<初出:2007年の再掲です>
巻一の七 五郎左衛門、信長をしかること
「お疲れのところ申し訳ないが、殿、北やぐらま
でお越しいただきたい」丹羽五郎左衛門長秀は、桶
狭間から戻ってきた織田信長に休む間を与えず、い
つもの清洲の居所へ導く。長秀から勝利を祝っても
らえると思っていた信長は、ただならぬ長秀の導き
に血の気を失う。だいたいにおいて、長秀が良いこ
とを言いたい場合は家臣がいる前で行なう。居所の
北やぐらに連れて行かれるということは、信長に対
して怒鳴り倒す前触れである。
「こら、三郎!約束では三河方面の一部を駿河方
に渡し、軽く手合わせして降参する予定であったろ
うが!それが何の因果で今川治部少輔義元殿の首級
を獲ってきたのだ!お前も知ってのとおり、今川家
とほぼ同盟関係にある北条家は、伊勢宗瑞殿が駿河
に下ってきたときまでさかのぼると朝廷の有職故実
を司る由緒正しき伊勢家の流れであるぞ!いま、織
田信長がいくさで義元殿を討ったとなれば、朝廷を
巻き込んで尾張周辺の国々に我々を滅ぼす大義名分
を与えることになることぐらい稚児でもわかるだろ
うが!ふざけるな!」口角泡を飛ばすとはこのこと
か、長秀は目じりから血が出るほど目を見開き、文
字通り唇にあぶくを吹きながら、脇差を畳にたたき
つけて信長を罵倒する。「うっ、ぐっ、むう・・・」
信長もあまりにも激しい長秀の罵り方に声を詰まら
せる。「やをれ、たしかにうけ賜れ五郎左よ(いい
かよく聞け、五郎左よ)。お前のいいたいことはよ
くわかる。いいたいことは非常によくわかるし、自
分も笠寺につくまではお前の言うとおりの筋書きで
進軍していたのだ。怒鳴る前にまず儂の話を聞け、
五郎左衛門!」通常は柴田権六勝家を含めて三名で
打ち合わせをすることになっているが、この時勝家
は尾張東部の守備にあたっており、かといって勝家
が戻ってくるまで先延ばしすることのできない火急
の用件であったため、二人で冷静に打ち合わせを行
なうことにしたものである。一度心を落ち着けて信
長から話を聞いたところ、以下の通りであった。
*信長としては予定通り笠寺まで行き、丸根要害を
守備していた佐久間大学盛重と鷲津要害の織田玄
蕃秀敏がひといくさしてここに集合するのを待ち、
鳴海城に籠もる駿河方岡部元信に撤退の意思を伝
え、引き退くつもりであった。
*ところが大高城の番であった松平次郎三郎元康は、
尾張方が一手手合わせしてから『番五の使い』を
送って撤退の申し出をしようとしたところ、何を
血迷ったか『番五の使い』を弓で射殺してしまい、
あまつさえ丸根・鷲津両要害を総攻めで滅ぼそう
としたのである!
