5月28日(日)公明党街頭演説会が開催されました。
藤沢市は「藤沢駅南口」と「辻堂駅北口」の2か所で開催、弁士は「渡部 均県会議員」と次回「衆議院比例区予定候補者の石毛 宏幸」がマイクを握り熱弁を振るいました。
同時に公明党が作成した「防災・災害ブックレット(いざという時の対応策)」を配布させていただき、道行く人にも気軽に受け取って戴きました。
(写真・辻堂北口にて)
この福祉センターは、沖縄県の那覇市にあります。
今回は特に認知行動療法(CBT)を中心とした「うつ病デイケアの概要と有効性」について視察をさせていただきました。
まず、「うつ病デイケア・CBT普及の意義と課題として。
1、急増する自殺の最大の原因はうつ病であり、その対策の強化が必要。
2、うつ病の自殺対策には、早期発見・早期治療とともに、慢性うつ病の回復支援、再発予防支援が重要。
3、慢性うつ病の回復にうつ病デイケア及び集団CBTが有効というエビデンスを明らかにした。
4、うつ病デイケア及び集団CTBの実施施設は県内外でまだ一部であり、継続した普及対策を必要。
5、普及のためには研究システムの確立が必用不可欠であり人材及び財源の充実がもぞまれる。
以上、このセンターの取り組みの特徴のについては、またの機会に報告したいと思いますが、自殺大国日本の汚名を一日も早く挽回したいものです。
「やんばる学びの森」の正式名称は「沖縄県国頭村やんばる学びの森」といいます。
国頭村は沖縄県の一番北に位置しており、戦前は陸路が無く那覇市等の南部方面に行くには海路が唯一の交通手段であっそうです。
戦後は本土復帰まで現在でも、米軍のジャングル訓練が行われている地域で、最近まで開発が行われていませんでした。
そのような条件が幸いして、世界でも貴重な動植物が生息しています。
特に、30年前に発見された「やんばるクイナ」の存在は、世界を驚愕させました。
今回の視察は、これからの「環境保全と観光を」いかにしていくか、その取り組みについて学んできました。
特に、夜の「ヤンバルの森」の探索は非常に興味深いものでした。多くの昆虫・爬虫類・両生類、また、初めて聞くような鳥類の鳴き声等、生まれて初めての体験に感動しました。
おまけに大きな「サプライズ」として、天然記念物の野生の「ヤンバルクイナ」に遭遇したことです。
写真やテレビ等でいしか見ることが出来ない、また地元の人でも肉眼で見たことが少ない、その「ヤンバルクイナ」を肉眼で、しかも夜のジョングルの中で見ることが出来るなんて、運がいいとしか言いようがないチャンスに恵まれ、感動しました。
平成24年度2月定例議会が3月28日閉会しました。
今回の議会は通常の議会とは違い、平成24年度の予算を決める重要な議会です。
また、今回の当初予算案は市長選挙の絡みもあり、前市制が作成した「骨格予算」です。
骨格予算とは、市長選挙の結果で市長が変わる可能性がある場合、新市長の政策や施政方針、選挙公約等を当初の予算に組み込む事が日程的に難しいことから、前市長の基で最低限必要となるものだけを組入れた「予算案」のことです。
今後6月に行われる「第2回定例議会」にて、鈴木新市長の政策が「補正予算案」として提出され、委員会で審議されることになります。
この厳しい財政状況の中どのような市の舵取りをしていくのか、鈴木新市長の腕の見せどおろです。(写真:代表討論の小生です)
わたしも地元選出の市議会議員として、ご招待を頂き出席させていただきましたよ。
新しく開所したステーションは、長後商店街土曜道り、旧「松月堂菓子店」さんの店舗です。
また、このステーションの目的は長後地区における「安全で安心して暮らせるまちづくり」を推進するために、防犯活動をみんなで協力して進める拠点として開設されました。
またそのほか、どなたでも気軽に立ち寄って頂けるような憩いの空間でもあります
2008年、第1号が鵠沼地区にオープン、その後村岡地区・湘南台地区・片瀬地区・御所見地区、そして今回の長後地区で6ヶ所となります。
ちなみにこの場所は、私がいつも選挙事務所として使わせて頂いている隣になります。
皆さんも近く寄りましたら是非寄って言ってくださいね。
私も来賓としてご招待いただき、出席させて頂きました。
式典は2部形式に分かれ、前半では祝辞や表彰・祝電の披露等が続き、2部では昼食を挟んで中国琵琶の演奏や慶応義塾大学SFCスペイン舞踊部によるフラメンコ等が賑やかに行われ、皆さん楽しいひと時を過ごされていたようです。
海老根市長も2日間出席され、結婚60年(5組)・50年(37組)の方、100歳以上(7人)のご長寿の方に色紙を贈呈しお祝いの言葉を述べられていました。
今回、私も地元市議会議員を代表してご挨拶させていただきました(写真)。
今回は、「思い出探し」グループへ配置され、津波で流され持ち主もわからず、海水とバクテリアにより侵食されて、かろうじて残る絵を崩れないように丁寧に水で洗い乾かす作業です。
津波は全てを押し流してしまいましたが、せめて家族の思い出だけでも、持ち主に戻ればとの願いを込めての活動でした。