日常の些細な記憶というものは、
ハードディスクのように常に上書き保存されていると思っていた。
日々記憶は更新されていく・・・みたいな。
そんなの、寂しいだろう。
どうでもいい記憶だとしても、
それを消されていくのは過去の自分を消されているみたいじゃないか。
この日記を始めようと思ったキッカケがそれだった。
しかし、最近になってよく思うのだが、
どうやら「上書き保存」されているワケじゃないみたい。
というのは、ある時フッと昔の記憶が蘇る時があるからだ。
先週千葉に行った時もそうだったけれど、
最近そういうことが多い。
「あっ。そういえばそんなことも有ったな!!」と、
まるで夢から覚めるような思いをすることが結構頻繁にあるのだ。
だから、思う。
記憶は「上書き」されているのではなく、
きっと、「引き出し」の奥にしまわれているだけなのだろう。
そして、その場の雰囲気や音、匂いなどが、
偶然その「引き出し」を開ける鍵となって、扉が開かれるのだろう。
オレの記憶の「引き出し」はあとどれくらいあるのかなぁ。
ハードディスクのように常に上書き保存されていると思っていた。
日々記憶は更新されていく・・・みたいな。
そんなの、寂しいだろう。
どうでもいい記憶だとしても、
それを消されていくのは過去の自分を消されているみたいじゃないか。
この日記を始めようと思ったキッカケがそれだった。
しかし、最近になってよく思うのだが、
どうやら「上書き保存」されているワケじゃないみたい。
というのは、ある時フッと昔の記憶が蘇る時があるからだ。
先週千葉に行った時もそうだったけれど、
最近そういうことが多い。
「あっ。そういえばそんなことも有ったな!!」と、
まるで夢から覚めるような思いをすることが結構頻繁にあるのだ。
だから、思う。
記憶は「上書き」されているのではなく、
きっと、「引き出し」の奥にしまわれているだけなのだろう。
そして、その場の雰囲気や音、匂いなどが、
偶然その「引き出し」を開ける鍵となって、扉が開かれるのだろう。
オレの記憶の「引き出し」はあとどれくらいあるのかなぁ。
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