*信長が笠寺から善照寺に移動したところ、丸根と
鷲津から決死の働きで逃げ戻ってきた家臣が血だ
らけの姿で、「あのやり口は許せない!死んでも
許さない!」と口々に訴えたので、いくら何でも
このようないくさ場での無作法を許すわけにはい
かず、結果がどうなろうと「大高城に居る松平元
康だけは攻め滅ぼす」と覚悟を決めて進軍したの
である。
*ところが途中から強い雨が降り出し、使いにやっ
た『飛び馬』たちからの知らせも、いわく「元康
は大高城に居る」、いわく「いや元康は桶狭間山
の義元本陣に助太刀に向かった」などと錯綜した
うえ、大高方面から特段の攻撃もなかったため、
「元康が大高城に居るならば大高方面から攻撃が
あるはず。その攻撃がないということは、元康は
桶狭間山に向かったはず」と判断して桶狭間山に
攻め登ったという次第であった。
長秀が黒田城から戻ってくるときに不安に思ってい
た『松平元康の不始末』が現実のものとなっていた。
「元康を滅ぼすために登っていった桶狭間山で駿河
方と一戦を交えることになり、乱戦となった。家臣
の毛利新介が敵の武将を討ち取ったと聞き駆けつけ
てみると、下っ端の武士にはわからなかったのだろ
うが、何と治部少輔義元殿の首級が置かれていたと
いう次第だったのだ」信長が一気にしゃべり終わる
と二人の間には重苦しい沈黙が流れた。しばらくす
ると「どうしたものか」と二人同時につぶやく。長
秀はそうつぶやきながら、頭を光の速さで回転させ
て申上する。
「殿、ことの成り行きは承知。まずは、駿河方から
幕府・朝廷へ働きかけがなされる前にこちらから動
く必要があるのはお分かりのはず」
「うむ」
「それには昨日、妾が訪問した黒田城の和田定利か
ら佐々木六角義賢の家臣である兄和田惟政を通じて
情報を押さえ込むのが京に一番速く効くかと」
「うむ、五郎左衛門の言うとおりである。因みに今
回放置していたが武衛公が尾張に要らざる人物であ
ることも付け加えておいてくれ」
「御意」
「儂のほうでは、『今回たまたま乱戦となり恐れ多
くも駿河の太守義元殿の首級を獲ってしまった。駿
河に対しては何の意趣もないので申し訳ないことを
した』という筋立てで『鳥』を『風』で飛ばそうか
と思うが如何?」
「うむ、さすが三郎、いや殿、いい考えだ!そのと
きにあえて『松平元康』の名前は出さず、『戦の最
中に無作法をした者がおり、そのためにこのような
混戦となった』とする筋立てはどうだ?こうなった
ら三河の大たわけを徹底的にいじめてやろうではな
いか?」
「わしもそのつもりだ!現にあまりにも腹が立った
ので、大高城には弓一本も射ずに戻ってきてやった
わ!はっ、はっ、はっ!」
城にこもっている者は敵が少しでも攻撃を仕掛けて
くれればひといくさして撤退するという体裁が作れ
るが、攻撃がないままの退却は物笑いの種となる。
その意味で『無視』が一番厳しい罰となるというこ
とである。
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<JR岐阜駅前の黄金の信長公像>
巻一の七 五郎左衛門、信長をしかること
「お疲れのところ申し訳ないが、殿、北やぐらま
でお越しいただきたい」丹羽五郎左衛門長秀は、桶
狭間から戻ってきた織田信長に休む間を与えず、い
つもの清洲の居所へ導く。長秀から勝利を祝っても
らえると思っていた信長は、ただならぬ長秀の導き
に血の気を失う。だいたいにおいて、長秀が良いこ
とを言いたい場合は家臣がいる前で行なう。居所の
北やぐらに連れて行かれるということは、信長に対
して怒鳴り倒す前触れである。
「こら、三郎!約束では三河方面の一部を駿河方
に渡し、軽く手合わせして降参する予定であったろ
うが!それが何の因果で今川治部少輔義元殿の首級
を獲ってきたのだ!お前も知ってのとおり、今川家
とほぼ同盟関係にある北条家は、伊勢宗瑞殿が駿河
に下ってきたときまでさかのぼると朝廷の有職故実
を司る由緒正しき伊勢家の流れであるぞ!いま、織
田信長がいくさで義元殿を討ったとなれば、朝廷を
巻き込んで尾張周辺の国々に我々を滅ぼす大義名分
を与えることになることぐらい稚児でもわかるだろ
うが!ふざけるな!」口角泡を飛ばすとはこのこと
か、長秀は目じりから血が出るほど目を見開き、文
字通り唇にあぶくを吹きながら、脇差を畳にたたき
つけて信長を罵倒する。「うっ、ぐっ、むう・・・」
信長もあまりにも激しい長秀の罵り方に声を詰まら
せる。「やをれ、たしかにうけ賜れ五郎左よ(いい
かよく聞け、五郎左よ)。お前のいいたいことはよ
くわかる。いいたいことは非常によくわかるし、自
分も笠寺につくまではお前の言うとおりの筋書きで
進軍していたのだ。怒鳴る前にまず儂の話を聞け、
五郎左衛門!」通常は柴田権六勝家を含めて三名で
打ち合わせをすることになっているが、この時勝家
は尾張東部の守備にあたっており、かといって勝家
が戻ってくるまで先延ばしすることのできない火急
の用件であったため、二人で冷静に打ち合わせを行
なうことにしたものである。一度心を落ち着けて信
長から話を聞いたところ、以下の通りであった。
*信長としては予定通り笠寺まで行き、丸根要害を
守備していた佐久間大学盛重と鷲津要害の織田玄
蕃秀敏がひといくさしてここに集合するのを待ち、
鳴海城に籠もる駿河方岡部元信に撤退の意思を伝
え、引き退くつもりであった。
*ところが大高城の番であった松平次郎三郎元康は、
尾張方が一手手合わせしてから『番五の使い』を
送って撤退の申し出をしようとしたところ、何を
血迷ったか『番五の使い』を弓で射殺してしまい、
あまつさえ丸根・鷲津両要害を総攻めで滅ぼそう
としたのである!
