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Sparkring Life

旧・京都Sparkring Life
通って住んだ足掛け10年の京都生活を終え、横浜に住まい中。
書く人:maiky

四条御旅所 お囃子奉納

2007年07月21日 | 【京都】祗園祭


今日は「【祗園祭写真集】その2」も更新してあります


今日の無言参りは、朝8時過ぎに済ませてきました。

「誰とも口を聞いてはいけない!」の掟は、意外とプレッシャーです(笑)

お参りついでに撮影してたら、うっかり誰かに撮影頼まれたりしかねない。

なので今日は「お参りは朝、撮影は夜!」と決めて行って来ました。

御旅所では18~23日の19~21時まで、毎晩お囃子の奉納が行われています。

昨日の夜はミッキー鉾、もとい「放下鉾」でした。

今日は、菊水鉾!



大人の間に子どもが混ざって、リズムを合わせながら鉦を鳴らしています。

いま、八坂神社のご神体はこの御旅所の3基のお神輿に宿っています。



なので、お囃子のリズムは巡行の烏丸~河原町の「お渡り」と同様でゆっくり。

このお囃子は決して雰囲気作りではなく、八坂の神様に奉納している立派な行事です。



家にいても、巡行が終わっても、お囃子の音色が耳から離れなかった私。

鼓膜を刺激する鉦の音を、これでもかと耳に焼き付けてきました。

何だか感動して、涙が出そうになるのを必死で堪えながら。



巡行で京都の疫神を集めた鉾は、瞬く間に姿を消しました。

でも人の奏でる祗園囃子は、まだ手の届くところに存在します。



「火遊びするとおねしょするし、止めよし」

って、昔よく言われたような気がします。(標準語でだけど・笑)



無言参りをしている女性を、超至近距離で写真に撮るカメラマンがいました。

あれ・・・やだな。





お囃子の男の子にアドバイスしながら鉦を着く大人の姿がいい感じです。


【祗園祭写真集】その2:祭りびとの思い

2007年07月21日 | 【京都】祗園祭


今日、府立図書館で3時間ほど祗園祭の本を読み漁っていました。

自分の上半身ほどもある、館外不出の大きな資料本に印象的な序文がありました。



祗園会は1000年の歴史を持っていながら、祭の舞台は京都の大小の辻であり、

取り仕切るのは全くのアマチュアの人間たちである。



とか何とか。

昭和45年に刊行された、「祗園祭工藝名品集」という写真集でした。



改めて自分の撮影した写真を見返すと、「背中」の写真が多いこと多いこと。



そこにある色んな人の「思い」を、写真に残したかったのかもしれない。

そして、もちろん私の思いも写っている。

祭に参加する小さな子どもの背中さえ撮る私は、彼らを羨ましく思ってる。



私の思いがぶつかった背中が、どんな思いで何を見つめているのか。

それは本人にしか分からないけど、今この背中を見ている全ての人は、

思いを想像することができる。



さて、あなたの浮かべた「思い」は、誰の表情に一番近いですか?





伝統の世界にも、確実に時代の波が押し寄せています。



巡行の先陣をきる長刀鉾の先頭を歩くのは、2人の外国人でした。


また、とある外国人の方は、どうしても祭に関わりたくて、

何年にも渡ってその思いをぶつけ、貫き、そして町の人がその思いを受け止めました。

今年も彼は岩戸山の屋根方さんとして、新町通の細い辻を過ぎていきました。




日本の祭を大切にしてくれる、異国の人の思い。

こんな私に出来るのは、彼らに恥じない「知識」を身に付けること。


そうでなければ、軽々と「ありがとう」なんて言えない。


【祗園祭写真集】その1:子どもたちの巡行

2007年07月20日 | 【京都】祗園祭


今日から祗園祭の写真集をお送りしまーす

山鉾町の人たちが中心になって動いていく祗園祭。

そこには多くの可愛い子どもたちの姿がありました。



腕を振って元気に行進! トップの写真に抜擢です♪

おじちゃんと繋いだ手が小さくて、凄く可愛い。



いっぽうこちらは、ちょっと疲れちゃった綾傘鉾のお稚児さん。

袖を引かれた傘持ちさんに、手を繋いでやろうと腕を伸ばす方の表情が好き。




描かれた眉毛は凛々しいけど、本当の眉毛は下がってるの。

沿道の観客から「頑張れ~もう少しだよ」と声をかけられてました。



こちらは、四条傘鉾の棒振り踊りのお囃子&太鼓方の子たち。

地元・洛央小学校の3~5年生の児童です。



この頃は日が差して暑かったからね・・・かゆいかな(笑)

私、たすきがけをした背中って好きなんですよ。



こちらが、棒振り踊りの子。赤熊(しゃぐま)を被っています。

この子が履いている「たっつけ袴」は鉾の前懸と同じインド更紗。



そして、鉾に乗せられた稚児人形も立派な「子どもたち」です。



こちらは月鉾の「於兎丸(おとまる)」。

前年まで生稚児が乗りましたが、明治45年からは於兎丸くんに交代。

宵飾りの期間中、会所の二階でその姿を見ることができます。

私、屋台の金魚を見ながら「もし金魚を釣ったら、名前は於兎丸にしよう」と思ってました。

釣ってないけどね~。



こちら、稚児舞を見せる稚児人形、放下鉾の「三光丸」。

昭和4年から、生稚児に代わって登場しました。

産まれた時は八坂神社にも社参して「入魂」した、生きた稚児人形です。

両手の袖口には、くす玉がついていて可愛らしい♪

そして着物の柄に・・・隠れミッキー発見(笑)

放下鉾の州浜の形をしたシンボルですが、私にはミッキーにしか見えません。

なので、放下鉾のことを「ミッキー鉾~」と言って騒いでました。



函谷鉾の稚児人形「嘉多丸(かたまる)」は、何と天保10年(1839)生まれ!

