![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/fe/7a798496b55ebafc91f5ea2501cde240.jpg)
アメリカ合衆国の国会議事堂(連邦議会議事堂)の次に、向かった
のがこちらです。
一昨年前の旅行では立ち寄れませんでしたが、日本人なら訪れて
おくべきスポットの一つと言える場所です。
「日系アメリカ人記念碑」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e7/0fc6800792e9bbd9882a03462d637bd4.jpg)
アメリカ合衆国の国鳥といえば、「白頭鷲」でしょうが・・・・
ここには、鶴のモニュメントがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/48/71afcb306cd1099c5f84808f2541db11.jpg)
近寄ってみて吃驚・・・・
有刺鉄線が絡まった2羽の鶴のブロンズ像です。
第2次世界大戦中に日系移民たちが強制収容所へ、送り込まれた
苦難を象徴しているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ff/cc059f2645b557e3f992434b8f833c9c.jpg)
2羽の鶴のブロンズ像は、本物の有刺鉄線でグルグル巻きにされていてます。
モニュメントとして、非常に痛々しく思える光景です。
また、周囲の壁には全米10ケ所の強制収容所名と、そこに収容された日系
アメリカ人の収容人数、そしてアメリカ合衆国のために命を捧げた戦士たち
の名前が刻まれていました。
太平洋戦争開戦後、突如として”敵国人”扱いになり強制移住等を強いられ
た苦難の歴史を今に伝えている貴重な記念碑だと思います。
合衆国内における、全ての強制収容所は人里離れた内陸部にありました。
その多くは砂漠地帯に設けられ、しかも逃亡者を防ぐために有刺鉄線の
フェンスで外部と完全に遮断されていました。
強制収容所警備員の銃口は、常に収容者に向けられていたといいます。
のがこちらです。
一昨年前の旅行では立ち寄れませんでしたが、日本人なら訪れて
おくべきスポットの一つと言える場所です。
「日系アメリカ人記念碑」でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/e7/0fc6800792e9bbd9882a03462d637bd4.jpg)
アメリカ合衆国の国鳥といえば、「白頭鷲」でしょうが・・・・
ここには、鶴のモニュメントがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/48/71afcb306cd1099c5f84808f2541db11.jpg)
近寄ってみて吃驚・・・・
有刺鉄線が絡まった2羽の鶴のブロンズ像です。
第2次世界大戦中に日系移民たちが強制収容所へ、送り込まれた
苦難を象徴しているのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ff/cc059f2645b557e3f992434b8f833c9c.jpg)
2羽の鶴のブロンズ像は、本物の有刺鉄線でグルグル巻きにされていてます。
モニュメントとして、非常に痛々しく思える光景です。
また、周囲の壁には全米10ケ所の強制収容所名と、そこに収容された日系
アメリカ人の収容人数、そしてアメリカ合衆国のために命を捧げた戦士たち
の名前が刻まれていました。
太平洋戦争開戦後、突如として”敵国人”扱いになり強制移住等を強いられ
た苦難の歴史を今に伝えている貴重な記念碑だと思います。
合衆国内における、全ての強制収容所は人里離れた内陸部にありました。
その多くは砂漠地帯に設けられ、しかも逃亡者を防ぐために有刺鉄線の
フェンスで外部と完全に遮断されていました。
強制収容所警備員の銃口は、常に収容者に向けられていたといいます。
戦中の日本人の大変な光景が目に浮かびます。
戦争って、様々な痛みを味わうのですよね。
ですね。ある意味自国のした痛ましい事
を、しっかり受け止めるアメリカの姿勢は
に真摯なものを感じます。
無かったかもしれませんね。アメリカ側も「唯一の汚点」と、考えている様ですが・・・・
余計に日系人達は、祖国としてのアメリカを背負う羽目にもなったでしょうね。
日本国に責任があっても、日系移民たちには全く罪は無かったのに・・・・何故と思ったことでしょう。