイス銀行に預けられたことを表わしている。
スイスは戦争中に中立を保ち、略奪もされず損害もなく、資産も減らさなかったため、重要な役割を演じていた。スイス銀行職員幹部によって書かれた文章は、この財産を基にとても大きな融資が、戦争復興のどさくさで英政府、エジプト、中華民国、又他の国々へ実行されたと明らかにした。
長い時間が経つうちに国家機密の保護が、不快な乱用する立場をつくりだしてしまった。国家の機密を保護するものは、政府の役人や協力者の個人的分野まで保護してしまう。あとの章でこれらの地下資金が莫大な賄賂として表面化したとか、イタリア、ギリシャ、日本そしてそこらじゅうで、選挙の買収に使われたたくさんの書類例をおみせする。
もうかる信託財産が、世界中の影響力のある人々のために準備された。
ゴールド証書が勧誘のために与えられた。賢い人の手の中にあれば可能性は無限である。数十年の期間が過ぎ、いくつかの世界的大手銀行は地下貯蔵庫の黒い金で遊ぶことに病みつきになった。さて、金を保持するためなら、彼らは何であろうとするであろう。たとえ口座の持ち主あるいは自分の後継者から搾取することになろうともだ。
スイス銀行のホロコーストで得た金に、それがおこった。ゴールデンリリーを地下貯蔵庫から回収し、ブラックイーグル基金を準備したのを思い返しても、それはどちらでも良いことだ。愛国的な理由であったし高潔なものだ。
しかし、冷戦中にあまりにも多くの闇金が情報操作に使われたことは、そんなにどちらでもよいことではない。そして国家機密を再検討することは無理になってしまった。
その基金で儲けているやつを別としても、その不正資金を誰が指揮したのだろう。他にも乱用はたくさんあった。財宝の存在を隠し、かつアメリカの一九四〇年代にアジア中から共産主義の流れに対抗する確固たる地位を保つため、ワシントンは外交上で大きなうそをついた。
特に日本がほとんどの金を盗んだことに関しては、うそをついた。
日本の支配者エリート達は共産主義者に非常におびえていた。
伝統的な筋金入りの保守派であったアメリカは、日本にアジアでの反共産主義の砦になってほしかった。だから、東京に隠匿された財産は決して知られてはならなかった。東京のほとんどの熱狂的反共産主義者は、戦犯で起訴されつつあった。そこでアメリカは民主的な改革と新しい憲法を導入しつつ、まったく民主的でない男達の支配下に、日本を逆行させ莫大な闇金を注入して彼らの権力をささえた。
一九四五年、戦争が終わり、ワシントン政府は、日本は決して略奪行為をしなかった、国は荒地となり、国庫は破産していると主張しはじめた。そこに多くの大きなうその出発点がありそれが恐怖の機密になったのだ。
ゴールデンリリーで集められた財宝とワシントンが回収したものが秘密にされなければならなかったので、日本とアメリカの国民はずいぶんだまされることになった。一九五一年(昭・二六)そのうそでねじまげられた平和条約が決まり、それによって数千人の捕虜と強制労働を強いられた市民はその被害に対し何の補償も受け取れなくなった。
戦争補償の要求から日本を守るため、ジョン・フォスター・ダレスは三人の日本人と条約の交渉のためにひそかに会っている。その中のひとりが宮沢喜一で、後に首相になり大蔵大臣を何回も勤めている。
条約の第十四項によると、「戦時中に負傷したり被害を被った連合列強に対して補償金を払うべきだということは認識される。しかしながら現状の日本にはその原資が不足していることもまた同様に認められる。」、第十四項の声明は、日本は破産したと主張し補足している。「連合国列強と各国家は日本の行動で発生したすべての賠償請求を放棄する。」という条約に署名したことで連合各国は日本の略奪をどこかに消し、日本人の餌食となった人は幸運を失うことに合意した。
条約を支持する見返りとして、疲弊した連合国の中央銀行を元気にするために、ワシントンがサンタ・ロマーナによって回収された闇金を秘密に船で送った証拠を提供しよう。
