『Number』の最新号は甲子園特集で、つい買っちゃったんですが、江川卓と桑田真澄の「甲子園とわが人生」と題した巻頭スペシャル対談がすこぶる面白い。今まで明かされなかった秘話もあり、興味深く読みました。
桑田:「高校時代の江川さんのボールはホップしていたんじゃ・・・・。」
江川:「どうなんでしょう。ボールよりも僕自身が、チームの中で浮き上がってました(笑)」
なんていう寒いジョークで幕を開ける対談ですが、ともに高校野球伝説の名投手であり、いわくつきで巨人に入団した二人は、傑出した才能を持つがゆえに大人からふりまわされ苦難の道を歩んだという点も共通しています。
一方、記録だけでいえば夏の甲子園に限っても、3年間で2試合1勝1敗の江川に対し、桑田は17試合14勝1敗と圧倒的な差がありますが、これは二人の境遇の違いも関係しています。江川は栃木県大会12試合(3年間)に先発し7度のノーヒットノーランを記録するも、夏の甲子園出場は3年生時の1度だけでした。作新学院はほとんど点がとれない貧打線でエラーも少なくない。「三振にとらないと・・・前に飛ぶのが怖いんです」と、最初から全力投球をせざるをえないチーム事情でした。さらに、その3年生の夏も江川は甲子園にたどり着いた時点でバテバテだったというのです。なぜなら、春のセンバツに出場した後、社会現象にもなった注目の豪球投手を擁する作新学院には、全国から招待試合のオファーが殺到して、4~6月の週末は九州や北陸など遠征の連続だったからです。2日間滞在すると、土日で相手が違う高校なので、1試合は必ず完投、翌日はリリーフで登板しなけれなならない。要するにアゴアシ付きの招待試合は一種の興行なので、江川を楽しみにしている観客や招待主の手前、顔見せしないわけにいかないのです。
対する桑田といえば、選手層の厚いPL学園は強力打線と鉄壁の守りを誇っているうえに、清原という怪物チームメイトがいましたから、ワンマンチームではない。だから、大阪大会と近畿大会と甲子園以外では一切登板しなかったと述懐しています。練習試合や招待試合など、どーでもいい試合は、中村監督に「投げるか?」と訊かれても、「いや、いいです」と固辞して他のピッチャーに任せ、代打でちょろっと出場してお茶を濁していたというのです。ゆえに、強豪ひしめく大阪大会も「決勝が一番ラクだった」。相手チームが疲れきっているのでガンガン打てるんですね。大阪大会の7試合はラストが4連投、甲子園では決勝戦までの3連投がありますから、それを見越して常に球数を減らすことを念頭に置いていたそうです。「三振をとるより一球で終わらせたい」と、バッターのクセや傾向を見て、とにかく打たせてとることを意識していたという桑田に、江川は「進んでますねえ。桑田さんは都会の秀才なんですね」と彼我の差に嘆息していました。
江川と桑田の二人は、ともに早慶戦に憧れていたのも同じなのですが、実は江川が早稲田の推薦入学が決まっていたというのを初めて知りました。しかし、父親が急に「一度くらいはちゃんと受験勉強した方がいい」と「慶應に行け」と言い出したんだそうです。教育上マトモな考えではあるのですが、江川はあくまでも父親に従順なんだなあと、このエピソードを読んで感じました。だって巨人入団の経緯も同じなんですよ。本当はセ・リーグならどこでもいいと思っていた江川本人ですが、父親が巨人一辺倒だったから、あんなことになっちゃった・・・。江川も桑田も早慶戦に憧れながらも、運命の波に翻弄され、結果的にはともに早稲田を蹴っていたということになります。
対談の最後に二人は、最近の高校野球についての見解を司会者から求められました。桑田が育成の場であるはずの学生野球で過酷な連投を強いられることへの批判的だったのにに対して、逆に江川は「腕も折れよ」が大好きなんだと語ります。「甲子園という、春と夏だけの幻を追いかけるなんて、青春じゃないですか」と。
そして、
桑田:正解は一つじゃありませんからね。時代や環境の違いが、考え方の違いを生んだのかもしれません。ワインもそうですから・・・。
江川:そこでワインに行きますか(笑)。僕は桑田さんとお会いして、何年経つのかな。
桑田:四半世紀を越えました。
江川:なのに、初めて、こういうお話をさせていただいた。似た人がいたんだ、同じような経験をして、思考回路がそっくりな人がいたんだってことを今回、初めて知りました。
なんか、このやりとりは感慨深いものがあります。江川は現役時代から大変なワインフリークで槇原や斎藤など投手陣の後輩に、さかんにワインの指南をしていたんです。今では名誉ソムリエの称号を持つほどワインにハマっている桑田に、最初に教えたのが江川だったかは定かではありませんが(桑田の新人~2年目は未成年)、影響は受けているはずです。
それにしても、江川の言葉遣いや振る舞いは、体育会的メンタリティーから遠いところにあるなあと、改めて感じました。桑田が入団した86年は既に全盛期を過ぎていたといえ、入団7年先輩の大エースですから、運動部の世界では雲上人的存在でしょう。清原だったら何年経っても先輩風吹かせてるんじゃないでしょうか。それはそれで邪気がなくて可愛いのですが。
