『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

駮の馬(ぶちのうま)

2007-10-05 12:47:20 | 信長公記の蔵:馬篇
駮の馬(ぶちのうま)

①1582年1月爆竹馬場入りのとき、信長は仁田から進上

 された「やばかげ」、奥州から進上された「駮の馬」・

 「遠江鹿毛」の名馬三匹を乗り回し、矢代勝介にも

 乗させた

②信長秘蔵の馬。1577年11月信長が東山で鷹狩をした

 ところ、愛蔵の鷹が折からの風雪にあおられて大和国

 まで飛んでいってしまった。方々探していた所越智玄蕃

 がその鷹を捕らえ持参する。信長は喜び服・秘蔵の

 駮の馬を下した上、越智の望みに応じ闕所となった

 知行地を回復させた

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