音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

少年時代

2010-07-07 22:00:47 | 本・雑誌
最近は一層読む気がしなくなった日経「私の履歴書」に比べて、私の中でポイントが高いのは読売朝刊「時代の証言者」です。(以前もこのブログで山田太一氏の回を取り上げましたが) 先月の王さんに続いて、今連載中の藤子不二雄Aこと安孫子素雄さんのエピソードが毎日とても興味深い。

安孫子さん曰く「童心を持ち続けられた本当の天才」だった相棒の藤子・F・不二雄さんと違って、氏はある時から児童漫画がしんどくなってきたそうです。それゆえに、独自の作品世界を作り上げていきます。趣味から着想した「プロゴルファー猿」、自身のいじめ体験が元になっている「魔太郎が来る!!」、ブラックなユーモアの「笑うせえるすまん」などなど、私が子どもの頃に心惹かれたのは、安孫子さんの漫画の方でした。放映中のNHK朝の連続小説「ゲゲゲの女房」が大人気ですが、先日の回で、講談社と思しき大手出版社のコミック雑誌編集者が「ざらっとした」と水木漫画の魅力を評すシーンがありました。一時の安孫子ワールドも、他の少年漫画と違って、たしかにこの「ざらっとした感覚」があったように思います。

今日(7/7)の回は、あの「少年時代」の逸話です。「少年時代」が『週刊少年マガジン』に連載されたのは1978年~79年でしたが、ということは、私がリアルタイムで主人公の進一の設定とちょうど同じ学齢(小学5年生)だったわけで、それもあってか夢中で貪り読んだ記憶があります。

太平洋戦争末期、東京世田谷で副級長なぞ務める優等生の風間進一は、弟の進二とともに富山県のド田舎に疎開することになります。そこで出会ったのがガキ大将のタケシ。ガキ大将といっても、ドラえもんのジャイアンみたいな図体だけデカイ低脳男子ではなく、頭が良くて病身の父親の代わりに家の畑仕事では中心的な担い手も務める孝行息子でもあります。しかし一方では、中学生をも喧嘩でのしてしまうほど腕っ節が強く、級長として、というより絶対専制君主として同級生たちを支配しています。

このタケシが、不用意に町に出てピンチに陥った進一を助けてくれたり、二人きりの時には優しくて一緒に夢を語り合ったりもするのですが、集団の中では態度を変え、気に入らないことがあると取り巻きを使って苛めにかかるわけです。これには進一も少なからず混乱します。タケシに貢物を差し出した者は隊列でいいポジションを与えられるので、いつしか進一も東京から送ってもらった本などをタケシに貸したりするようになるのですが、それでますます自己嫌悪に陥ったりするという・・・。まあ振り回されるわけですね。大人になってから読めば、タケシは二面性があるんじゃなくて、極めて繊細で純情な少年なんだということが判るのですが、子どもの頃は読みながらやきもきしたものです。

「東京、東京、威張るな進一、すぐに美那子といちゃつくくせにー♪」

「東京、東京、威張るな進一、藁を食わせりゃすぐ泣くくせにー♪」

と今でも、手下に歌わせた苛めソングのフレーズが頭から離れませんが、このツンデレのタケシと戸惑う進一は男と女の関係にも近いものがあるし、不器用なタケシは、あの小沢一郎を連想させるものがあります。

こうして微かな心の交流と愛憎が共存しながら、季節は流れていきます。転機が訪れたのは、長期病欠していたケンスケという同級生が復学してからですが、彼はタケシの暴君ぶりを以前から快く思っておらず、綿密に練ったクーデター計画を成功させ、タケシは失脚することになります。このときの壮絶な集団リンチと、その後も制裁を与えられながら、毅然として孤高を貫いたタケシの姿が深く印象に残っています。

作者の述懐では、この1年間の連載漫画は途中全くといっていいほど反響がなく、特に最初の3ヶ月はファンレターが1通も来なかったので、かなり落胆したといいます。ともあれ不人気と思われた「少年時代」もとうとうエンドを迎えます。戦争が終わり、進一は東京に戻ることになりますが、失脚後のタケシは、進一が声をかけても頑なに心を閉ざしたままでした。