黒い鷲信託は政治活動資金であったから、いくらかは悪い手のものに落ちたものもあるが、聖書の精神とはかけ離れながら、次々と広がり、かつてない大きさで残ったままだ。
信頼できるアメリカ、日本の情報筋によると、一九六〇年に邪悪なニクソン大統領は大統領選へのキックバックを約束する見返りに、日本の自民党の指導者へ、最大級の基金のひとつM資金を供与した。これはこれ自体非常に気がかりなことだ。しかし、三百五十億ドルとか今では五百億ドルをこえるといわれるM資金は、それ以来自民党の実力者に支配され選挙の買収や一党独裁を保つため、色々な重要な改革を阻止するために使われた。
他にも秘密資金を使った同類の悪用は、世界中で見出された。秘密を守ることが力となり、権力は堕落する。秘密の権力が、秘密のうちに堕落する。日本専門のシャルマース・ジョンソンはうまいことを言う。
「冷戦は終わった。合衆国は冷戦を続ける必要性を信じていたんだろうが、冷戦自体をもはやそのための費用と思いもよらない結果についての無知を正当化するために使われることはできなかった。今の課題は日本が社会主義か中道主義に転換するかどうかではなく、アメリカに頼りきって堕落し、長い間、驚くほど弱体だった日本政府が、どうやって進化するのかなのだ。」
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この財宝はどこからきたのだろうか?今まで日本のアジアでの略奪は、酔っ払った兵士によって犯された偶発的な盗みと暴力のいくつかであろうと無視されてきたが、これは意図的な偽情報だ。戦線が拡大してゆく時の略奪は目新しいことではない。
一八六〇年、英仏軍は麻薬を得るため中国北方への懲戒的な遠征の途中、北京郊外の大きな夏宮殿を、荒々しく襲い略奪した。持ち出せないものは何でも粉々に壊し、燃やし、そしてひとつの宮殿と宝物殿を除いて放火して終わった。彼らが金をみつけられなかったと信じたのは本当だ。教養のない兵士達は、そのほとんどを棄てるか酒と交換した。(混合部隊の司令官はエルギン候だった。彼の父はパルテノンからアテネへ彫刻を移動させている。)。一九〇〇年、ヨーロッパ軍は北京市内へ再び行軍し、この時が「ボクサー包囲」とよばれる戦いの幕開けで、紫禁城の中を酔っ払いながら暴力的に略奪し、財宝を粉々にしてしまった。
一八九五年から一九四五年の間に何が日本軍の質を変えてしまったのだろう。これは酔っ払いの略奪や破壊行為ではない。日本人は真面目で節度があり、落ち着いており、普通のこそ泥や歩兵達なら無視してしまうような価値の文献や手紙などですら盗まれないよう格別な注意をはらっていた。彼らはアジアの地下組織・・・三合会、宗派、暴力団からの略奪に特に注意をはらった。日本は麻薬を持参して中国へ押しかけ、金と交換にアヘンをならず者に与え各隠匿場へ財宝を運んだ。金持ちや大物、軍閥の親分、銀行家、実業家をゆすり個人財産を略奪するため暴力が使われた。日本に持ち帰った価値あるものの中には美術品や歴史的工芸品があった。
今日までに盗んだものから、国や個人へはほんの少し、また国家遺産もほんの一片ほどしか返されていないことが記録に残っている。
金の仏像などのいくつかの大きな工芸品はフィリピンの地下にある隠し場所で最近発見された。しかし美術品や工芸品のほとんどは日本の個人地下金庫や東京の皇室コレクションの中にまだあるはずだ。
どのようにして、日本は持ち続けることが許されたのか。公式には戦争は一部の軍事狂信者のせいで始まり、犠牲者がひどい目にあったため戦時中のエリート即ち皇族、財閥、やくざ、そして良識ある官僚たちが終結させたと聞かされた。
天皇裕仁を含む多くの日本のエリート達は戦争を始めたときよりも、はるかに金持ちになって戦争を終わらせた。そして占領される直前とそのあとで何人かは週十億ドルの財産を作った。我々は、終戦時にはひどく荒廃し食べるのがやっとだと聞かされた。実際には、驚くべきことに、ほとんどの工場や住宅は壊されたりひどく破壊されたということはなく、工業基盤はほとんど破壊をまぬがれた。広く宣伝された、ほとんどの被害はウサギ小屋に住む何百万人の一般市民であり、君主にとってはそれらの被害はものの数ではなかった。