*信長が笠寺から善照寺に移動したところ、丸根と
鷲津から決死の働きで逃げ戻ってきた家臣が血だ
らけの姿で、「あのやり口は許せない!死んでも
許さない!」と口々に訴えたので、いくら何でも
このようないくさ場での無作法を許すわけにはい
かず、結果がどうなろうと「大高城に居る松平元
康だけは攻め滅ぼす」と覚悟を決めて進軍したの
である。
*ところが途中から強い雨が降り出し、使いにやっ
た『飛び馬』たちからの知らせも、いわく「元康
は大高城に居る」、いわく「いや元康は桶狭間山
の義元本陣に助太刀に向かった」などと錯綜した
うえ、大高方面から特段の攻撃もなかったため、
「元康が大高城に居るならば大高方面から攻撃が
あるはず。その攻撃がないということは、元康は
桶狭間山に向かったはず」と判断して桶狭間山に
攻め登ったという次第であった。
長秀が黒田城から戻ってくるときに不安に思ってい
た『松平元康の不始末』が現実のものとなっていた。
「元康を滅ぼすために登っていった桶狭間山で駿河
方と一戦を交えることになり、乱戦となった。家臣
の毛利新介が敵の武将を討ち取ったと聞き駆けつけ
てみると、下っ端の武士にはわからなかったのだろ
うが、何と治部少輔義元殿の首級が置かれていたと
いう次第だったのだ」信長が一気にしゃべり終わる
と二人の間には重苦しい沈黙が流れた。しばらくす
ると「どうしたものか」と二人同時につぶやく。長
秀はそうつぶやきながら、頭を光の速さで回転させ
て申上する。
「殿、ことの成り行きは承知。まずは、駿河方から
幕府・朝廷へ働きかけがなされる前にこちらから動
く必要があるのはお分かりのはず」
「うむ」
「それには昨日、妾が訪問した黒田城の和田定利か
ら佐々木六角義賢の家臣である兄和田惟政を通じて
情報を押さえ込むのが京に一番速く効くかと」
「うむ、五郎左衛門の言うとおりである。因みに今
回放置していたが武衛公が尾張に要らざる人物であ
ることも付け加えておいてくれ」
「御意」
「儂のほうでは、『今回たまたま乱戦となり恐れ多
くも駿河の太守義元殿の首級を獲ってしまった。駿
河に対しては何の意趣もないので申し訳ないことを
した』という筋立てで『鳥』を『風』で飛ばそうか
と思うが如何?」
「うむ、さすが三郎、いや殿、いい考えだ!そのと
きにあえて『松平元康』の名前は出さず、『戦の最
中に無作法をした者がおり、そのためにこのような
混戦となった』とする筋立てはどうだ?こうなった
ら三河の大たわけを徹底的にいじめてやろうではな
いか?」
「わしもそのつもりだ!現にあまりにも腹が立った
ので、大高城には弓一本も射ずに戻ってきてやった
わ!はっ、はっ、はっ!」
城にこもっている者は敵が少しでも攻撃を仕掛けて
くれればひといくさして撤退するという体裁が作れ
るが、攻撃がないままの退却は物笑いの種となる。
その意味で『無視』が一番厳しい罰となるというこ
とである。
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