そこで、少年漫画史上屈指の名場面になるわけです。

東京行きの汽車に乗る進一を、汗だくのタケシが追いかけてきます。


「タケシくーん!!」

「進一ーーっ! また来いやーっ!!」


二人の精神的紐帯を確認できた感動のラストが掲載された雑誌が発売された週末から、堰を切ったようにドドドーっと山のような反響がやってきました。老若男女から、どれも長い手紙だったそうです。

それこそ嵐のように舞いこんできた。小学生から、若い女性、そして七十歳の老人まで。「はじめはヘンな漫画だなあと思ったけど、なぜか読まずにはいられなくて、とうとう一年間夢中になってしまいました。最終回でタケシと進一が別れる場面で、タケシが可哀想で泣いてしまいました。漫画を読んで泣いたのは、はじめてです。」その中の一通で、小学五年生の男の子からのものだ。ほとんどの手紙が、これと同じような内容だった。
(中央公論社の愛蔵版『少年時代』(1989)の巻頭言より)


異色の漫画を皆が固唾を呑んで見守っていたというわけです。この漫画は地味ですが、今思い出しても、非常に奥行きのある物語でした。単にタケシのワンマン体制というわけでなく、ケンスケが登場する前にも、フトシという、巨体でタケシも一目置くほど喧嘩も強い一匹狼的同級生がいて、この子が抑止力になっていたりするし、安孫子先生は「魔太郎が来る!!」もそうですが、虐げられたり、ビクビクする少年の心情を描くのが実に上手い。

戦後の高度経済成長期は、多くの「タケシ」が東京に出て行きました。その前段で、疎開ではなく親の転勤によって、都会から地方への人材の移動が発生し、田舎の聡明で元気な子は都会からの転校生に刺激を受け、魂の触れ合いが各地であったのです。これは地方出身の私にも経験があります。

しかし前にも書きましたが、現代は製造業の生産拠点は海外に移り、金融やその他商業の大企業も、ネットと交通網の発達で支店や営業所の整理統合を進めたため、都会の子が地方に行くことがめっきり少なくなりました。今では東京や南関東在住の小学生の多くは中高一貫校を目指して、生まれた場所に留まっています。

そういえば、私の長男も小学5年生だった。今度一緒に「少年時代」読んでみようかな。






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2 コメント

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少年時代なんですね (meici)
2010-07-09 16:46:30
そういえば、子供時代に都会からの転校生がいろいろな刺激をくれたものですねー。
男の子も女の子もだいたいモテていたなあ。
友人は23区から出たことがない都会人ですが、千葉や埼玉の端っこくらいに行くと、もう不安が募るらしいです(笑)。「こんなとこから、世界に出ていこう、なんて子供はいないだろうなあ」なんて失礼なことを口走ります(笑)。野口英雄なんて、あの時代に青森→アメリカ留学→最後はアフリカにまで行ったのにね。

引越し大好きの私には、むしろ生まれた場所でずっと暮らすほうが息苦しい感じ、想像すらできません。家を買うのも息苦しい。(笑)

長男が小学校5年生のときに、アメリカに引っ越しましたが、そこの日本の子供コミュニティは、まさに「少年時代」でした。サル山の序列があって、ローカルルールに支配されてて・・(笑)日本の学校よりも数倍ストリクトでした。それでまた、アメリカ人は大人になっても自分を大きく見せようとするサル山タイプだしね。面白いものですね。
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あ、たしかに (音次郎)
2010-07-12 06:09:40
meiciさん、毎度です。
たしかに転校生はモテてましたねえ。
昨今の学生さんは「営業」を忌避し、商社志望の子でさえも海外赴任を嫌がるというのですから、この先どうなるんでしょうかね。野口英世どころか、非衛生的な国には旅行さえしたくない若者って・・・。
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