音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

甲子園という夢

2011-08-21 15:26:00 | スポーツ
夏の甲子園が日大三高の優勝で幕を閉じました。私は最近、高校野球および甲子園に対しての見方が少し変わりました。これまで何度か、高校野球と大相撲の優遇(NHK完全中継)をこのブログでも批判していますが、野球だって部活のワンノブゼムじゃないかと、他のスポーツとの不公平さに疑問を持っていたのです。

私には仙台に甥っ子がいて、これがまたすべての情熱を野球に注ぐバリバリの野球小僧です。所属するチーム(地区ではなかなかの強豪)において、最上級生になる前から中心選手として活躍しているようなので、贔屓目かもしれませんが、結構イイ線までいくんじゃないかと楽しみにしています。もしこの甥が甲子園に出ることになれば、私は狂喜して会社の仕事なんか放って応援に行くでしょう。そんな彼の母親のTwitterを眺めていると、毎週のように行われる試合の送迎と応援、庭にネットを張って息子のトスバッティングに付き合う様子が綴られています。

また、保護者の一人のお父さんが管理すると思しき、その所属チームの「応援団ホームページ」をちょくちょく覗いているのですが、いやあ、熱心さに頭が下がります。そういえば我が家の正面のお宅も、うちの長男と同学年の男の子が野球をやっていて、本人は朝晩の素振りを欠かしませんし、元野球部の父親も寸暇を惜しんで指導しています。重心が移動する器具がついている練習用バットで、振る度にカランコロンと音が鳴るのですぐわかるのです。

今までに、知っている人間で甲子園に出たのは二人いて、一人は幼稚園の同級生にしてよく遊んでいた近所の友達で、小中高と違う道を歩みましたが、控え投手としてブルペンで投球練習をする勇姿がTVに映し出されました。(登板機会はありませんでしたが) もう一人は中学時代にバスケの試合で何度か対戦し、主将同士で言葉を交わした男(シニアの野球と別に部活はバスケをやっていた)で、県代表の高校の主力選手として甲子園でホームランを打つなどの活躍をしました。後に日ハムにドラフト指名され入団するも、残念ながら大成しませんでしたが。

野球というのは近年サッカーに押され気味とはいえ、日本でもっとも裾野の広いスポーツです。他の競技ならいざ知らず、全くの初心者が高校入学と同時にそのキャリアをスタートさせて甲子園に出るということは、まずありえないといっていいでしょう。ということは、甲子園の晴れ舞台に立つ選手には、スキルだけでなく、それぞれの歴史を持っているということです。

白球を追う彼らをサポートしてきたのは家族や監督だけではありません。ボランティアで各地の少年野球連盟の事務局や審判を務める大人、接骨院院長、地元の定食屋の女将などなど、大勢の人々が関わり応援してきたわけです。さらに、肩を壊した、肘を痛めた、腰痛がヤバクなった、親が離婚した、指導者と衝突した、チームメイトとうまくいかず退部したetc. その陰には、心ならずもドロップアウトしなければならなかった無数の野球少年たちの存在もあります。

よって甲子園の土を踏めるのは、ごくごく一部の運と実力を兼ね備えた高校生ですが、同時にガキの頃からの過程でクロスした何百人もの関係者たちの思いを背負って来ているのです。だから甲子園大会というのは、我が国で最高のスポーツイベントでありますが、壮大なウイナーの祭典でもあるのです。

怪物・江川でさえも、高校時代は「せめて1度でも甲子園に出たいと」神に祈っていたそうですが、100年近くも同じ場所で開催され、長く語り継がれる数々のドラマを生んできた聖地。「甲子園は春と夏にしかない夢か幻を追うからこそ青春なのだ」というのは至言でしょう。夢や幻を追えるのは若者の特権です。幼稚園や小学生の運動会の徒競走が、みんな手を繋いで揃ってゴールするというご時世ですから、せめて誰もが憧れる大会はスペシャルなままにしておいた方がいいと思ったりするのです。

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