日本を共産主義の防波堤にしあげる緊急事態のためワシントンは、皇族、銀行団のアジア十二カ国に対する破壊と貧困に対するあらゆる責任を免除した。
ほんの一握りの戦争指導者が、人身御供として処刑された。そのうちの幾人かは指導者で残る人のために責任をとらされ、強要され、でっちあげられた。
戦後の占領が終わったとき、日本の戦犯のすべてが解放された。一九三〇年代から四〇年代の間アジア全域に広がる世界有数の麻薬密売グループを率いたやくざや大親分も含まれていた。ワシントンは日本政府を、戦争を始めた同じ男達の手の中へ返すよう取り計らったのだった。
これは戦後のベルリンで、ナチス党を復帰させるようなものだ。日本ではほとんどそれに対する抵抗はなかった。それはアメリカにおけるマッカーシーの厳格な赤狩りよりももっときびしい弾圧で反対者を黙らせたからだ。
我々が証明する通り、復活した日本極右組織には、戦争略奪品や財閥が戦争中にアジアで搾り取った利益で資金が融通された。
アメリカの占領が始まって以来、マッカーサー、トルーマン、ジョン・フォスター・ダラス、そしてその手の者たちは、略奪品の全ての存在と、そして日本エリートたちが並外れて裕福なままだったことを知っていたという事実は、隠しようがない。
一九五〇年にマッカーサー本部が作成し、発表された占領に関しての公式報告書がある。そこには驚くべき事実(告白、自白、了承事項)があった。
「占領業務の中の注目すべき仕事のひとつは、集められた財産の取り扱いで、莫大な金、銀、宝石、切手、彫刻、日本では流通していない貨幣などの貯蔵品を管理下におくことだ。この膨大な財産は日本の将校によって集められ、アメリカ軍貯蔵庫に収納されたにもかかわらず、金額または量についての申告は知られないまま闇の中へ消えた。」
たとえば、後日回収されたが、東京湾に沈められていた二十億ドルの金の延べ棒のことをマッカーサーの部下達は知っていた。
その他に、一九四六年、アメリカ諜報員が発見した膨大な財産は、戦時略奪品百三十億ドルだった。これは中国や東南アジアでゴールデン・リリー業務をする日本海軍の本当の司令官として児玉誉士夫がアジア地下組織や暴力団から略奪し集めたものだ。
彼は又、アジアにおける麻薬貿易を託されていた。戦争が終わり戦犯の訴追を受けないまま巣鴨からでてきた児玉は一億ドルをCIAに提供した。これはM資金の元手に加えられた。それから児玉は今でもワシントンが強力に支持している自民党が二つの政党を合併し創設されたときの資金を融通していた。
 
サンティーの行った日本略奪物資の回収の強力な証拠はアメリカの公正な法廷活動によって出てきた。彼の遺言を確認する時に行われたニューヨーク州のアルバニィーにある税金記録の確認と、アメリカ、スイス、香港その他に預金されている財産の確実な証拠などの単純なもので、世界中にゴールデンリリーが生み出した不法な口座がいっぱいある事を明確に証明した。サンタロマーナが一九七四年死亡した時、私達が知っているようにいくつかの黒い金口座の名義が、三十年昔の一九四五年、サンティーと一緒に小島少佐の拷問に加わったエドワード・G・ランスディール少将の名前に書き換えられた。
ランスディールがCIAを引退して十年以上過ぎていた一九七四年までで、ランスディールや他の前任スパイ、そしてアメリカ軍人の新しい情報網と情報機関の役割を認識することでしか答えられない複雑な疑問が発生していた。
この好奇心をそそる物語につながっている他の有名な名前がある。
長い間シティバンクのCEOだったジョン・リードが、サンタ・ロマーナの黒い金の移動の中で鍵を握る人間として、この訴訟の何人かの中に名前があがっていた。
