おはようございます。
昨日は1日眠かったです。外回りも移動時間が長かったので、中央特快の中では寝てしまいました。(笑)
時間がなくなってしまいましたので、今日は1枚だけアップしたします。
昭和の雰囲気たっぷりの上野駅、食堂車です。
昭和57年 上野駅にて サシ481 特急「ひばり」
※クリックすると、画像が大きくなります。
昭和57年、東北新幹線の開業直前頃だったと思います。
この頃は駅撮りなんて殆ど好まなかったのですが、新幹線の開業により廃止になる列車の記録を撮るため、何回か上野駅に通いました。
普段は車両ごとの形式写真なんて客車や旧型国電くらいしか撮らなかったですが、全国的にも食堂車は廃止傾向にあったため、念のために撮っておいたのでしょう。
現在では新幹線ですら食堂車は連結されず、「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」くらいしか営業していないですね。
コンビに弁当やホカ弁が駅前や駅中でも手に入る時代。ノンビリ食堂車で、って贅沢を望む人はもう居なくなってしまったんでしょうね。
上野に到着して回送を待つだけの寂しいホーム。夢を新幹線に託して消えていった特急たち・・・。
にほんブログ村
昨日は1日眠かったです。外回りも移動時間が長かったので、中央特快の中では寝てしまいました。(笑)
時間がなくなってしまいましたので、今日は1枚だけアップしたします。
昭和の雰囲気たっぷりの上野駅、食堂車です。
昭和57年 上野駅にて サシ481 特急「ひばり」
※クリックすると、画像が大きくなります。
昭和57年、東北新幹線の開業直前頃だったと思います。
この頃は駅撮りなんて殆ど好まなかったのですが、新幹線の開業により廃止になる列車の記録を撮るため、何回か上野駅に通いました。
普段は車両ごとの形式写真なんて客車や旧型国電くらいしか撮らなかったですが、全国的にも食堂車は廃止傾向にあったため、念のために撮っておいたのでしょう。
現在では新幹線ですら食堂車は連結されず、「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」くらいしか営業していないですね。
コンビに弁当やホカ弁が駅前や駅中でも手に入る時代。ノンビリ食堂車で、って贅沢を望む人はもう居なくなってしまったんでしょうね。
上野に到着して回送を待つだけの寂しいホーム。夢を新幹線に託して消えていった特急たち・・・。
にほんブログ村
長居するお客さんはお断りされないでしょうかね?(笑)
私も東海道からの撤退は意外だと思いましたが、2階建てのカフェテリアなるものが登場したとき、随分怪しくなってきたなとは思いました。今は外食が充実し過ぎて、値段の高い駅弁や食堂車に頼る必要がないんですよね。コンビニが一番の原因かな?
食堂車、東海道新幹線が撤退するとは思わなかったですね。
コメントありがとうございます!いつもご覧いただいて、大変嬉しいです。
私は母親の実家が須賀川だったので、特急に乗ってしまうと食堂車に行っている時間が無かったですね。当時はまだ特急料金が非常に割高に感じましたし、200円の急行料金でさえ出し惜しみしたものです。逆に5時間半も掛けて普通列車に乗り、黒磯で「九尾すし」を買って食べるのがセオリーでしたね(笑)。
リバイバル「ひばり」は撮影できました。今はメンテナンス中でアップできませんが、日付が変わったらアップしようと思っています。また気が向く記事があったらコメント下さいね。
小学生の頃、実家の宇都宮に行くのによくひばり乗ってました。食堂車で食べたナポリタン(だったかな?)、子供心にもとても贅沢に感じたのを覚えてます。
今日、明日とリバイバルひばりが走ります。明日の上り発車時間はあいてるので、仙台駅に行ってみます。
きっと撮り鉄でごった返してるでしょうが・・・。
では今後とも楽しみにしてます。失礼いたしました。
外国は良く知りませんが、乗車時間の長さとか、売値の問題とかがあるのではないでしょうかね。サービスをタダだと思っている日本だと、やはり一般市場よりも割高なものを欲するという感覚が鈍いように思うんですけど。3時間しか乗らないのに、食堂車で30分とか1時間掛かってしまうのでは、ちょっと忙しいですしね。
おぉ、何ヶ月ぶりですかね。
東日本では新幹線の開業まで営業していたように記憶していますが、直流型の路線を中心に食堂車は早くになくなってしまいましたね。
やはり高くて気軽に利用しづらい点、待ち時間、混雑による車内移動の困難さ、社員の不足など、原因も複合しているとは思いますけど。
今になってお金は払っても良いくらいに余裕が出来ましたが、さすがに高校時代くらいまでだと、食堂車を利用するのは経済的に難しかったです。
私も食堂車というのはおぼろげに東海道新幹線で利用した記憶(夢かも?)があるくらいで、在来線の食堂車は記憶にありません。
私は質より量的な満足度を求めてしまうタイプなので、高額で少ない料理はどうもね・・・もうちょっと歳取ったら変わるかな(笑)。
日本を筆頭に最近は韓国や中国も食堂車の連結が無くなりつつあります。
やはり、アジアの感覚だと馴染まなくなってるんですかね。それに比べヨーロッパではまだ健在なのが、羨ましい限りです。
ちゃんと生きております。
確かに時刻表の列車編成表では昭和50年代前半ぐらいから食堂車営業休止と書かれていた列車が目立ち始めたようです。
特急が大衆化した事と合理化の煽りを受けたんだと思いますが、小学校5~6年当時やはり有るものがないと何だからしくないなどと思ってました。
加越やその辺りがデビューして7両とか当時では485系最短編成で食堂も無いし気が抜けた感じでした。
親が車内販売のお弁当を買ってくれたらそれで我慢しないといけない年代でしたし。
そのうち北斗星のお食事でも狙ってみますか。