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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

レトロ風な高崎駅での写真(80系+70系並び)

2009-04-23 06:37:00 | 旧型国電
おはようございます。
昨夜は色々あって早めに失礼いたしました。なので、5時起き・朝風呂の早朝アップです。

まずは1枚の写真をご覧下さい。


昭和52年3月12日(多分) 高崎駅にて

当時、信越線に残っていた唯一の80系運用と、両毛線の主力であった70系の並び写真です。跨線橋は木製の板張りで、特急列車が全て停車する駅にしてはレトロな雰囲気ですよね。
かつては東海道線や東北線の幹線駅でもこのような風景が良く見られたものですが、新幹線の開業による改築や自由通路の設置、ステーションビルの併設や今で言うところの駅中整備などでこのような風景も段々見られなくなりました。

写真は、貰い物のリコーフレックスという6×6番で撮っています。ほんの少ししか使ったことがありませんでした。2眼レフでウエストレベルファインダー、左右逆像という使い勝手の悪さが中学生には重荷でしたね。

当時の様子はもう少ししっかりした画像を過去ログでアップしておりますので、参考までにご覧下さい。なお、過去ログ内のリンクは壊れていますので、こちらに一旦戻ってからリンク先をご覧下さい。

 ・モハ80系 信越本線(高崎にて)

 ・モハ70系 両毛線(高崎にて)

 ・モハ70系 両毛線(高崎にて):その2

 ・関連記事 クハ77:両毛線

昭和52年頃からは旧型国電の淘汰のために115系1000番代の製造が既に始まっており、70系新潟色を皮切りに置換えが進められました。このときも一部の列車で115系化されたものがありました。高崎地区では、吾妻線の40系が既に見られなくなっていたようですね。

未だ中学生で自由が利かなかった頃、宇都宮と並んで複数回訪れた数少ない地域の一つでした。

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小野田線本山支線 クモハ42005

2009-04-09 01:16:00 | 旧型国電
こんばんわ。今日は起きてます。

しばらく旧型国電ネタから遠ざかっていましたので、1回完結ネタになってしまいますが、小野田線本山支線のクモハ42をご紹介したいと思います。


※撮影は、全て昭和57年10月5日です。


雀田駅にて

本山支線は単線1閉塞のみで、1両のクモハ42が往復するだけの路線でした。
早朝に宇部新川駅を出発し、直通で長門本山駅へ。そのまま午前中に7往復を運転します。小野田線との分岐点となる雀田駅から終点の長門本山駅は2駅間でわずか2.3kmという短さ。

土曜のいわゆる半ドンの日は13:30から1往復の電車がありますが、この日は土曜日でないため運休。クモハ42は雀田駅で16:30までパンタグラフを下ろして昼寝。夕方と夜に合わせて6往復して1日の運転を終了します。

写真は夕方の運転のためにやっと起きたところ、といった具合です。



風情のあるサボと形式表記

サボはプラスチック製のようですね。
この日の登板は005。本山支線用として001、005、006の3両が用意されていましたが、001はちょうど幡生工場に入場していたようでした。



クモハ42の検査表記類とお顔

こちら2位側のお顔ですね。長さのあるホロ枠が特徴で、私的にはこちらのお顔が大好きです。ただ、このまっ黄色のお顔はファンの間ではあまり好かれていなかったみたいです。ちなみに、引退末期の頃は、この警戒色は撤去され、茶色一色になりました。



長門本山駅にて

終点の長門本山駅は、突き当りの道路を挟んで直ぐに海になっていたようです。折り返しまであまり時間が無かったので、海を見る余裕がありませんでした。
写真左手前にはコスモスが写っているようですが、悲しいかなモノクロで撮ってしまったため、せっかくの季節感を台無しにしてしまったようです。



長門本山~浜河内間にて

長門本山駅を発車したクモハ42005。奥に見えるのが長門本山駅です。
電化区間において架線柱というのは処理に困るもんですが、構図的には邪魔な架線柱も、木製の架線柱はローカル然とした雰囲気を十分に醸し出してくれました。
「ワンマン」表示も無い時代ですので、オリジナリティもタップリですね。


茶色の関西急電から始まり、横須賀線ではスカ色に変身して颯爽と駆け抜け、また茶色に戻ってローカルでノンビリと余生を過ごしていたクモハ42。
旧型国電にあまり興味を示さなかった私でしたが、GMのクモハ43のキットを見つけて以来、小窓の行列が壮観なスタイルに惚れこみ、このクモハ42系が大好きになりました。
特に、両運転台で貫通幌受けの長いタイプの重厚さが大好きで、とき間に合わずして見ることが出来なかった飯田線のクモハ42に思いを馳せ、意地でも逢いたくなって、山口線の撮影に合わせて立ち寄った次第です。

その後は山口線の12系客車改造により写欲を失い、以来訪れることがなくなってしまいました。
しかし、旧型国電への憧れを誘ったクモハ42は、死ぬまで忘れられない存在でありつづける筈です。

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高崎・上越線の荷物電車

2009-02-18 00:36:46 | 旧型国電
こんばんわ。

昔は「荷物電車」なんて地味な列車があちらこちらに走っていたモンです。今や形的に残存するものや列車として細々と形態を残すものがあるくらいで、まあ、実質は壊滅したと言って良いでしょう。

