数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

嫌われた監督

2021-11-02 19:45:55 | 読書
 大学を卒業して,通信機メーカーへ就職したのですが,その後公務員,そして郷里三重で高校の数学教師になって,その後予備校の数学教師に.そんな自分ですが,最初に就職を考えたとき,スポーツ新聞社への就職を密かに頭に描いたことがありました.大学での専門に拘らなければ,自分が一番好きなのはスポーツでした.小学校ではソフトボール,水泳など.中学では団体競技ではなく個人競技をと,卓球を選びました.そして大学まで卓球を続け,周りはあまりスポーツと縁のない仲間が多く,本格的にスポーツを話題にすることもない環境でしたが,根っからのスポーツ好きの自分の中では,スポーツに関する仕事ができれば,趣味と実益そのものという思いがありました.
 結局転職して,高校の数学教師になったのも,部活の卓球部の監督として選手を指導したい,そんな素朴な思いがあったからです.そんな思いは時として,スポーツのノンフィクションに惹かれることがこれまでもありました.好きな作家には,山際淳司.私の本棚にも,何冊かその作品を見ることができます.
 久しぶりに,スポーツのノンフィクションを読みました.最近,硬いものばかり読んでいたので,気楽に一気に二日で読めました.それが表題にもある,

です.落合監督の数年間を何人かの選手を通して,垣間見ながら,人間落合博満に迫る作品です.私より一つ年上の落合を,若手のスポーツ新聞記者が取材しながら,自らの成長の歩みを監督落合を鏡にしながら,必死にその真相に迫ろうとする作品ともいえるでしょう.ときには,私自身が卓球部の監督としての自らの生き様や姿勢に監督落合をだぶらせながら,そして若手の記者の成長を監督落合の取材という過程で伝えられる内容に感動してしまう自分でした.忘れてしまっていた何かを思い出させてくれる,そんな作品です.
 読み手の生き様によって,この本の理解の仕方も変化すると思われます.ぜひ読みながら,自らの人生を照らしながら思い出してみると目に涙する,そんな時間を持てるかも.そんな本のように感じましたので,内容は各人の読み方,生きざまに依存して楽しんでほしいですね.

数学をつくった人々 第3巻

2021-11-02 05:03:19 | 数学 教育

 第2巻を読み始めた時には、アマゾンの書評にもあるように、日本語訳が直訳風で、もう少し滑らかな日本語にはならないかと思ったが、読み進めるうちに、特に第3巻を読み進める中で、そのような印象は払しょくされて、最後の方では、逆にその日本語訳の滑らかさを実感するようになった。

 第3巻の中で、分担して訳された感があるが、少なくとも第3巻ではその日本語訳は素晴らしいと感じました。もともと、あまり日本語訳に拘っては読んでいなかったので、自分としてはあまり気にならなかったのですが、要は内容が伝わればいいかなという気分で読んでいくと、逆により内容を理解できる気もします。
 第3巻の解説では、数学者の秋山仁が「完璧な邦訳で、最初から日本語で書いた本のように流暢であると」。内容的にも、秋山仁も書いているように、読者の数学のレベルに応じて読める工夫が行き届いている。それが、この本がこれまでも読み続けられている要因と考えられる。読むたびに新たな発見もあるような、ある意味数学書的な印象である。19世紀までの数学を数学者を中心に誰でも読める本書の価値は今も依然としてある。数学史に関する古典的な入門書であり教育的にも、高校数学教育で世界史的な視野で数学の授業でも語られることが大切である思われる。


タイトルが印象的

2021-11-02 04:45:54 | 読書
タイトルが印象的で、久しぶりの丸善で手に取って買いました。普段は田舎暮らしなので、本はアマゾンで買うので、必然的に目にすることがない本があります。大型書店では、何気なく目に入ってくる本があるので、それが楽しみの一つです。そして手に取ったら買うという、立花隆の言葉を思い出し、今回これを買いました。

著者の加藤典洋に関しては、今まで一冊も読んだことがなく、どういう人かも知らないくらいでしたが、今回この本を読みながら著者の人となりを理解できたように思います。私より6歳年上の全共闘世代です。私は安田講堂の攻防を床屋さんのテレビで見ていました。大人も子供も黙ってみているという感じでした。大学生のエネルギーが伝わってきました。多感な思春期の自分には大学生とは日本を変えていくエネルギーがあるのだと、連合赤軍のあさま山荘事件とは異質な何かを感じました。大人の方も、俺たちはできないけど、あいつら大学生はよくやるよなあみたいな、ある意味同情的な指示目線も感じました。また、せっかく東大生になったのに、こんなことしたら将来就職できへんやろとか、それが庶民感覚でした。それを覚悟に、こんな運動する背景には何か重要なことがあるのでは、という疑問もみな感じていたと思われる。それが田舎の中学2年生の素朴な印象だった。


 1969年の東大入試はこの影響で中止になりましたが、12月の時点でそのことは決定されたのですが、東大入試が中止になって、あの数学者森重文が京大に入学した。この秋、彼は文化勲章を受章します。確か広中平祐はフィールズ賞をもらってすぐに文化勲章をもらった記憶がある。親の紋付き袴で、ひとりだけ長髪の青年が文化勲章をもらったみたいな写真が目に浮かびます。森重文はフィールズ賞をもらってから30年後に文化勲章ですか。ノーベル賞とフィールズ賞は同同等のイメージがあったのですが、今回の真鍋祝郎のノーベル賞受賞と同時の文化勲章受章を目の当たりにして、森重文の30年後の文化勲章には違和感がある。ノーベル賞には数学賞はないが、それに匹敵するのがフィールズ賞であるというのは、当時広中平祐が文化勲章を受章した時に、我々の国民の共通認識があった。今回の森重文の文化勲章は、かつての技術大国の日本の退廃を感じざるを得ない。フィールズ賞の重みを国が認識できてないという証左である。国が森重文に文化勲章を渡す時機を失して今に至ったと考えたい。知への憧憬、認識を失ってしまった、情けない国になってしまった。