桑田:「高校時代の江川さんのボールはホップしていたんじゃ・・・・。」
江川:「どうなんでしょう。ボールよりも僕自身が、チームの中で浮き上がってました(笑)」
なんていう寒いジョークで幕を開ける対談ですが、ともに高校野球伝説の名投手であり、いわくつきで巨人に入団した二人は、傑出した才能を持つがゆえに大人からふりまわされ苦難の道を歩んだという点も共通しています。
一方、記録だけでいえば夏の甲子園に限っても、3年間で2試合1勝1敗の江川に対し、桑田は17試合14勝1敗と圧倒的な差がありますが、これは二人の境遇の違いも関係しています。江川は栃木県大会12試合(3年間)に先発し7度のノーヒットノーランを記録するも、夏の甲子園出場は3年生時の1度だけでした。作新学院はほとんど点がとれない貧打線でエラーも少なくない。「三振にとらないと・・・前に飛ぶのが怖いんです」と、最初から全力投球をせざるをえないチーム事情でした。さらに、その3年生の夏も江川は甲子園にたどり着いた時点でバテバテだったというのです。なぜなら、春のセンバツに出場した後、社会現象にもなった注目の豪球投手を擁する作新学院には、全国から招待試合のオファーが殺到して、4~6月の週末は九州や北陸など遠征の連続だったからです。2日間滞在すると、土日で相手が違う高校なので、1試合は必ず完投、翌日はリリーフで登板しなけれなならない。要するにアゴアシ付きの招待試合は一種の興行なので、江川を楽しみにしている観客や招待主の手前、顔見せしないわけにいかないのです。
対する桑田といえば、選手層の厚いPL学園は強力打線と鉄壁の守りを誇っているうえに、清原という怪物チームメイトがいましたから、ワンマンチームではない。だから、大阪大会と近畿大会と甲子園以外では一切登板しなかったと述懐しています。練習試合や招待試合など、どーでもいい試合は、中村監督に「投げるか?」と訊かれても、「いや、いいです」と固辞して他のピッチャーに任せ、代打でちょろっと出場してお茶を濁していたというのです。ゆえに、強豪ひしめく大阪大会も「決勝が一番ラクだった」。相手チームが疲れきっているのでガンガン打てるんですね。大阪大会の7試合はラストが4連投、甲子園では決勝戦までの3連投がありますから、それを見越して常に球数を減らすことを念頭に置いていたそうです。「三振をとるより一球で終わらせたい」と、バッターのクセや傾向を見て、とにかく打たせてとることを意識していたという桑田に、江川は「進んでますねえ。桑田さんは都会の秀才なんですね」と彼我の差に嘆息していました。
江川と桑田の二人は、ともに早慶戦に憧れていたのも同じなのですが、実は江川が早稲田の推薦入学が決まっていたというのを初めて知りました。しかし、父親が急に「一度くらいはちゃんと受験勉強した方がいい」と「慶應に行け」と言い出したんだそうです。教育上マトモな考えではあるのですが、江川はあくまでも父親に従順なんだなあと、このエピソードを読んで感じました。だって巨人入団の経緯も同じなんですよ。本当はセ・リーグならどこでもいいと思っていた江川本人ですが、父親が巨人一辺倒だったから、あんなことになっちゃった・・・。江川も桑田も早慶戦に憧れながらも、運命の波に翻弄され、結果的にはともに早稲田を蹴っていたということになります。
対談の最後に二人は、最近の高校野球についての見解を司会者から求められました。桑田が育成の場であるはずの学生野球で過酷な連投を強いられることへの批判的だったのにに対して、逆に江川は「腕も折れよ」が大好きなんだと語ります。「甲子園という、春と夏だけの幻を追いかけるなんて、青春じゃないですか」と。
そして、
桑田:正解は一つじゃありませんからね。時代や環境の違いが、考え方の違いを生んだのかもしれません。ワインもそうですから・・・。
江川:そこでワインに行きますか(笑)。僕は桑田さんとお会いして、何年経つのかな。
桑田:四半世紀を越えました。
江川:なのに、初めて、こういうお話をさせていただいた。似た人がいたんだ、同じような経験をして、思考回路がそっくりな人がいたんだってことを今回、初めて知りました。
なんか、このやりとりは感慨深いものがあります。江川は現役時代から大変なワインフリークで槇原や斎藤など投手陣の後輩に、さかんにワインの指南をしていたんです。今では名誉ソムリエの称号を持つほどワインにハマっている桑田に、最初に教えたのが江川だったかは定かではありませんが(桑田の新人~2年目は未成年)、影響は受けているはずです。
それにしても、江川の言葉遣いや振る舞いは、体育会的メンタリティーから遠いところにあるなあと、改めて感じました。桑田が入団した86年は既に全盛期を過ぎていたといえ、入団7年先輩の大エースですから、運動部の世界では雲上人的存在でしょう。清原だったら何年経っても先輩風吹かせてるんじゃないでしょうか。それはそれで邪気がなくて可愛いのですが。
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