5月7日、「元藤沢市議会議員・瀬川進」氏の「お別れ会(通夜)」が、和田斎場でしめやかに行われた。
私と瀬川さんとは、会派は違うが16年間「藤沢市議会」と言う「同じ釜お飯」を食べた、戦友(先輩)である。
思い起こせば、語り尽くせない多くの思い出がよみがえる。 お酒が大好きで、機会有るごろに、増井君飲もうやと言って誘って頂いた。
「思い出」の中でも忘れられない一つとして、ある時、12時近くまで2人で飲み歩き、そろそろ帰ろうかと自宅に電話を取ると、娘が出て、(お爺さんが亡くなったよ、皆で手分けして探していたのに何処い居たの」とのこと。
大慌てで、夜中にタクシーで病院まで駆けつけ、皆から大目玉を食った事が有りました。
勿論、携帯電話などまだ普及する前です。
それから、2人で飲むときいつもその話が、話題になりました。
また、中国の「昆明」に都市親善のため参加した時にも、1週間同じ部屋で、夜は毎日「白酎」を飲んで語りあった事。 今は忘れられない思い出です。
先輩のご冥福を、心からお祈り致します。
私と瀬川さんとは、会派は違うが16年間「藤沢市議会」と言う「同じ釜お飯」を食べた、戦友(先輩)である。
思い起こせば、語り尽くせない多くの思い出がよみがえる。 お酒が大好きで、機会有るごろに、増井君飲もうやと言って誘って頂いた。
「思い出」の中でも忘れられない一つとして、ある時、12時近くまで2人で飲み歩き、そろそろ帰ろうかと自宅に電話を取ると、娘が出て、(お爺さんが亡くなったよ、皆で手分けして探していたのに何処い居たの」とのこと。
大慌てで、夜中にタクシーで病院まで駆けつけ、皆から大目玉を食った事が有りました。
勿論、携帯電話などまだ普及する前です。
それから、2人で飲むときいつもその話が、話題になりました。
また、中国の「昆明」に都市親善のため参加した時にも、1週間同じ部屋で、夜は毎日「白酎」を飲んで語りあった事。 今は忘れられない思い出です。
先輩のご冥福を、心からお祈り致します。