幹事さんのひとりごと

秋田市 土崎港 壱騎町一区 壹友会 非公式ブログ 語ったもん勝ち

伊唐

2013年02月07日 | 地域の話題
近江谷栄治が私財を投げ打って秋田港の港湾改修を行ったのが
明治35年に完成。
そのときに現在の秋田港の形になったんだとすれば、新屋浜から
日本海に流れていた雄物川を強制的に土崎から飯島方面へ流れるように
したということなのだろうか。
どんな改修工事だったのかを示す資料が見当たらなくてわかんないけど。

現在では新屋から直接日本海へ流れるように改修されたので、古地図の
ような形になり、土崎の雄物川の水位は下がって、川だったところに
国道7号線ができている。

港湾改修工事として北防波堤を造るために戦時中に使われた旧海軍の
海防艦が沈められたんだそうな。
鵜来型海防艦(うくるがたかいぼうかん)「伊唐(いから)」



海防艦とは第二次世界大戦において使用された戦闘用艦艇のことで、
連合艦隊が泊地や演習に利用していた高知県宿毛湾の鵜来島の名から
命名された海防艦「鵜来(うくる)」と同型の「伊唐」は1945年3月に
竣工された。
解体されて船体だけ秋田港の北防波堤に沈められたのは1948年(昭和23年)。
昭和50年には港の外湾展開のため、共に沈められていた駆逐艦「竹」「栃」と
一緒に撤去された。

そんな歴史があったんだね。

戦争当時の船が土崎に沈められていたなんて知らなかったな。
戦艦大和が敵戦艦の侵入を防ぐ防波堤代わりに沈めようという計画で
どこかに向かう途中で撃沈させらてたというような話は聞いたこともあるけど。
実際に近所に戦艦(とまでいかなくても)が沈んでたって。
まぁ堤防造るための波除として船体だけ沈めたんだろうけどね。

こどものころもよく浜で見ていた。
湾岸工事をやってて海底を掘ってた。
深くしないと大型船が入って来れないとかで。
5万トン岸壁とか○万トン岸壁とか。
5万トンの船が入れる岸壁ってことだったんだね。
当時は岸壁のコンクリートの重さだと思ってたけど・・・
今はフェリーも入ってくる大きな港になったし。
丸太を運搬するぽんぽん船もほとんど見なくなった。

港としては発展してるんだろうけど、昔のような活気はなくなった気がするのは
気のせいだけなんだろうか。


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3 コメント

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んっ? (雲板)
2013-02-07 10:53:29
その昔、雄物川は秋田大橋付近で大きく曲がり土崎方向に流れてて
その川口にあったのが現在の秋田港だったと
でも、たびたびあふれて水害をおこすし
上流から土砂が流れ込んですぐに浅くなり浚渫工事が必要になるってんで
まっすぐ日本海へ流すための放水路が掘られ、現在の形になったんだと

大型機械のなかった大正時代から昭和初期のこと
刑務所の囚人がこの工事に借り出されたんだとか スコップとモッコくらいだったのか?
http://www.thr.mlit.go.jp/akita/kasen/housuiro70/70.html
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戦艦を沈めて (夫婦岩)
2013-02-07 12:23:18
ってのは、これなんですね。

活気はないんでしょうね。
昔話をお聞きする度、土崎の活気・繁栄期を
知らないという面では
平成に生まれたことを後悔します。
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雄物川 (幹事)
2013-02-08 09:14:59
どうもどんな流れだったのかがわからず、今調べてます。
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