訴訟の被告団の中にはサンフランシスコの弁護士ソルビン・ベリィがいる。ザ・ラスベガス・サンの編集者が書いている中で、ベリーは言っている。「私は世界中のいくつかのとても重要な銀行にサンタロマーナの預金が預けられていると確信している。」
ベリーの公判で読まれた部分に、「被告人ジョン・リードは、シティバンクの会長であり、最高執行役員である。被告は、サンタ・ロマーナ名義の金の延べ棒を換金する作業の陣頭に立っていた・・・・略・・・リードとシティバンクは組織的に、金の延べ棒をバイヤーに売却し、また売り続けている。その売り上げを自分自身のために転用している。」、
他の訴訟ではゴールデンリリーの戦時略奪品が、確かにフィリピンに隠されていることが証明された。
フィリピンの錠前師ロゼリオ・ロクサスは、山下将軍の司令部として使われていたバグイア保養地の病院があった裏の山中に隠されていた一トンもある純金の仏像と数千の金の小さな棒を発見した。
ロクサスがそれらを発見したと聞いたマルコスは暴力団を送り、仏像を押収しようとした。
ロクサスは逮捕され、抵抗すると拷問受け、その後、毒殺された。
一九九六年ハワイ州裁判所は、ロクサスの遺族に対し、マルコス家が四百三十億ドル支払う判決を下した。歴史上で、民間人に対しての最高の金額だ。
一九六八年マラカニアン宮殿で発見された文書には、マルコス大統領が軍将校団を日本に派遣し共同発掘しないかともちかけたことを明らかにしている。
団員のメンバーによると、彼らは『裕仁の従兄弟であり、高位の将校である皇子』と会い、その皇子の話では日本軍はフィリピンに一千億ドルの財宝を隠し、全部を発掘するには百年以上はかかるだろうとのことだった。
関連する法廷闘争としては前の副司法長官ノールバート・スクレイに関してであろう。彼は米国財務省からの日本の秘密のM資金に関するあまりにも多くの質問に苦しめられた後、自分を守るため戦わねばならなかった。
スクレイは、非難された後、起訴されて破産した。M資金に基づいた金融証券を換金しようとして事業が破滅した一方、目撃者によると前国務長官アレクサンダー・ヘイグは大統領ジョージ・HW・ブッシュの親書を携えて日本に行き同様の証書で換金に成功した。
なぜ片方が破滅したのにもう一方は成功したのかはワシントンと東京の間の恐ろしい金融上の陰謀物語なのである。
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我々はゴールデン・リリーで引用されている莫大なドル価値には深い疑いをもってきた。公式には延べ棒や貨幣そして宝飾品を含め世界中で生産された金はたったの十三万トンしかないといわれている。
公式な記録では世界の人口の七五パーセント以上を占めるアジアが、世界の金の供給量のたった五%しか握っていないという、ちょっと見ただけでもばかげた統計を主張している。しかし、少なくとも西洋では重力の法則のように金の法則が我々にたたきこまれていた。
実際、誰もどれだけの金があるのか知らない。スペインが新世界からどのぐらい略奪したのかもわからない。なぜなら、一旦はヨーロッパに届いたとしても、殆どメキシコとペルーを征服するための融資をしていたヨーロッパの大銀行家、フッガー家(十五、六世紀の大富豪)とウェルザー家に回してしまったからだ。フッガー家とウェルザー家がその金で行ったことは何であろうと極端な秘密を守ってきた。我々はクルップ家、ロスチャイルド家、オッペンハイマー家、ウールバーグ家、ロックフェラー家のような富豪の実際の財産を知るすべはない。ただし彼らがとても昔から富裕であったことと、その財産が巧妙に分離されていること以外はだが・・・・。何兆ドルと言う量になるであろうが、経済評論家は我々に語ってくれた。
「現在二十三兆ドルが金持ちの持ち物だが、ほとんどがオフシェアーの秘密個人口座に眠っており、その国の法律は、彼らの資産を税務署、配偶者、そして顧客からの開示を拒めるようになっている。」
