龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

盆踊り 100円ひろた。

2008-09-27 20:39:56 | Weblog
僕は小学校を龍神村で過ごした。

夏休みになると、まず“夏の友”を終わらせてから・・・と思いつつ宿題である“夏の友”は後回しや。

夏といえば日高川で泳ぐんや。
夕方になったら日高川に釣りに行くんや。
飽きたら山へクワガタとカブトムシをとりに行くんや。
みんなが集まったら野球やるんや。

とにかくそれの繰り返しで、夏休みは過ぎていく。

ところが8月13日~15日は違った。
帰省ラッシュや。

子供のころを龍神で過ごしたねえやんやにいやんたちが帰ってくる。

村は一気に人口が増えた。


13日、14日の夜は福井小学校の校庭で盆踊りや。
この頃の盆踊りは結構にぎわっていた。
昭和30年頃の龍神村の人口は8500人、現在の人口4400人の倍くらいだったからだ。
久しぶりに会うねえやんやにいやん達の同窓会みたいなもんもあったと思う。

やぐらの周りに踊る人の輪ができて、またその外側に輪ができていた。
その輪の周りを鼻水を垂らした僕らが走り回る。
意味無く走りまわる。
酔っているにいやんやおいやんが多かった。


僕らにとっては酔っている人がありがたかった。


次の日の朝、僕らは首に出席表をぶら下げてラジオ体操に行くんや。
毎日毎日行くんや。

普段は眠そうに行くんやけど、盆踊りの次の日は元気にいった。

酔っ払ったにいやんらが落としたお金が結構落ちてる。

ラジオ体操を一応ちんたらすましてから、校庭をくまなく探すんや。
下を向いて校庭を歩くんや。

「100円ひろうた。」

その時の喜びはすごかった。
1000円札が8つに折れているのを拾ったこともあった。
これは僕にとって“恭子さん事件”に次ぐ大事件だった。

今日、50歳近い僕は東京の銀座を歩いたが、やっぱり下を見てお金が落ちてないか探している自分に気づいた。


このブログを書きながら、銀座で下向いて歩く癖が、盆踊りの次の朝の後遺症だということに気づいた。


気づかせてくれておおきに! 龍神村!


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