ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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龍と生きる(年の始めに考えたこと)

2012年01月08日 | 「学び」を考える

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 遅ればせながら、年末年始に考えたことをランダムに振り返って、私にとっての、この一年の出発地点を確認しておこうと思う。

 毎年、初詣は家から近い人丸神社か大山寺と、その年の干支にちなんだ神社かお寺の2か所にお参りすることにしている。今年は、2日に人丸神社、3日には奈良の明日香まで足を延ばして岡寺に参詣した。岡寺というのは所在地からそう呼ばれている通称で、正式には龍蓋寺という。この地を荒らして農民を苦しめていた龍を開祖の義淵僧正が法力で封じ込めたことに由来するといわれている。改心した龍は本堂の前にある龍蓋池に眠っていて、池の中央にある石の蓋を揺らすと雨を降らせると言い伝えられている。雨は農民にとって恵みだ。しかし、4日の「たねまきジャーナル」(MBSラジオ)に出演した玄侑宗久さんは「辰」に雨かんむりをつけると「震」になると言っておられた。昨年の311日以後に降った雨は、地域によって空気中の放射性物質をあつめて地中に浸透させ、決して恵みにはならなかった。
 昨年は辰年に先立って、さまざまな「震」に見舞われた年だった。東日本を襲った地震と津波、福島原発の事故ばかりでなく、ユーロの危機、アラブの春、ウォール街占拠といった出来事が世界を揺るがし、大阪の橋下維新も日本の政界にとって激震となった。「震」は鬱積したエネルギーの発露だともいえる。龍に蓋をして閉じ込めておくだけでは、いつどんなときに暴れだすかもしれない。そのエネルギーを活かして生命を育む恵みの雨を降らせる英知を私たちは手にできるのだろうか。

 

 年をまたいだ元旦の目覚めは爽快だった。ベッドから起き出した身体が冷え込んだ朝方の空気に触れて一瞬引き締まった感じが心地よかった。前夜、床に就くときは、ちがっていた。昨年、国の内外で起こったさまざまな出来事が、かつて経験した空襲や震災などの記憶と重なって重苦しい気分に包まれていた。課題は何ひとつ解決していないどころか、世界は崩壊の一途をたどっているように思えた。
 
一夜のうちに事態が急変したわけではない。もしかしたら31日も爽やかな一日だったのではないか、と気づく。そういえば、行きつけの蕎麦屋で食べた年越しそばは、つくづく美味いと思えたし、その帰り道に高台から明石海峡と淡路島を望む風景も素晴らしかった。食べなれた蕎麦の味も見なれた風景も私という人間も劇的に変わっていないのに、感じていることはいつも新鮮だ。そのおかげで、人生に飽きることも絶望することもなく71年間も生きてこられた。紆余曲折や失敗の多い人生だったが、否応なく巻き込まれてきたさまざまな状況や課題にも、なんとか向き合い、耐え、乗り越えてこられた。人は生命力が枯渇しないかぎり、暗黒のなかにあっても光明を見いだすことができるはずだ。龍は、そんな生命力の象徴なのかもしれない。
 
大事な局面で自分の生き方や閉塞感を打開する道を探るときには、まず、ことばにならない自分の裡なる声に耳を傾けることだ。自分の身についていない他人の論理に引きずられたり、いつの間にか刷り込まれてしまった観念にとらわれていては行き詰まる。結果が悪ければ悔いが残るし、良くても心から喜べない。そればかりか、人として成長もしない。苦境にあっても新鮮な感覚でイキイキと生きるために日頃から身体感覚や生活感覚を磨いておこう。自分の裡からよどみなく湧き上がってくる生命の感覚を抑え込むことなく、大切に育みながら生きて行こう(と心がけているのだが・・・)。

 
このところ七尾旅人さんの唄に魅かれている。肌からしみ込んでくるような声で深い共感を誘うこの人の唄には、大きな声で正義を振りかざして人々を挑発している人とはちがった魅力とたくましさがある。皮膚感覚に訴えるストレートな声とことばが力になることを確信させてくれた。
のうた

のうた(語りも入れて)

縄県東村高江のうた
 

 
この一年、世間の風当たりが強かったマスメディアのなかでMBS(毎日放送)ラジオの「たねまきジャーナル」「辺境ラジオ」ほど私を元気づけてくれた番組はない。月曜日から金曜日まで(午後9時から10時まで)放送される「たねまきジャーナル」は、巷で交わすおしゃべりといった感覚でニュースを読み解く手がかりを提供してくれる番組で、とりわけ金曜日の時事川柳が面白い。不定期に放送される「辺境ラジオ」は、世の中の風潮や私たちの心の在り方を問いなおす視点を提供してくれるが、気取りもてらいもなくワイワイ言い合える雰囲気が心地いい。どちらにも共通しているのは、放送を聞いて何かを知るだけでなく自分も何か言いたくなることだ。出演者の意見に共感しても疑問をもっても、ラジオの前で思わず「つっこみ」を入れたくなるし、翌日には誰かにその話題をぶつけて議論をふっかけたくなる。そこには、関西特有の(?)歯に衣着せぬ開放的な批判精神が息づいている。
 
昨年の暮れは、この二つの番組の年末特集に釘付けになっていた。25日の深夜に放送された「辺境ラジオ~聖夜に2011年というこの目茶苦茶な1年を振り返る」(MBSラジオ)は、いつものように気取りもてらいもなくワイワイ言い合える雰囲気が心地よかったし、30日の夕方530分から1230分までMBS(毎日放送)ラジオで放送された「たねまきジャーナル」の年末スペシャル「人生、変わった2011」は、6時間45分におよぶ放送を携帯ラジオのイヤホンをつけたまま部屋の片づけをしたり散歩に出かけたりして最初から最後まで聞いた。
その一部は番組のサイトからダウンロードして聞くことができる。
たねまきジャーナル」年末スペシャル「人生、変わった2011
前大阪市長 平松邦夫さん
ジャーナリスト 吉富有治さん
夫婦漫才師 おしどり
俳優 山本太郎さん

出裕章さん

辺境ラジオ」のポッドキャスト


 さて、私自身は、これまでに書いた思いを抱きながら、これからも社会を正気に保つ「ことば」と「学び」を問いつづけようと思っている。その実践の現場としての学校教育と学校図書館のはたらきを問いなおすことが中心になるだろう。とりわけ、学校図書館にかかわって学校教育を問いなおそうとしている人たちから学ぶことは多い。この一年もまた、そんな人たちとともに子どもの成長にかかわる私たち大人の在り方・生き方を問いつづけることになるだろう。

ちなみに、当面は下記のようなことをやっています。関心のある方は、ご連絡ください。
続講座「情報を評価し、判断する力をいかに育むか」(第5回)
128日(土)午後1時~5時(終了後、懇親会あり)
立教大学池袋キャンパス 太刀川記念館第1会議室
学校図書館自主講座
25日(日)午後130分~5
神戸・長田勤労市民センター あじさい

その他、お問い合わせ・ご提案・講座や講演の依頼など、何なりと下記までメールをください。
masa-sem@goo.jp
なお、下記の講座は、すべて大人向けで、おもに出前で行います。
「やりなおし英語」「絵本で学ぶ英語」「読書カフェ」「クリティカル・シンキング(思考力)」など。

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