我々はアジア大陸や中近東の王族、貿易商、地下組織の金の保持者についてすら、ほとんど知らない。ヨーロッパの実力者は自分用の銀行や石油会社を所有し、政府への支配力をもっているだろうが、アジアの富裕層は政府や銀行を決して信じない。
財産は小さな金の棒か、プラチナまたは宝石として保持している。
中国では数千年前も昔から、国や銀行を全く信用していない。欧米の銀行業がご存知のとおり金市場を三世紀前にようやく存在させるようになって以来、アメリカとヨーロッパに預金されてきたよりはるかに多くがアジアで二千年にもわたって絨毯の下に隠されてきたことは間違いない。
アメリカ政府は手持ちの金の量も公表を拒んでいる、最後に会計検査院が監査し公表したのは千九百五十年代である。
それには良い理由があるのだ。
この本の要点は、どれだけ盗まれ、隠され、秘密に回収され、そしてどのぐらいが発見されずにまだ残っているかを解き明かすことではない。
ごまかしもあるだろう。本当の内訳なんてわかるはずもない。
この本の注釈と、我々の記録用のCDの中には九〇〇Mバイトの書類、写真、地図、そして画像が入っているが、それらで我々は、シティバンク、チェイス、香港、上海BK、ユニオンバンク・スイス等の保管庫の中には今日でも莫大な略奪した金が残っている強固な証拠をあきらかにした。
我々は手紙、送り状、連絡メモ、州政府の税記録、保険条件、そして黒い鷲基金を運んだブローカーとのインタビュー等を提供している。
マッカーサー元帥と、彼の昔の相談相手であった裕仁とが共謀し、いかなる方法で日本の三和銀行が秘密信託を立ち上げたのかを立証しよう(三和銀行は十三章)。
裕仁が統治した時代にちなんで昭和信託で知られるその勘定は、一九八二年まで、年間十億ドル近くが支払われるほどの大きさであった。我々はその昭和信託の三件の受託者を確認した。そしてマルコス大統領がどのようにしてこの勘定の存在を発見したのか、またそれを使ってどのようにして日本政府を恐喝したのかをはっきりとさせよう。
マルコスらが戦後の一大発掘作戦を、秘密裏に陸や海で行った証拠書類や写真も付け加えよう。
サンタ・ロマーナとランスディールが、一九四五年~四七年に回収したものは財宝のほんの一滴にすぎない。他の人間が重大な回収作業を始める以前に、単独もしくは集団の日本人がフィリピンにもどり、財宝の一部の返還要求をして十年が過ぎた。我々はアメリカの採鉱の専門家で冶金学者、ロバート・カーティスによって約六万点の記録書類と二十五年かかって作成、編集された録音または映像テープを独占的に閲覧させてもらった。
実際、彼はマルコスに渡すために、テレサ二号構から八十億ドルの金の延べ棒を回収していた。彼は危うくマルコスに暗殺されそうになり、フィリピンから逃げ出し、その後は財宝の歴史的に重要な証拠つくりに夢中になっていった。
マルコスに対しての五つの巨大なゴールデン・リリー発掘作業の過程の中で、カーティスはゴールデン・リリーで雇われていた技術者によってまたとない技法の解説を手に入れ、マニラ周辺にある多くの基地を知ることができた。
カーティスがマルコスと働いた数ヶ月間に彼は百七十五箇所の元々の財宝地図、百七十二枚を写真にとった。我々のこのCDにいくつかの地図はのせておいた。日本へ無事に財宝を運ぶため、オランダの客船を病院船に偽装し、ゴールデン・リリーに使用しているのが目撃されている。この船に関わる回収作業、日本の「ttenNoort」作戦も話をしよう(第十四章に詳しくある)。
その船は一九四五年、日本に帰ってきた後、数千トンの金やプラチナをのせたまま舞鶴の海軍基地付近で日本の海軍将校によって沈められた。回収された日本の船の名前も、回収にあたったオーストラリアの船と潜水艦の名前も、参加者によって撮影された写真ではっきりと見てもらえるようCDにのせておいた。
これらと、手紙そして図を含めてアメリカ政府高官や国防省の役人がいかにゴールデン・リリーの財宝を使いジョンバーチ協会、ムーニィー、そして極右のならず者と手を組み、その財宝を支配する新しい組織、FBIや産軍複合組織を作り上げることを望んだのかを見せよう。