特急・急行列車に併結したり、首都圏では普通列車に併結したり、専用に組まれて遠距離を延々と走っていたものなど、電車、客車、気動車と、全国様々な態様で走っていましたね。

私の地元東北本線沿いでは、東海道線の荷物列車と同じように、客車仕立てのものの他に、普通電車に併結した荷物車と、荷物専用列車として仕立てられたものがありました。
このうち、『長岡行きの普通列車』に併結されたものについては過去ログでご紹介いたしましたが、今日は荷物専用として存在した荷物電車の写真をご覧いただきたいと思います。



昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

この写真はブローニー6×6で撮影しています。
クモユニ74を連結した6両編成の荷物列車。私が小学生の頃からずっと存在していました。
子供の頃は何が繋がっているのか理解できませんでしたが、クモユニ74やクモニ83で組まれていましたね。寒冷地仕様のクモユニ74200番代も居たのですが、この大目玉の74も必ず連結されていました。
方向幕を見ると、どうも「豊橋」の上の部分が見えているような気がします。東海道線と共通運用だったのでしょうかね。



昭和57年1月頃 東北本線 西川口~蕨間にて

こちらは旧型国電の最晩年の頃ですかね。3+3の6両編成が2+2の4両編成に減車されるようになってしまいました。
中央東線で余剰になったクモニ83800番代が流出してきており、スカ色のまま普通列車に併結されたり、ご覧のように岡山地区でしか見られなかったような湘南色の出で立ちで上越線に進出してきました。
私的にはこの800番代の張上げ屋根車が大好きだったんです。しかし、気が付いた時には中央線の115系が新宿に乗り入れなくなってしまい、撮る機会を逸していましたので、このような形態でも同車を記録できたのは非常にラッキーでした。



昭和61年10月頃 東北本線 蕨駅構内にて(再掲)

こちらは荷物専用列車として最晩年の頃でしょうか。たった2両編成になってしまいました。
既に旧型電車は淘汰され、土着のクモニ143と、足りない分は身延線の荷物輸送廃止で新製ながらも役目を失ってしまったクモユニ143の異動で賄いました。特にクモユニ143-1は「身延線色」にままで上越を走ったため、結構注目を集めましたね。
こちらの写真は新性能車ですが、カテゴリ分類上、旧型国電に組ませていただきました。

線路際に写真を撮りに行って、時間帯が良いこともありしょっちゅう見てはいたのですが、意外と撮影していた枚数は少なかったですね。一つは旧型国電がそんなに急速に淘汰されるとは思っていなかったことと、やはり特急列車に比べて地味、貨物牽引機に比べて特徴がなかったのでしょう。細かいところを見れば奥が深いんですがね。そこは未だ知識のなかった中学・高校時代と言うことで仕方が無いでしょう。

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山間の雪景色 飯田線 80系

2009-01-25 01:27:27 | 旧型国電
こんばんわ。

今日は久し振りに飯田線ネタで、80系の冬景色っぽいバージョンをお届けします。



昭和58年1月10日 東上~野田城間にて580110

何度も訪れたことのある同区間。真冬だけど、ちょっと秋色・・・。





昭和58年1月11日 大嵐駅にて

翌日の移動で。山間にある大嵐(おおぞれ)駅。この区間だけは雪が降り積もっていました。
すれ違う80系は前後で顔が違いました。それまでクハ85は豊橋~豊川間の付属編成として限定運用だったのですが、運用替えがあったようで、4連に連結されるようになっていました。



昭和58年1月11日 温田駅にて

移動のたびにすれ違う列車を撮影できるのは単線ローカルでの楽しみ。
判らなかった駅名も、案内板や線形から特定することが出来ました。



昭和58年1月11日 千代~天竜峡間にて

冬の川原は冷たい風が通り抜け、非常に寒かったですね。突風で三脚を倒されましたが、下が砂地だったため、買ったばかりのM645は無事でした。
画面に映る白いブツブツはゴミではありません。雪が降っているんです。

80系・・・まだまだありますぞい!

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飯田線 旧型国電 51系 (その4)

2008-12-06 00:35:40 | 旧型国電
こんばんわ。

今日は久し振りに旧型国電シリーズで飯田線51系をアップいたします。
※(その3)は『秋味』でアップしましたので、飛び番で(その4)と致します。

昭和56年夏から58年夏の旧国最終運転となるまで、飯田線にはかなりの回数に亘って訪問している関係で、冬にも何度か訪れています。

今日は、昭和58年1月11日に千代~天竜峡間で撮影した飯田線51系に絞ってアップいたします。



















上の写真の場所では雪がチラつきだし、鉄橋のところでは晴れたりと、天候が変わりやすかったですね。
クモハ54+クハ68の2連が行ったり来たりで車両的にも変化が少なく、特にこの区間は飯田線の中でも一番本数が過疎なところなので、撮影には苦労します、
確か、沿線に歩けるような道が無いため、延々と河川敷の砂や石の上を歩いて移動した記憶があります。

その割には絵的にもパッとしない写真しか撮れなかったので、もうチョット変化を出せるような構図にすれば良かったと今更ながら思います。

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