最近、古代史でいろいろなコメントをいただいている。私は今、6世紀から7世紀あたりの中央アジアに夢中で、国内のことはとても手が回らない。コメントは大歓迎ですが、適切な返事が出来ない恐れがあります、勘弁してくださいね。
従来は、高句麗対唐、あるいは、日本対朝鮮半島という構図で古代史を眺めてきたが、どう考えてもそれは日本的中華思想というべきで、唐という国はその半分を中央アジアと接し、高句麗や日本のことばかり考えているゆとりはなかったと考えるようになって来た。
拓跋鮮卑族である隋は、高句麗遠征中に突厥に背後を脅かされて滅び、その突厥の協力を得た鮮卑族の李淵が唐を建国する。その後、李世民は突厥を離間策を使い分裂させ、遂に自分が天可汗になった。630年ごろの話だ。それ以後、50年間、突厥族は屈辱を味わい、再び第二突厥帝国を築き上げる。私の感触では、高句麗の武将、淵蓋蘇文はソグド人で、突厥の残党を動かし、唐を挟み撃ちにしたのだと思う。したがって、則天武后が唐を簒奪し、周を建国したと言われるが、どうもそれが疑わしい。しかし、どうにも中国史書だけではそのあたりがはっきりしない。ただ、間違いなく言えることは、ソグド人の商人たちが自分たちの都合のいいように東アジアを操っていた可能性が強い。
広大な中央アジアを交易のために商団を率い移動し、高額な美術品や衣料品、そして武器、奴隷などを地域の要望に合わせオアシス間を行きかう。彼等にとって、道中の安全は最重要な課題なのだ。もちろん護衛兵を引き連れていただろうが、安全を保証し、商売の利益を守ってくれる王がいれば、彼等にとってそれが天可汗にふさわしい人物となるはずだ。
彼等の最も高額な商品は奴隷である、奴隷を獲得する一番簡単な方法は略奪だが、それには戦争が最も理想的な方法だ。彼等の持つ情報と金を使い、さらに遊牧民族を傭兵として雇えば、表向きは国同士の戦いだが、実はソグド人が裏で糸を引き、自作自演を演じたのではないか。そんなことを考えるのだが、なかなか尻尾はつかめない。
漢という国は匈奴と親戚関係にあり、シルクロードの交易はすべて匈奴が支配していた。しかしその漢も次第に欲を出し、徐々に西方向へ進出し、まんまと匈奴を亡ぼしてしまう。匈奴のくびきが取れたため、逆に中華本土は大混乱となり、最終的に匈奴族を味方につけた魏が勝利する。しかしその魏も司馬氏に簒奪され、またもや東アジアは動乱に見舞われる。しかしちょうどそのころ、フン族はローマ帝国と戦いに明け暮れていたのだ。つまり、匈奴の主力が西部戦線に移動していて東は留守だったのだろう。西にカザール帝国を残し、いよいよ東へ戻ってみると、なんと鮮卑が我が者顔であった。そこで突厥を利用し、隋や唐をコントロールした。
そんなにうまく世の中を動かすことが出来るだろうか、と言うのが私の研究である。
ソグド人が中央アジアを私の思っている方法で支配してきたとするなら、現代の世界は当然の事ながら、同じ支配構造で、同じ方法を使って支配されている可能性がある。
歴史観というのは簡単なものではない。ただし、陰謀論者として、現在の支配構造の原点が匈奴・フン族ではないかという視点で読み解くと言うのは、有力な歴史観だと確信している。問題は彼等が尻尾を見せないことなのだ。
この弓月(くんゆえ)が秦氏の故郷であるが、この地に「ヤマトウ」という地名がある。
しかし、現在この地周辺を描く地図には載ってなくて、この地を確認されたのは、ヴァンミータ・美子氏で著書『幻の橋』のなかで、「ニューヨーク・タイムズ社発行の70年前の地図帳を見て、ようやくその位置を確認した」と述べられている。
「ヤマトウ」はヘブル語でもアラム語でも「神の民」になるという。彼らが多く住んだ奈良や京都は古くから「ヤマト」と呼ばれたのは秦氏が日本に持ち込んだ中央アジアのこのヤマトウの地名ではないのかと・・・。
さらに、秦氏の故郷を調べてみると、すぐ近くに「ハン・テングリ山」と呼ばれる天山山脈に属する高い山があり、「ハン」は族長の称号、「テングリ」は天神のことだという。
このテングリは日本の天狗に通じる。
かって秦王国があった福岡県の豊前市には、天狗山の別名で知られる求菩提(くぼて)山がある。等々あります。
ソグド人については何処かで書かれたのを読んだのですが何処だったろー^^;
月はダル、クダラと読めないこともないと思います。私は弓月国が百済の王族も考えられます。
さてヘブライ語と日本語の訓ですが一応参考に
toru ;to take 取る
kaku; to write書く
sumu; to live住む
horobu; ruin滅ぶ
harau; exorcies祓う
agam(agumu))to get tired of (doing) 疲れる
aka(aki))weariness 飽きる
akar(akeru) to leave,to empty 空ける
anta(anata) you 貴方
avar(owari) finish 終わる
avna,Aramaic (iwane).stone 岩根
barer(bareru)to be exposed ばれる
haer(haeru)to shine 映える
hakar(hakaru)to measure ,to survey 計る
hake(hikae)to wait 控える
haya,Aramaic(hayai) fast 早い
hazaza(hazusu)to unfasten to remove 外す
havia(hebi) snake 蛇
horer(horeru, horu)to excavate 掘れる
kama(kome) rice.grain 米
karas,syria(karasu) crow カラス
kava(kawa)river,to transport the water 川
