マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

訃報:元与野駅長

2014-12-11 02:31:00 | ノンジャンル
こんばんわ。

この時期になると、「新年のご挨拶を控えさせていただきます」ハガキが沢山届きます。
大概は私の同僚や女房の友人のご両親、娘の友人関係の祖父母と言ったところですが、中には私よりも随分年齢が下である旦那さんを亡くされたという衝撃のお知らせもありました。

自分も歳を取り、過去の上司や先輩方もご高齢になられている方が多くなってきましたので、今ではお会いする機会もなく、年賀状だけが唯一のパイプとなっている方も多くなりました。

一昨日、帰宅しましたらまた1通のハガキが届いており、元与野駅長であったSさんが亡くなったという知らせでした。85歳ということです。

世の国鉄批判が充満し、職場においては管理職と組合が敵対しているのが当たり前でしたが、与野駅に関しては国労・鉄労が混在して居づらい中、管理職とは仲良くできていました。そんなこともあって、当時の駅長であったSさんを始め、仲の良かった助役とも未だに年賀状を交わしております。いや、私が出しているからお付き合いいただいているという状況かもしれません。

Sさんとは確か1年くらいしかいっしょに働いていなかったと思います。与野駅を最後に退職されたと思っていました。今からちょうど30年前ですので、55歳で退職していたのかな?と今更思い起こします。当時は15歳で入社して68歳まで働いていた職員もいましたので、定年が無かったかも。管理職だし、混乱のご時世だったから早期に退職していたのかもしれません。

退職したらまず会うことは無い大きな組織でしたが、Sさんの実家のお墓が蕨にあるらしく、Sさんが退職後、偶然にも蕨駅で2~3度お会いしたことがあったのです。それでも、私が国鉄を退職してからは日中に蕨駅をうろつくようなこともなくなりましたので、もう25年以上はお会いしていないと思います。

今年の年賀状を頂いた時までは、今までと変わらないお元気な字でした。今回はおそらく年賀状から私の宛所を探していただき、奥様がお知らせくださったのではないかと思います。

本当に短い時間ではありましたが、国労組合員でありながら分け隔てなく若き日の私の面倒を見てくださったことに感謝し、ご冥福をお祈りいたします。




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2014/12/07 みんなボツった日

2014-12-08 00:03:00 | 写真撮影
こんばんわ。

先月後半から今月にかけて、色々と用事が錯綜しています。
今週は土曜日にオフだったのですが、不摂生が祟ってまさダルい病。あまりにもクルマが汚いので車検前に洗剤で洗車。自分の手で洗車したのってかなり久し振り。右手が腱鞘炎で、さらに午後の冷たい風。30分以上も身体を動かしたのにまったく汗をかきませんでした。

そして今日は公園の掃除と毎年末恒例の町会餅つき大会。これは市内共通のようで、各公園のどこでもやっていましたね。
しかし、こんな日に娘が水泳大会なので朝から送り。行事はキャンセルしたくないのですが、中途半端に参加したり帰ったりというのも見栄えが悪いので参加は見送りました。
その代わり、送迎直後が特急タイムとなるので、クルマのまま久々に浦電ヨコへ。ナミテツさんがいらっしゃって、久し振りにお会いしました。

※撮影は、平成26年12月7日です。



651系「草津31号」&E259系「成田エクスプレス17号」

すれ違い位置が目標よりもかなり奥だったので、絵面的に無理がありました。仕方なくトリミングで。実際には全然イケてません。



651系 「あかぎ4号」

「北斗星」が遅れているということで、先に「あかぎ4号」。
何だか露出オーバーで要調整。



2レ 「北斗星」

散々待たされた挙句、本数の少ない時間帯なのに見事にバッティング。仕方なく後ろを撮ったもののどこにピンが来ているのかさえ分からない。
時間を取らされた挙句に・・・どうもいかん。

しかも、この後がどうにもならない。
「北斗星」が遅れたお蔭で朝食が遅くなり、慌てて訓練運転に向かったものの、線路に突き当たった目前を猛スピードで通過された。時計を見ても2分くらい早いような。時間が少し繰り上がったんですかね?最近撮っていないのでどうもわからない。

さらに、ナミテツさんからの情報でNODOKAが上京してくるらしい。時間的には2時間後。魔の時間ですね。順光で最高の時間ですが・・・寝不足のために少々の仮眠。目覚ましが鳴るものの体が動かず。夢の中で撮影に行く行かないと葛藤しながら結局気が付いたら通過後1時間以上経過してました。追い打ちを掛けるように「迎えに来て!」電話。
爆裂に眠いのに・・・

遅昼食べて、今度は車検へのクルマ持ち込み。これもあっという間に時間ギリギリ。待ち時間も落ちそうな目をこすりこすり耐え、なんとか終了まで持ちました。

これで一応は年内のイベントは終了。
しかし、例年なら既に始まっている年賀状印刷に全く手を付けていない。
今年はギリギリまで行ってしまいそうです。

とにかく、せっかくの2日間がクタクタのガックリなオチまで付いた、なんとも冴えない週末となってしまいました。

現場でお会いしました「ナミテツさん」、お疲れ様でした。

「北斗星」廃止プレスに関連し、過去に乗った寝台列車について『私の乗ったブルートレイン』にまとめました。

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気怠い1日

2014-12-01 01:49:00 | ノンジャンル
こんばんわ。

もう土日が終わってしまいました。休んだ気がしません。

仲人さんが亡くなったと奥様から連絡があったのが8月の終わり。実際に亡くなったのは1月の末。本人の希望で密葬にしたということ。
既に退職しているが、亡くなったのは67歳という年齢。実父も65歳だったから、この若さで亡くなるということに、親族の悲しみ、悔しさは痛いほどわかります。

早々に伺うべきでしたが、9月10月は娘の学校や町会のイベントが目白押しで、先方からも落ち着いたらと言われていたので、そのタイミングを計っていたところ、遅くても年内に、12月はバタバタの予想もついていたので、ということもあり、先日の土曜日にやっと仏前にお挨拶することが出来ました。
今までにあまり見たことが無かった笑顔の遺影でした。

仲人さんの次男も来てくれていて、彼が小学校以来だから、会うのも20年振りくらいだろうか、既に結婚していて2人目の子供もおり、すっかり大人になっていました。

3時間以上もお邪魔してしまい、私の知らなかった個人の素顔を色々と知り、驚きや喜びも多かった。本人が居ないからこそ明かされたことでしょう。そんなんで、悲しみと言うよりは、楽しく過ごすことが出来ました。

しかし、やはり帰ってきたらガッカリ感と異常なまでの疲れで、日曜日は何もやる気をなくしてグッタリしてしまいました。この間、訪問することができなかったストレス、ご挨拶できたことのホッと感というか、まして本当に本人が亡くなっていたことに対する現実に改めてショックが伝わって来たのかもしれません。

自分も確実に歳をとっている訳だから、周りの年上の方はどんどんと亡くなっていく、それは当たり前だと思ってます。先輩では現役中に30代後半から50歳代で亡くなってしまった方も何人も居ました。
自分も歳を重ね、あと10年、15年しか生きられないとしたら、「今どう生きていけばいいのだろうか?」と考えてしまうこともしばしば。しかし、答えが見つかることもなく、ダラダラと1日を過ごしてしまうことに罪悪感すら感じてしまう。

また1週間が始まり、仕事が忙しくなると、そんなこともまた忘れて疲れるだけの日々が流れていくのか・・・そうわかってしまうのがなんか悲しいですね。

すみません。なんか言いたくて。

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コメント (2)
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