音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

石川遼バブルを憂う

2008-01-11 23:58:22 | 80年代・バブル
もうプロになっちゃったわけだから、今更どうこう言っても詮ないことですが、「お金を得ない手はない」という論調が多いので、それについては異議を唱えておこうと思います。

いうまでもなく、遼クンに群がるスポンサーは篤志家ではないので、費用対効果を求めてきます。彼らとて常に投資が100%成功するとは考えてはいませんが、少なくとも露出についてはシビアに要求してくるでしょう。好きなクラブが使えなくなったり、無造作にノンブランドの迷彩カーゴパンツを穿いて試合に出ることができなくなるといった瑣末なことではなく、広告塔として、とにかく試合に出続けなくてはならないということです。09年中までツアーに出場できる彼は、本来であればその資格は「権利」なのですが、スポンサーがつけば出場が半ば「義務」に変わるわけです。もちろんどのような契約を結ぶかによって違ってきますが、不調や疲労でしばらくお休みしたくなったとしても、それが許されない事態も考えられる。試合のある週の水曜日にはプロアマで接待もしなきゃいけませんし、試合の合間もCM撮影その他で息つく間もなくなるでしょう。昨年のスポット参戦とは比べ物にならない大きな負荷がかかるわけです。また1年だけ稼いで、その資金でアメリカ留学などという道はどうかといえば、用具メーカーはおそらく複数年契約で縛ってきます。クラブだけでなく、ポスターや店頭の販促ツールなどの関係もあるのでしょう。かようにスポンサーをつけるというのは、経済的メリットばかりが強調されますが、その代償が当然あります。青臭いと言われるかもしれませんが、16歳は自分を売る時期でなく、むしろお金を払っても「蓄積」をする時期ではないかと思うのです。

自分もこの歳になると、高校・大学時代にアルバイト三昧で過ごさずに、もっと勉強しておけば良かったと痛感する場面がたくさん出てきます。「社会勉強」はその後経験が生きることもありますが、尊い時間を切り売りしていることには変わりなく、蓄えるべき貴重な時期に「自分の未来をせっせと売っている」わけです。

勉強やスポーツ(部活)をやるために制限のない時間とインフラは、若さの特権ですが、むざむざそれを捨てて、目先の金ほしさにつまらないアルバイトをしていた昔の自分を悔やむのです。慌てて働かなくたって、黙っていてもいずれ近い将来、賃金生活者として自分を売って生計をたてていくことになるのですから。

まあ、凡庸な若者のちんけな小遣い稼ぎと、今をときめく遼クンの大型契約を一緒にするなといわれそうですが、本質的には同じことです。

最近、林真理子の長編小説『あっこちゃんの時代』が文庫化されたので手にとってみました。

あの狂乱と豊饒の時代。地上げの帝王と称される男の愛人となり、キャンティの御曹司を有名女優の妻から奪って、世の女たちの羨望と憎悪を一身に浴びた女子大生がいた。「男を奪ったことなど一度もない。男がわたしを求めただけ」――煌めくバブルの東京を、無邪気に、奔放に泳いで伝説となった小悪魔・アッコを描く長篇

小説そのものは通俗的で大して面白くなかったので、ここで本のレビューをするつもりはありません。ただ巻末にあの馬場康夫が解説を書いています。ご存知ホイチョイプロダクションの総帥にして、映画監督でもある氏は、この小説が雑誌に連載されていた当時、例の映画を撮るためにバブル期の文献を読み漁り、バブル体験者にインタビューを繰り返していた過程で、小説のモデルとなった女性の存在を知ったそうです。文庫解説の中で、数字を基にした興味深い論考をしていますので一部抜粋します。


大学生は、ディスコにスキーにホテルにフランス料理店にと、とにかく遊ぶのに金がかかったため、日夜バイトに励み、1980年には0.85時間だった一日あたりの平均アルバイト時間は、バブル絶頂の1990年には1.48時間にまで上昇。それに連れて、大学生のバイト年収も、平均203,000円から386,100円と、1.9倍に増加。この間、物価は1.2倍ほどにしか上がっていないから、明らかに日本の大学生はこの時期にリッチになったのである。とにかく学生たちは、よく働きよく遊んでいた。


大学時代がバブルにかすっている私にはすごくよくわかります。それから下のいわゆる「氷河期世代」の人たちは、大学時代に資格取得の勉強をしたりして、自分の将来に備え投資する志向が強まってきました。ということは、有史以来バブル期の学生が、最も遊興費稼ぎのアルバイトに励んだことになります。もしバブル入社世代が「使えない」としたら、それは人数がダブついているからでなく、この世代が、インプットすべき時期に、それを怠って「自分を売り渡していた」ツケが来ているのかもしれません。

若さの特権と自由はプライスレスで、このたびの石川遼バブルでついた莫大なプレミアムをも凌ぐ価値がある。でもそれは、後になってみないと本人はなかなかわからないものです。というわけで、できれば5年12億とかいう超大型契約は避けて、遼クンの制約がなるべくキツくならないようなマネジメントを考慮してほしいと切に願う次第です。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タクシー全面禁煙と健康診断 | トップ | 長谷部瞳が可愛い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

80年代・バブル」カテゴリの最新記事