kor,(kori,koru) ice, cold 凍る 氷
kubita,syria(kabuto) hat, helmet (of armor) 兜
mavar(mawaru)to turn. pathway,detour 回る
mits(mitsu)nectar ,honey 蜜
mono,Aramaic (mono) thing. 物
motsa(matsu)exit ,end 末
nagav(nuguu)to wipe 拭う
nakamu(nikumu) hate ,revenge 憎む
nakar(nokeru)to repel 退ける 除ける
nasa (nasu 生す)to give birth 生す
nase(nasu) to try 為す
nigar(nagare)stream 流れ
sa'ar,syria(suru) to do する
shura, (shiro) castle 城
shagamu(shagamu) 曲がる、体を曲げて座る
tar'a(torii) 鳥居
tayarr(tayori) 斥候 便り
teura明かり,(teru) 照る
tsara(tsurai) 辛い
ya'an (yuen) 所以
yadamu(yodomu) 淀む
yadur(yadoru) 宿る
yae(yoi) 良い
yurshe(yurushi) 許し
galgel(guruguru) ぐるぐる回る
ha'ale(haoru) 羽織る 着る
heil(hei) 塀
ilui( erai) 偉い
label(kabul) 被る
kahal(kai) 集会 界
kalil(larui)軽い
kil mono(kimono) 着物
kol(koe) 声
ma'a gal(meguru) 円 巡る
tara(tare)垂れ
tul(tooru)歩き回る 通る
kashar(kusari)鎖
kush(kusa) 葦 草
mish'ol(michi) 道
nasi(nushi) 主
sha's(sai) ~の際
shage(chigau) 違う
shalal(sarau) さらう
shalva(saiwai) 幸福
shamar(sanurau) 護衛 仕える 守る 侍う > shamrai(samurai) 守る者
shuka(suki) 満足 好き
sima(shimau)物をしまう
siyuma(shimai) 終い
akkam(alami) 日焼け 赤み
hubura( iburu) 煙 燻る
halakh(aruku) 歩く
hatrakha(hataraku) 働く
haval(aware) 哀れ
hora(hora)洞
hut(ito) 糸
lekha(eki)分泌液 液
shekhar(sake) 酒
hakakh(kaku) 掻く
hibur(shibaru) 結びつき 縛る
nuakh(naki) 亡き
horesh(hayashi) 林
nagar syria( nagai) 長い
ra'a(ラ)アー 、raui (au) 会う
rama(アマ)(yama) 山
gaza(kaze) 風によってもたらされた物 風
gazamu(kizamu) 刻む
gesher(hashi)橋
gome(kami) パピルス 紙
mager(makeru)負ける
kaval(komaru)困る
tava(tama) 尊い 玉
tsavar(tumoru) 積もる
pa'am (fumu) 踏む
hashak(hoshii) 欲しい
hadt(oto) 音
karav(kuru)来る
katef(kata)肩
malkhuto(mikoto)尊 命
sagi 数が多いsugei 過ぎる>過ぎる
sha'af(suu)吸う
um(umu) 母 生む
yakad(yaku)焼く
したがって、言語としてのヘブライ語の影響力はもっと昔に南から伝わったと考えます。ただし、アルタイ言語が定着した後のことでしょう。
何年かに一度というか、忘れた頃に、
なんだかお参りに行ってしまう神社の
宮司さんが、本に先祖は3千年前?にバイカル湖あたりから北上山系を越えて来たテュルク族である?というような事を書かれていて、顔見知り程度なので、口伝なのか調べられたのか何なのか?解りませんが。
その方はどういう論なのかよく知らないのですが、日ユ同祖論も展開されてたと思いますので、うう~~んんん。となってしまってますだ。(笑
しかし、わたしゃ教養が無さすぎて、相当
勉強しないとご本人には聞けそうになくて
困っています。(とほほ・・・)
マヨさんのところで、勉強させてくださいね。
でわでわ。
Jewish settlers are documented in China as early as the 7th or 8th century CE, but may have arrived during the mid Han Dynasty, or even as early as 231 BCE[1].
中国の開封に来たのは3世紀と言う資料があります。朝鮮半島にも来ているかも知れません。しかし必ず先遣隊という人たちもいるでしょう。
蝦夷も約束の地から異民族を討伐したと言うアビシュから名づけたのかもしれません」
中央アジアを学びだして、国や部族の考え方がまったく壊れてしまいました。
日本ももちろんですが、単一民族などありえないのです。
どうしてもユダヤ人が日本へ来たとおっしゃりたいのでしょうが、もちろん来ています。しかし、たくさん渡来した中の一部がユダヤ人だったと考えます。
所謂、秦氏といわれる人たちですね。
訓などの語韻の類似性を考えると朝鮮語より信憑性があります
ハタはヒッタイトではないですか、籠神社の海部氏が本命と思っています。まあ、いずれにしても決め手となるものは少ないですが。