ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

引き続き、PISAにおける「読解力」低下の原因について

2005年10月30日 | 「学び」を考える
(この記事が参考になると思われた方は人気blogランキングにアクセスしてください。)

 10月10日に発行されたばかりの石原千秋著『国語教科書の思想』(ちくま新書563、2005)は、PISAの読解力問題を分析し、自由記述や批評を求められると日本の15歳はお手上げであると指摘している。
国語教科書の思想

筑摩書房

このアイテムの詳細を見る

 PISAが求める「読解力」は「読解リテラシー」であり、次の3つに集約できる。
1、文章や図や表から情報を読み解く力。
2、文章を批評的に読む力。
3、これらを記述する力。
 この3つは、いずれも現在の日本の国語教育で決定的に欠けている要素である。石原によると、「国語」は、すべての教科の基礎になるような読解力を身に付け、豊かな感性をはぐくむ教科とはいえない。日本の子どもたちが「国語」という教科で求められているのは、「道徳」や「教訓」を「正しく」読み取り、作文することである。これにたいして、PISAの「読解力」試験が求めているのは批評精神である。他人を批評し、他人と違った意見を言うことができる個性である。
 「読解リテラシー」は、ただ本をたくさん読ませれば自然に身につくというものではない。石原はさらに、PISAで求めているような読解力のグローバル・スタンダードに従うのなら、現在の国語科をリテラシーと文学という2つの科目に再編する必要があるという。
 リテラシーでは、文章や図や表から、できる限りニュートラルな「情報」だけを読み取り、それをできる限りニュートラルに記述する能力を育て、さらにその「情報」の意味について、考え、そのことに関して意見表明できる能力をも育てる。「評論文」から「情報」の部分と「意見表明」の部分とを切り分けて理解する。こうして、あやふやな「情報」から導きだされた「意見表明」や、正確な「情報」からまちがった「意見表明」がなされていることを指摘することができる。
 このような教育は限りなく「情報科」に近い。それと同時に、私の立場から言えば、学校図書館において司書教諭が多様な学習活動を通じて児童生徒に身につけさせることを求められている「情報リテラシー」にも限りなく近い。今後、国語教育、情報教育、学校図書館の専門家が連携して細部をすり合わせ、早急にリテラシー教育を確立したいものである。

 『国語教科書の思想』というタイトルを見て、私はダグラス・ラミスの『イデオロギーとしての英会話』(晶文社、1976)を思い出した。私たちは、英会話という一見ニュートラルなコミュニケーションのレッスンを通して、それと気付かないうちにアメリカ的価値観を刷り込まれているというのである。国語教育もまた、隠れたイデオロギーを植えつける手段になっていたのか。そういえば、読書活動の推進にあたって、子どもたちに「良い本」を読ませようと主張している人たちもまた、国語教科書に採用されるような「教訓」的な内容しか眼中にないのかもしれない。一律に、みんなと同じ道徳的価値を求めるところからは豊かな感性を持った子どもは育たない。多様な価値を認め合い、活発なコミュニケーションと協同を誘発するような読書指導のあり方を模索したいものである。

イデオロギーとしての英会話

晶文社

このアイテムの詳細を見る


(この記事が参考になると思われた方は人気blogランキングにアクセスしてください。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« OECD学力調査結果(PISA... | トップ | 図書館にクレームをつけよう! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「学び」を考える」カテゴリの最新記事