これらのことは香港で一九八七年に行われた退役軍人、海軍大将ジョン・シングローブとレーガン政権下の国家安全保障理事会、ロバート・ショウワート将軍らの会合の録音テープが立証する。我々は読者に日本が金の延べ棒を隠すため、一九四二年に掘ったものと勘違いをし、マニラの近くの台所を四百フィートの深さの穴を掘ったことが普通の感覚からしてどうであったかを紹介しよう。
三百フィート以上掘るとそこは海面より下になる。将軍と理事長は回収に海軍の深海潜水夫と減圧装置を投入せねばならなかった。
数ヶ月も苦労を重ね、百万ドル以上つぎ込み、手ぶらのまま断念したのだった。
我々が同様のくだらない失敗で物語るのは、何故批判を直視し、すべてを開示することが差し迫って必要かを明らかにしたことだ。国家の安全とは官僚を守ることや汚職を隠すことではなく、おろかさを隠すことでもないはずだ。
六十年近く費やしてスイス銀行に隠されていた財産が回収され、ホロコーストの被災者へ与えられた。そしてワーゲンのような独企業で強制労働した者への補償を勝ち取り、家や会社から盗まれた工芸品は元の所有者へもどされた。日本占領の五十年記念に加え、これらの成功で他の被災者は正当な補償要求を主張するようはげまされた。被災者の間に空前の活動をもたらせた。太平洋戦争、最後の戦いはカリフォrニアの裁判所で行われた。そこで生き残った捕虜、強制労働者、慰安婦そして被災市民らが戦後不思議にも拒否された補償を勝ち取るための十億ドルの訴訟が行われた。
一九九五年、七十万人の大戦の被害者は、いまだに何の補償も受け取っていないことが推定された。その数は年齢と病気のせいで急速に減少している。
彼らの支えは、並々ならぬ活動家同士の提携と弁護団である。英政府は、彼らを黙らせるため、以前の被災者への支払いを停止することで、法的な流れを変えようとした。
ワシントンは、カリフォルニア裁判所から、連邦裁判へ移動させるというアプローチをとった。そこで彼らは、政治圧力に妨げられ、政府の代理人からの干渉で妨害された。
国務省と司法省は、一九五一年(昭・二六)の第十四項の平和条約を使い、戦争補償を他の被災者が、日本の三菱や住友のような富裕な企業に対し、大きな損害賠償を起すことを防いでいた。二〇〇〇年六月、米上院でユタ州のオリン・ハッチは国務、司法の弁護人に対して、一九五一年の平和条約が、すべての被災者の権利を剥奪したという主張が正当であると結論づけた。
「我々の連邦政府のくそたっれめ、バターン死の行軍や、虐待された人々の権利すべてを棄ててしまえというのか。条約の中にそのようにあるからって、個人の権利を政府が棄ててしまうなんてできるとおもっているのか?我々は日本政府に払ってくれと求めてるのではないんだ。日本では、今やいくつかの会社が数十億ドルの企業になっているというじゃないか。その企業に払えよといってるんだ。」
熱心な訴えにもかかわらず、二〇〇〇年九月二十一日、米地方裁判所判事バウン・ウィーカーは、アメリカ戦時捕虜とほかの捕虜労働者に対して裁定を下した。彼は却下した。
判決で、終戦以来の日米間に存在する外交条約をひっくり返すようなことは危険であるとのべた。前日本大使の三人は、ワシントンポストに手記を公表し、そんなアメリカ人からはみ出したような捕虜や弁護士はテロリストもどきである、という恐るべき意見をのべた。
本当に問題なのは利益のとりあいだった。
クリントン政権の間、米国の日本大使であったトーマス・フォーリィは、「平和条約は、日本に対するすべての主張を放棄するものだった。」と主張し、捕虜やほかの就労者に対する賠償をはずすことについて強固であった。
使節の長官クリストファー・J・ラフルアーは、事あるごとにそれを反復した。
