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いつか元気になぁ~れ♪

ある日の突然の体調不良。
そして突然見つかった脳動脈瘤。術後元気になるまでの日記。
そして新たに息子と私の日記。

4月4日の発作

2008-04-08 | てんかん
4月3日に病院へ行って、高校の野球部をお休みした息子は、
「休んじゃうとちょっと行きづらい雰囲気だよなぁ~」と元気に登校して行った。

脳波に異常があるといっても、見て分かるような変化はないものだなぁ~と
少し安心した。

今日の夜から薬の投与が始まる。
効果がどうか出ますように!

息子は夕方「疲れたよ~」といつもの様に部活から帰ってきた。
少ししたら、コタツにもぐって寝てしまった。
別に気になる変化もなし。
すっかり3時間程熟睡して起きてきた。

夕食を食べようとキッチンへ呼んで、テーブルの前に立った瞬間、
まるで足を滑らせて転んだように、息子が倒れていく姿が横目に入った。
「何ころん・・・・!」
言葉の途中で私は絶句した。
何かにつまずいたのではなく、倒れてしまったのだ。
顔もゆがみ、体中が痙攣し、うなり声のようなものが聞こえる。
私は、息子の頭部を抱え、名を呼びながら上半身をさすった。
痙攣は更に酷くなり、両足は硬直しているように見えた。
私は自分に「落ち着いて・・・落ち着いて・・・」と言い聞かせながら
どうしたらいいのか分からないでいる自分がいた。
数分したら、大きないびきをかきはじめた。
そして数秒したら、目を開けて、苦しがるようなもがく様な
動く動作をし始めた。
私は体を抱きしめて、動く動作を止めた。
そして、最後は動く力も尽きて、静かに横になった。
倒れてから15分間の発作だった。

近くに寝かせ話しかけたが、目はうつろで、うまく答えることはできなかった。
倒れてから4時間後私の肩を掴まりながらベットまで歩いて行けた。

始めて見た息子の発作。
母親でありながら、恥ずかしい事だが、倒れている姿を見た時から涙が止まらなかった。
名前を呼び続けている時も、泣きながら・・・。
冷静に今思えば、情けない母親である。
でも、こんな驚きとショックは初めての事だった。

高校生になったら、私も子育てが終わる。
あんなに大きく、元気に、良い子育ってくれた。
ちょっと寂しいけど、心の中には、ひと段落が着いていた。
今までは子ども扱いしていたけど、これからは息子が自分で歩いて行く道。
親としての道しるべは随分少なくなるだろう・・・。
などと一回り大きくなった息子を感じていたのだ。
そんな息子の倒れた体を抱きしめながら、とても小さく感じ、
胸が痛むだけ痛んだ。

健康で元気な息子が倒れた瞬間から顔が変わってしまった。
その一瞬の出来事を初めて受止めた私は、ショックから立ち直れないでいる。

・・・だめだよ。私がしっかりしなきゃ・・・。しっかりしなきゃ・・・。

息子は倒れてから数日間、頭痛と疲労感が続いていた。

倒れた次の朝、病院へ電話して倒れた症状を話し、相談してみた。
倒れるという事よりも、倒れた後動く動作が気になったのだ。

倒れた後、名前を読んだり、体を触ったりしませんでしたか?と先生に聞かれた。
倒れた時に、私は大きな声で息子の名前をずっと呼び続けていた。硬直している体をさすり続けていた・・・。
それがいけない動作だったようだ。

「倒れて数分で意識が戻りかけた時、周りがそういう動作をしていると答えなければと倒れた本人が動こうとします。動こうとしても完全に意識が戻っている訳ではないので、変な行動をします。だから倒れたときは静かに見守ってください」

・・・倒れたときの対処の仕方を知らなかった。

高校の入学式は3日後。
どうしよう・・・。もし入学式でこんなふうに倒れたら・・・。
学校にどう説明しよう・・。
まだ治療もし始めたばかりだし、病気として説明も、薬を飲み始めて体に合っているのか、発作が起きるのはどういう時が多いのかなど何も説明できない。

倒れた息子の姿が頭に浮かんだ。
・・・息子はどうなるのだろう。
・・・私はどうしたらいいのだろう。

病気を見守る側の難しさを今度は私自身が感じた。
去年は子供達が乗り越えてきた。(病気の私を受止めて・・・)

冷静に、冷静に・・・。しっかりと受止めて!と自分に言い聞かせていた。

てんかん

2008-04-05 | てんかん
「てんかんの疑い」と診断された息子は無事元気に卒業式を迎え、高校も入学準備が忙しい。

中学の担任の先生も「あんなに元気一杯のあいつですから!もう大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

あの日だけで、本当に相変わらず元気だ。

それでも、私の胸はもやもやするばかり。
「これから入学し、新しい生活が始まる。そんな息子がもし私のように何度も倒れるような状況になったら。
それまで疑いだけでいいのだろうか・・・。
それとも本当にただの疲れで、いやまさか・・・でも私も比較的若くに大きな動脈瘤が見つかった。
私の母親だってくも膜下出血で亡くなっている。専門医にきちんと検査してもらった方が・・・」

インターネットでてんかんの専門病院を検索してみた。
私の動脈瘤の手術も北海道だったのだ。日本中どこでも構わない。
私の倒れていた状況と同じになるなんていうのはどうしても避けたい。
息子の青春時代は輝く思い出にしてあげたい。。。