当時生き稚児として乗る予定だった一条左大臣の息子・実良(さねよし)君の姿を

等身大モデルとして作られたものだそうです。身長120センチ。

それにしても立派な冠ですね~~~。ホレボレします。

ちなみに実良の妹さんは、後の明治天皇のお后・昭憲皇太后さんだそうです。



面長で口を開き、まるで生きているような鶏鉾の稚児人形

こちらは文久3年(1863)生まれで、あいにく名前はついていません。

その表情は幕末の人形らしさがとても良く表れているとか。

ちょっと見えないけど、冠の中央には雄鶏が据えられているようです。



能の舞台から飛び出してきたようなこの稚児人形は、菊水鉾の「菊丸」。

昭和31年生まれで、人形師は無形文化財の岡本正太郎さん!

右手に唐団扇を持つ能の舞姿で、童子の素顔として作られたそうです。




行列に参列する子どもたちや、鉾に乗るお囃子方の子どもたち・・・。

この稚児人形をお友達として、これから先の祗園祭を担っていってくれるはずです。




御旅所 無言参り

2007年07月19日 | 【京都】祗園祭

祗園祭も後半にさしかかりました。今は24日の還幸祭まで静かな時…。

その静けさを象徴する行事が、17~24日の「御旅所 無言参り」です。

17日の神幸祭で四条寺町の御旅所に3基のお神輿が鎮座します。

ここには八坂神社の祭神が宿り、7日間毎日お参りすると願いが適うとされています。

注意点は、参拝中はもちろん家に帰るまで誰とも口を聞いてはならないこと!

よって、無言参りです。

私も17日の夜23時過ぎに御旅所へ出かけました。

18時に出発したお神輿が21時頃に御旅所へ着くというので、時間をずらして。

そしたら・・・!



ちょうど西御座の「おいで」真っ最中でした!!!

また凄いところに遭遇してしまいました・・・。慌てて携帯で撮影。


「今日最後だからなぁ!怪我しないでくれよっ!!頼むぞ!!」

「ヨォーサノッ!ヨォーサノッ!」



錦神輿会(にしきしんよかい)の熱い声が響き渡ります。

「もう少し東!それから南!!」


位置の確認は東西南北で指示を出します。

無事に西御座の奉安を済ませると、先に到着していた2基の位置を調整。

「三若さんと四若さんのお神輿も動かすぞ!丁寧にやってくれよ!」


何だかこの言葉を聞いて、凄くお神輿が大事にされていることを痛感しました。

最も、貴重なお神輿には変わりないのですが・・・。

「それぞれの神輿をそれぞれが大事にしていることをそれぞれが理解している」

なんだかそんなことを感じて、ちょっと感動しておりました。




あら、そんなところに木材の収納スペースが・・・。

ここで無事に作業は終了し、八坂神社の禰宜さんたちが神宝を飾るために動きました。

で、ちょうど私の目の前に禰宜さんたちが来たとき。

ゾクゾクッとしました。

何だろう・・・。祗園祭に不思議な縁を感じている私。何だったんだろう。



<東御座>


この写真たちは、17日の準備段階のもので、今は立派に飾りつけがされています。

さきほど、本日の無言参りを済ませてきました。

ただ・・・。

昨日16時~25時までありえない昼寝をしてしまったんで昨日は行けてないんです(笑)

なので、初日に伝えたお願い事は「自分で何とかします」と言い(笑)、

「月鉾で榊をいただきました♪」と報告してきました。


明日、無言参りとは別にゆっくり御旅所を見学してこようっと



では、偶然にも「おいで」の現場に遭遇した動画をご覧下さい。

熱いです・・・。





最後の「エンヤラヤー」

2007年07月19日 | 【京都】祗園祭


巡行の翌日、18日の13時半頃・・・。

バイトが終わって本屋へ寄り道し、いつもより少し遅めに帰路へつきました。

そしてちょうど月鉾の前にさしかかったとき。

「エーンヤーラーヤー!」

という掛け声が聞こえてきたのです。



月鉾が、その姿を大地に横たえた瞬間でした。

私は最後の「エンヤラヤー」を聞くことが出来たのです。

いつもより遅かったのに、また偶然にも凄い現場に立ち会えてしまいました。



巡行で音頭取をされていた方。この笑顔が「楽しんでいる姿」をよく伝えてくれます!



むむっ?



どうやら、真木につけられていた榊は一般の方に配ってくれるようです。

このおばちゃんは町内の方かな? マイ・はさみ持参でチョキチョキ励んでいました。

そして!

私にも分けてくれました!!!

もう運が良すぎとしか言えないです・・・感謝感激雨あられ。

ちょうど、友達とメール交換中で「今年は祗園祭運が良くて…」と打っていた矢先。

自分でもおかしくなってしまいました



思えば、鉾建て始めの10日早朝、まだ材木運び出しの時から月鉾を見てきました。

12日には櫓の中を拝観させていただき、粽もいただいてきました。

その時も、人が少なかった幸運で「山鉾随一の美術品」と言われる懸装品を、

この目で見、この手で触れ、写真撮影も許可してくれました。

そして私はこの月鉾のお囃子が一番好きになりました。

たくさんの感動をいただき、思い出をたくさんもらった月鉾の、榊・・・。



いま、南観音山の柳の葉と共に玄関先で家を守ってくれています・・・。