フォーリィの妻は戦時中の捕虜労働に深く関わり、訴訟のまとである最大財閥企業のひとつ住友のコンサルタントになっている。彼女がもらっているたっぷりとした報酬は、被災者の補償に当てられるべきだ。フォーリィは、外交官としての役目を終えアメリカへ帰国した瞬間に、大複合企業体の顧問兼ロビー活動の契約をした。三菱・戦時捕虜労働者の最大使用者のひとつだ。
そして、おそらくとても重要なのは、ラフルアーは前首相であり、大蔵大臣経験者でもある宮沢喜一の娘と結婚したことだ。宮沢とジョン・フォスターダラスとは、かって一九五一年の条約を秘密に協議した日本人三人の中の一人である。(宮沢はまた、ロージア教授らとともに海外でのM資金融資を行ったと考えられている。)
補償論争は東京との外交的な役割の中で障害になるようにはみえなかった。今日では日本とアメリカが財政的な共謀をした十分な証拠が、国会公聴会や会計検査院の調査でわかってきている。外交上の嘘、汚職、取り繕いの半世紀の後、国家機密の一端を暴くときで、それは狡猾な圧政の体制である。議会に対し、米国民に対し、民主主義そのものに対し、ワシントンは十分に誠実な採算をする責任を負う。
マニラからバタンガス地方を少し沿岸沿いに下ると、いつの日かゴールデンリリーの記念公園として冷笑されることになる劇的な財宝の隠し場所がある。
ここは最近いくらかの日本人が発掘の努力をしていたところだ。
南シナ海を見下ろして、あまりにも多くのトンネルと銃座が備えられたので、その岬は『ナバーワンの銃座』というニックネームがつけられた。(我々は正確な場所を特定して答えることはできない。)
この複雑な秘密活動は、長期にわたるフィリピンの侵略行動の一環として一九二〇年前半、日本人によって始まった。財宝でいっぱいになったのは一九四四年(昭・十九)だ。
金の延べ棒を運ぶトラックを知っていた日本人の一団によって、その中の三つのトンネルはあけられていた。彼らはトンネルの一番外側に達しただけでも十分に満足だったので、それ以上は進まなかったため、深い坑道を発見することはなかった。
いったい、この財宝はどこからきたのだろう?
それは朝鮮から始まった


8 コメント

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今日、この項目に目を通して驚きました。「オルタ... (hourou)
2008-11-04 01:34:28
今日、この項目に目を通して驚きました。「オルタナティブ通信」や「日本人の知らない恐るべき真実」にも資本家や皇室の悪事が紹介されていますが、こちらの詳細な内容に驚きました。マヨさんの勇気にも感動しました。
なんでもブログに書く方ですがこれはちょっと転載は勇気がいります(汗)

マヨさん、まだロクにこちらのブログを読んでいないのにチョイチョイ顔出して失礼しました。

追伸:問題に関心がお有りなら益々、地球の謎解きはお勧めです。是非会員登録をなさって検索で膨大な情報を得てください。古代史研究の何かのお役に立つことと思います。

http://sora.ishikami.jp/
http://sora.ishikami.jp/member.html
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hourouさん、ありがとうございます。恐いもの知ら... (マヨ)
2008-11-04 10:03:30
hourouさん、ありがとうございます。恐いもの知らずでやってます。今に恐ろしいことが来るかもしれませんが、なんとか生き延びようと考えています。
返信する
>今に恐ろしいことが来るかもしれませんが、な... (hourou)
2008-11-04 12:45:03
>今に恐ろしいことが来るかもしれませんが、なんとか生き延びようと考えています。

マヨさんの勇気に仕事中にかかわらず泣けそうになりました。
真実追求がんばってください。
.........................................

