数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

数学史2

2021-09-15 08:30:29 | 数学 教育
以前、数学史の所で、
に関して、書きましたが、その時点ではまだ全部を通読していない状況でしたが、今回やっと通読しての感想です。
 確かにアマゾンでの書評にあるような、日本語訳の拙さは最初の方は感じましたが、読み進めるうちにそれもこの本の特徴かと思いながら、丁寧に読んでいくと、いつしか違和感もなくなり、通読できました。
 文庫本化され、それに伴って、巻末に解説が加わり、この第2巻は吉田武(京都大学工学博士)氏によるものでしたが、この解説が非常にインパクトが強く感動を覚えました。この吉田氏は
を書かれて一気に有名になられたようですが、出身大学学部学科が私と同じで、多分同級ではないので、1年先輩か後輩かです。この本は1993年頃の書かれたものですが、高校の先生などに読んで欲しいような内容で、わかりやすく書かれていて、しかも学生時代数理工学科で学んだことなども思い出される記述(モンテカルロ法やラプラス変換等)があり、ベースとなる数学的な材料にも近親感を覚えました。大学の先生もわかりやすく学生の理解度を意識して書かれた本として、今は見られますが、当時としては初めてではないかと思われる、そんな印象を持った本です。しっかり通読したわけではありませんが、今一度、ゆっくり読み直したい本でもあります。

 さて、その解説ですが、その中で、印象的な記述を紹介したいと思います。

「数学は創るものである。中略。老若男女、誰しも「忙しい」を挨拶代わりに交わし、その結果、むしろ人生を空費している現状においては、学校教育の中で、こうした著作が紹介される余裕も無く、数学の本質である、その自由性、創造性について論じられることも無いようにである。数学は創るものである。それを創り、拡げるために、学ぶのである。」

 教育に携わって来た者として、考えさせられる言葉です。さらに吉田氏の言葉が続きます。

「ところで、最近では、かつて青少年達を熱狂させた英雄物語も偉人伝も、あまり流行らないようである。個性尊重の掛け声とは裏腹に、誰もが平均を欲し、その結果、自らを集団の中に埋没させることで、何の責任も取らない、取ろうとしない世の中になってしまったであろうか。悪いのは常に世間という枠組みであり、制度であり、とどのつまり自分以外の誰かであり、返りてこれを己に求めるという意気と誇りは雲散霧消し、義理人情は廃れ、卑怯未練が大手を振って、敵前逃亡が常態化したからであろうか。はたまた英雄物語を、成功者の実像以上の美談としてしか受け取れない精神の貧困が、その原因であろうか。」

 このくだりは、藤原正彦の言葉として聞こえてきそうですが、

「本書は、自らの化身としての数学を生み出した「巨人達の英雄物語」である。有り余る才能を見事に使い切った者、それに溺れた者、栄耀栄華を極めた者、自らの業績の行方すら知らずに非業の死を迎えた者、様々な知的英雄達の人生の鳥瞰図である。」

 これも藤原氏を思い出しますが、

「教育とは、人の魂に火をつける行為であって、尻に火をつけることではない。本書はそれを為し得る稀有の作品である。出来れば、そのことに感動して、長く繰り返し読み続けていただきたい。そして、その魂に着火していただきたい。こうした名著を絶え間なく供給し続けることは、国の文化の基礎である。かつて我が国では、偉大な教育者であった小堀憲の著作が広く読まれ、まさに吸い込まれるように、青年達は数学の道に導かれていった。そして今は藤原正彦がその役割を担っている。何も本書に親しむことが一つの切っ掛けとなり、数学の虜になっていったのではないか、そして啓蒙の志を立て、新たな名著を生み出していく心の拠り所としていたのではないか、と筆者は睨んでいる。」

 成る程、私も本書の中で、何回かそう感じたところがあり、繰り返すようですが、アマゾン等での書評に惑わされることなく、自分の目と頭で本に向き合うことの大切さをある意味感じた本であります。

 特に印象的だったのは、ポンスレ、ガウス、ケイリーとシルベスタの章で、ガウスはともかく、他の三人はこの本を通して初めてその人生を垣間見た、そんな印象であり、数学教育に携わる者として、得るところも大であった。

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