今、「ボビー」と言う映画が上映されています。
此れは、1968年、凶弾に倒れたJFKの弟、「アメリカ合衆国元司法長官」ロバートケネディーが「アンバサダーホテル」で暗殺される一日を、同日そのホテルで生活していた、色々な立場の人たちの日常生活を通しながら、その当時のアメリカの状況と、ロバートケネディーへの国民の期待と暗殺された時の失望等を描いた作品です。
息子が、映画のパンフレットとRFKに関する本を「親父、此れを見ろ」と言って渡してくれました。
小生も、ケネディー兄弟には当時から政治姿勢に関心が有りましたし、暗殺された当時も18歳の感受性か高った年代でしたし、高校の帰り、横須賀駅を降りてアメリカ海軍基地に懸っていた半旗を見てロバートが死んだ事を知ったとき、日本人の私も、なんとなく空しい感じを覚えた事を思い出します。
私は、選挙で選ばれる人、また、人の上に立つ者「政治家・会社の役員・公務員」等は、一般の人よりも更に重い社会的責任が有り、常にその事を感じ「社会正義」を実行し、社会に奉仕て行かなくてはならないと思っています。
「プリンスフル」「ノーブレスオブリージ」と行った言葉が、西洋ではあります、此れは、「道理を重んじろ・社会的地位の高い者は、その分他人に尽くせよ」、とでも訳すのでしょうか、戦後処理の裏方「白州次郎]がよく口にしていたと聞きます、勿論日本にも同意語は有ります。
私は、RFKは此れを実践しようとした数少ない政治家の一人であり、当時のアメリカ庶民の「希望の星・人生の生きがい」ではなかったのかと思います。
その「星」を、一瞬にして粉砕してしまった「暴力」、私はそれ自体に怒りを感じます、また、彼はその暴力が、暴力を生む「暴力の連鎖」を無くす事を、自身の心の奥底の秘めた政治家であったと思います。
「ノーブレスオブリージ」此れこそが政治家の在るべき姿であると確信します。
これが「ボビー」を読んで感じた感想です。
此れからも頑張ります。