土崎の有名人として名前が登場する方はあまりいない。
懐メロとしてかすかに記憶にあるのは直立不動で歌う
東海林太郎とか。
墓が近所の寺にあるんでね。
あとは土崎小学校の校歌を作ったとして小学校のころから
聞く名前が「金子洋文(1893年4月8日 - 1985年3月21日)」。
作詞とか作曲やってる人なのかなぁと思ってたくらいで。
図書館の前に「種蒔く人」の6倍の大きさとされる石碑がある。
「作詞家が本書いてたのか」くらいにしか思ってなかった。
土崎を周ってみて金子洋文のなんとかという標柱が寺の前に
建てられてるところがあることに気がつく。
金子洋文の墓でもあるのかなと。
東海林太郎の標柱はないけど・・・
そもそも金子洋文って何者じゃいなと。
土崎に帰ってきたよぼよぼのじいさんが祭り綱曳いてたのが
洋文さんだとか、一緒に飲んで話をしたというやからもいた。
プロレタリア文学の小説家。
なんじゃそりゃ・・・
なんとなく聞いたことのあるような横文字。
大正デモクラシーとかモダンカンカンとかルネッサンスとか
メソポタミアとかイデオロギーとかセコムとか・・
プラネタリウムの親戚か?
個人主義を否定して社会主義や共産主義思想の文学。
ってますますわかんねぇ・・・
図書館で種蒔く人の話を聞いたら真っ先に出てきた人物が
「小牧近江」
誰やねんと。
そういえば金子洋文の標柱と同じようなやつが他の寺の前にもあって、
「近江」なんとかって書いてたような気もするなと。
近江谷栄次:
16歳のとき八郎潟から土崎の商人近江谷家の養子となり、栄治(のちに栄次)の
名を襲名し、地元経済の基盤作りに取り組む。
私財を投じての秋田港改修工事を行い、13年かけて完成。
旧秋田銀行の設立に参加したり、明治34年には秋田県初の火力発電所を
現在の土崎南小学校の地に建設。
旧国鉄土崎工場の誘致には自家所有地3万坪を無償提供し、電力を供給する
約束で誘致したとか。
明治37年には衆議院として2期勤める。
大正5年に土崎港町長に就任。
華々しい方だねが。
彼の呼びかけで社会主義思想の冊子を発行することになって、今野賢三、
金子洋文らが参加した。
土崎小学校の友人だったんだね。
大正10年のこと。
東京で印刷すれば高かったんで秋田で印刷して、汽車で東京まで運んだとか。
小牧がフランス滞在中に参加した反戦運動を基に、その種を日本でも広げ、
ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に特集を組んだもの。
戦時中なら犯罪人とされてたんじゃないの?
そんな彼らが土崎の歴史を作ってきたんだね。
まねするような大それたこともできないけど、歴史に埋もれてしまうのも
ちとさびしいかと。
懐メロとしてかすかに記憶にあるのは直立不動で歌う
東海林太郎とか。
墓が近所の寺にあるんでね。
あとは土崎小学校の校歌を作ったとして小学校のころから
聞く名前が「金子洋文(1893年4月8日 - 1985年3月21日)」。
作詞とか作曲やってる人なのかなぁと思ってたくらいで。
図書館の前に「種蒔く人」の6倍の大きさとされる石碑がある。
「作詞家が本書いてたのか」くらいにしか思ってなかった。
土崎を周ってみて金子洋文のなんとかという標柱が寺の前に
建てられてるところがあることに気がつく。
金子洋文の墓でもあるのかなと。
東海林太郎の標柱はないけど・・・
そもそも金子洋文って何者じゃいなと。
土崎に帰ってきたよぼよぼのじいさんが祭り綱曳いてたのが
洋文さんだとか、一緒に飲んで話をしたというやからもいた。
プロレタリア文学の小説家。
なんじゃそりゃ・・・
なんとなく聞いたことのあるような横文字。
大正デモクラシーとかモダンカンカンとかルネッサンスとか
メソポタミアとかイデオロギーとかセコムとか・・
プラネタリウムの親戚か?
個人主義を否定して社会主義や共産主義思想の文学。
ってますますわかんねぇ・・・
図書館で種蒔く人の話を聞いたら真っ先に出てきた人物が
「小牧近江」
誰やねんと。
そういえば金子洋文の標柱と同じようなやつが他の寺の前にもあって、
「近江」なんとかって書いてたような気もするなと。
近江谷栄次:
16歳のとき八郎潟から土崎の商人近江谷家の養子となり、栄治(のちに栄次)の
名を襲名し、地元経済の基盤作りに取り組む。
私財を投じての秋田港改修工事を行い、13年かけて完成。
旧秋田銀行の設立に参加したり、明治34年には秋田県初の火力発電所を
現在の土崎南小学校の地に建設。
旧国鉄土崎工場の誘致には自家所有地3万坪を無償提供し、電力を供給する
約束で誘致したとか。
明治37年には衆議院として2期勤める。
大正5年に土崎港町長に就任。
華々しい方だねが。
彼の呼びかけで社会主義思想の冊子を発行することになって、今野賢三、
金子洋文らが参加した。
土崎小学校の友人だったんだね。
大正10年のこと。
東京で印刷すれば高かったんで秋田で印刷して、汽車で東京まで運んだとか。
小牧がフランス滞在中に参加した反戦運動を基に、その種を日本でも広げ、
ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に特集を組んだもの。
戦時中なら犯罪人とされてたんじゃないの?
そんな彼らが土崎の歴史を作ってきたんだね。
まねするような大それたこともできないけど、歴史に埋もれてしまうのも
ちとさびしいかと。
なんとなくなんですよ、なんとなく。
詳しく聞かれても答えられませんけど(笑)
小林多喜二?の『蟹工船』と同じ類いみたいですね。
東海林太郎さんは土崎の方なんでしょうか?
千秋公園の中土橋に、センサーで歌い出す胸像あるすけど。。。
小学校のころしか知らないけどね。
おとなしいやつだったな。