数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

立花隆 逝く

2021-07-01 10:32:13 | 日記
 先日、立花隆が逝去されたことをニュースで聞き、自分も死を意識する年齢に近づいてきたことを実感しました。
 彼は我々の世代にとって、少なくとも私にとっては、ジャーナリストを意識した人物であり、さらに知の巨人ともいうべき存在でした。田中角栄逮捕に関わるジャーナリストだけで終わることなく、その後は彼の生き方そのものにある種の憧れさえ持つような存在でした。
 私の書斎から彼の著作を取り出してみると、初期の田中金脈問題やその他のジャーナリストとしての著作より、その後の知の巨人としての著作に影響を受けたと思えます。
ジャーナリストは文系という概念を打ち破って、積極的に理系分野への造詣を自ら高め流ことでの著作として、上の本を読みながら氏の文理を超えた幅広い教養とそれを獲得する術を垣間見た気がします。
 そこから、一体どんな「勉強」をするのかと興味を覚えて読んだのが、
ここには、氏の自らの「知の世界」の構築のノウハウが書かれていて、ある意味でファンになったとも言えます。その後は氏の本が出るたびにそれを買い求めていたように思います。
 さらに彼の全てというか、等身大の知の巨人を書いたのが、
かと思います。ジャーナリストから知の巨人へと進化していく氏の生き様を見ていたいと思うようになりましたが、彼も次世代を育てるという視点から東大生を教えることになる。そこには、若い世代の教養に対するある種の退化を感じたいたと思われる。そこで東大に焦点を当てて
現代の教養の危機を意識した著作につながったと思われる。さらに東大が明治以降の近代史の中でどう関わってきたかを詳細に記述した政治史文化史を含めた近代史に大作ともいうべき、
がある。この本を読み返すことで、明治以降の近代史を眺めることは、今の自分には大切な時間のように思える。
 この上巻の五・一五事件記述で、決起に参加した水戸の農本主義者橘孝三郎(愛郷塾塾長。五一五事件で無期懲役)の指導下にある農民決死隊の事があるが、この塾長こそ立花隆(本名:橘隆志)の父親の従兄である。このことはこの本で初めて知ったことであるが、この近代史の本ともいうべき書は、他の近代史とは一味違った読み応えがあり、その意味では、山本義隆の「近代日本150年」(岩波新書)と同じように歴史家でない視点での新鮮な目線を感じざるをえない内容である。
 もっと知りたかった知の巨人の逝去を書斎で一人考えながら。
 ご冥福をお祈りします。                     合掌。

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