専門病院が随分少ないのには驚いた。
静岡にある病院に目が留まった。
「静岡てんかん・神経医療センター」
電話をして、今の現状を話し、診察してもらえるか聞いてみた。
予約日を探してくれて、数週間後来院。
出来る検査は全てしてもらい、医師から検査結果の説明があった。
「脳波には異常がありますね」
病気の説明もとても詳しく、病気を受け入れなければならない私達家族を
落ち着かせるように静かに話してくれた。
私の質問も1つ1つ答えてくれた。
薬の服用が始まった。
最初は少量から2週間おきに増量していく。

果たして効果はあらわれるのだろうか。
もう倒れないのだろうか・・・。
私の様に薬が効かなくて、倒れてばかりだったら・・・。
不安は山のようにあるけど、今は昔と医療も違うと信じて薬を飲ませてみよう・・・。

それに始めて倒れて救急車で運ばれた時の先生が言ったように、発作はもうないかもしれない。
脳波に異常があったって、もう数週間前から元気に入学する学校の野球部の練習に精を出している。

そう!そう!大丈夫!
薬を飲んで、発作を止めて、息子は普通に生活できるさ!!と
不安を飲み込んだ。

帰りの車の中、音楽を聴きながら、鼻歌を歌っている元気な息子の姿に安らぎながら、
数時間掛かる道のりを少しだけ心地よく運転していた。

2月29日の出来事

2008-04-05 | てんかん
ブログを随分更新していなかった間に、新しい病魔と闘うことになってしまった。
今度は私自身ではなく、15歳の息子・・・。
母親として自分の病気よりも悲しいよ。。。
でもこれからが戦いの始まり。

2月29日・・・。
公立高校の入試試験終了日。
中3の息子が無事高校入試試験を全て終了。
28日が教科試験で29日は面接。
昨日は、「試験・・・力出せなかったよ・・・。ごめん。多分公立は無理かも」
落ち込んでいた。
でも面接は自分らしく元気に発揮できたようで、明るい顔で帰ってきた。
「落ちても、最後まで戦ったよ!ちょっと悔しい気持ちもあるけど、後悔なし!!」
元気に笑顔でそう話すと、すぐに着替えて近所の友人の家へ遊びに出かけた。

2時間程経った頃だろうか。
息子の友人達が顔色を変えて我が家へ走ってきた。
「○○が、おかしいんです!すぐ来てください!!」
「苦しんでもがいている様な感じなんです!!」

部屋へ入っていくと、おでこから血を流し、目は虚ろで言葉が出てこない。呼んでも返事をうまくすることが出来ない。今まで見たことも無い息子がそこに座り込んでいた。
愕然とする気持ちを落ち着かせながら、息子の名をを呼び続けた。
座っていた息子は横になり、大きないびきをかき始めて、目をつぶってしまった。

いびき!まさかくも膜下出血??
救急車で病院へ・・・。

病院に着く頃には意識は戻っていた。
でも言葉はうまく出てこない。
歩き、普通に話せるようになるには、倒れてから7時間位経ってからだった。

こんな状態になるのを、初めから見ていたわけでもないので、医師に状況説明も出来ない。
息子の友人達の話では、
「トランプをしていたら、急に目つきが変だなと思ったら、苦しがるようにもがいていて・・・」と急な出来事に子供達も驚くだけでうまく説明などできない。
ただ、友人の部屋のじゅうたんには血が沢山着いていた・・・。という事は倒れておでこをぶつけたというだけではないだろう。相当苦しんで?いたのだろう。

医師は「てんかんの疑いですね。」
数日後脳波検査で、はっきりと異常脳波が見つかった。

「てんかんだと思います。初めての発作なので次倒れるのを待ちましょう・・。もしかするともう倒れないかもしれないしね」

てんかん!てんかん!簡単にそう判断するなんて!それに次の発作が起きてからもう少し検査をしましょう・・・なんて。
私の脳裏に15歳の自分が居た。
母親である私自身が15歳の冬、急に倒れて検査の結果「てんかん」と診断された。
でもどんなに発作止めの薬を飲んでも、発作を止めることは出来なかった。
発作は更にひどくなり、1日起きに倒れるという状況にもなり、15歳から18歳までの青春時代は随分辛い時間だった。
20歳に倒れたのを最後に倒れることは無くなった。
結局色々な病院で検査や診察はしたが、最後には「てんかんではなく、脳に何かしらの障害があったのでしょう。それが成長期に乱れたのでは・・・」と辛かった数年にピリオドが打たれた。

40数年の人生の中でもこの時代の事は一番思い出したくない辛い時間。
一番楽しい青春時代が送れたはず。。。でも私は送ることが出来なかった。
母親に「こんな体に何で生んだのよ!」と酷い言葉を投げつけることもあった。

スポーツは何でも器用にこなす。体力は十分ある!野球を小学校2年からやり続けていて、高校野球も楽しみにしていた。
病気もしない、元気な体だった。
その息子が!なぜ急に!

突然訪れた出来事に、昔の自分と重ねてしまう息子の姿。
親として冷静に対処しなくては・・・しなくては・・・と自分に言い聞かせていた。

本当はお疲れ様!!って家族中が気持ちも軽く、明るく食事してたはず。
受験という試練を乗り切った最後に起こった出来事だった。