地球の謎解き(ソラ伝)は、よく知りもしない人や理解できずにやめた人の中傷が激しく、
妙な先入観がネット上にあり、なかなかまともに受け取ってもらえません。
マヨさんはきちんと対応してくださってありがたいです。
私もブログの雰囲気をこわすことのないよう注意してコメントしたいと思います。

そこで
ブログ上にいちいち書き込むとおじゃまなこともあります。差し支えなければメールアドレスを教えていただけないでしょうか。
こちらからメールを出すとしてもすべてスルーで結構です。お知らせしたいだけなので。
マヨさんと同じく、地球の謎解きのチャネラーの方は命がけで天皇の悪などを公開してきました。
チャネリングの文章は、特有の読みにくさがありますが貴重な情報が多くあります。
私の本ブログの地球の謎解き紹介文と会員制になった理由の記事URLを張ります。
お時間がありましたら、どうぞ・・・
http://soraoooooo.blog84.fc2.com/blog-entry-51.html
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20080718185523
返信する
マヨさん、早速メールをありがとうございました。 (hourou)
2008-11-04 23:34:45
マヨさん、早速メールをありがとうございました。
........................................
サンカの方のレス、今頃気づきました^^;
それもうれしいコメントで!
綾部はやはり意味があるのですね。
紹介している割には勉強不足でテキトーですみません。
出雲でのチャネリング情報もアップして下さったので後ほどブログに転記します。
何かキーワードがあると思います。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/list.php?year=2008#20081026202153

>hourouさん、チャネリングと言いながら十分に研究されているとみました。タダ、有料なのがいまいち・・・・。綾部に注目したのは素晴らしいですね。ただし、邪馬台国に付いての考え方は違いすぎるかな・・・(笑
返信する
私もGold Worriors原書を取り寄せて、読み始めまし... (Tom Kodate)
2009-03-15 11:03:37
私もGold Worriors原書を取り寄せて、読み始めました。誰かが翻訳して出版すべきと考えます。尚、Marcos Legacy Revised:Raiders of the Lost Gold(Erick
San Juan著)を直接Eric San Juan 氏より頂 き、日本に於ける出版権をいただきました。未だ、手を付けておりませんが。
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TomKodateさん、こんにちは。Goldwarriorsの日本で... (mayo)
2009-03-15 11:20:01
TomKodateさん、こんにちは。Goldwarriorsの日本での出版は出来ないようですね。危険すぎるのでしょう。
そのエリック氏の本はマルコスの金塊の話ですか?そういえば、911事件の後、フィリッピンから大量の金塊が運び出されたそうですが、アキノ氏が保管していたマルコスの金塊だそうだと聞いています。どうなんですかね。
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黄金の兵士の全文を読みたいのですが、プロローグ... (Dave Sato 佐藤五十二)
2009-10-23 06:02:39
黄金の兵士の全文を読みたいのですが、プロローグから第4章まではみれますが、第5章以降ありませんが、どのようにしたら見れるかお教えください。
佐藤五十二 (LA在住)
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黄金の兵士の全文を読みたいのですが、プロローグ... (Dave Sato 佐藤五十二)
2009-10-23 06:28:19
黄金の兵士の全文を読みたいのですが、プロローグから第4章までは見れますが、第5章以降見れません。
全章見るにはどうすれば良いかお教えください。
佐藤五十二 (米国LA在住)
返信する

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