数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

記憶の切絵図

2020-10-04 20:16:21 | 数学 教育
 数学の本というと、ほかの本と比較しても、通読するということが少ないですね。その代わり、というのもなんですが、読んだ内容は覚えているというか、読み方の違いがあるのでしょうね。

 読んでショックを受けるというか、衝撃をもっても読んだという本は少ないのですが、その中でも印象に残っているのが、志村五郎の「記憶の切絵図」です。

 一気に読んでしまうというか、読んでみたいという衝撃ともいえる感情で読み進める本という感じで、読んだ記憶があります。この本は、英語版もあって、その本も通読しましたが、訳本ではなく、ほとんど同じ内容ですが、別々に筆者が書かれたようです。長年アメリカのプリンストン大学で研究されていた先生なので、英語で書くことも自然な感じなのでしょう。

 志村五郎は、少しでも数学をかじった人ならだれでも知っている世界的な数学者ですが、この本を読んで、少なからずその人となりを実感できたという読者も多いのではないでしょうか。私もその一人ですが。アマゾンの書評で確か飯高先生が、志村先生は「怖い」というか、世界でもあ恐れられている先生だそうです。それだけ、歯に衣着せぬ言い方の数学者なのかと思います。残念ながら昨年亡くなられましたが、年齢的に私の親父と同じ年代の先生でして、この本からそんな時代背景を想像しながら読むことができました。その後出版された「鳥のように」

はエッセイというべきものですが、これもなかなか辛辣な表現を見ることができますが、それもある意味説得力を感じます。

 頭脳流出といわれた時代のその学者そのものかもしれません。戦後、日本人が海外で活躍するというフレーズをそのまま実践した数学者とも言えます。この本を読む前からも、「谷山・志村予想」や、フェルマーの最終定理の証明に関して、志村五郎の名前をよく聞いていましたが、本でいえば、協同の著者として丸善から出版されていた微積分の演習書「微分積分学演習提要」でも知っていました。

 この演習書は、そんな世界的な数学者がアメリカに行く前に作った演習書という意味でも貴重というか、編著者すべてが有名な数学者ばかりなので、今でも大切に持っています。紙ベースでしかないのはもったいないので、問題集として使いたいために、Tex で電子ファイルにしてみてはと、ある数学者から言われていましたが、いまだに実現していません。気が付いた今からでも、少しずつ電子化していこうかと思っています。

 さて、「記憶の切絵図」ですが、全体を通して印象に残っているのは、今まで、有名で素晴らしい数学者といわれていた、例えば、高木貞治とかをある意味ぼろくそに書いてあることには初めて目にすることで印象的です。その表現に反発した数学者がいろいろ書いたりしていますが、私は一人の読者として志村五郎の数学者としての数学感や研究者としての感性を読むことができると思っています。

 この本によると、志村五郎は、東大の教員になったとき、薄給のため、予備校での講師もしていたという。そんな視点から東大の入試問題に関しての記述もみられる。私の受験生の頃は、東大は1次試験と2次試験があり、1次試験は、記述試験ではなく、選択問題や数学なら最後の数値を書くだけの、今のセンター試験のような試験が3月3日にあり、それは足切りみたいな試験で、その合格者が3月7日8日の2次試験で、記述試験を受けるようになっていた。1次試験は、国語(現代文、古文、漢文)数学ⅠⅡB、英語、理科2科目、社会2科目となっていました。2次試験は今の2次試験と同じ科目配点でした。

 その1次の問題に関して出題した問題に関しての記述がこの本に書いてあります。数学者としてだけでなく、教育者としての視点からもいくつかのことが書かれています。教える側から、また学ぶ側からと。その意味では非常に冷静な視点で書かれていると思えて、その内容にもなるほどと思えるのでした。

 そんな世界的な数学者の志村五郎が書き下ろしで、文庫本として、貴重な内容の本を、80歳を超えた時に書いたものが以下です。
読み返すことで、そのたびに新し発見が得られる貴重な文庫本です。最近は数学書も文庫本で読める時代になってきましたね。

 なお、志村五郎は中国の説話文学のある意味専門家ともいうべきその博学さには頭が下がります。