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いつか元気になぁ~れ♪

ある日の突然の体調不良。
そして突然見つかった脳動脈瘤。術後元気になるまでの日記。
そして新たに息子と私の日記。

息子の体調

2009-05-14 | てんかん
すっかり春まっただ中!
季節はいいはずなのに、我が家は心配事ばかりが続いています。

色々とあり過ぎて、ブログを綴る元気がありませんでした。。。

私が東京の病院の先生から脳外科の先生の診察をご紹介され、診察日前日、息子の学校から昼間電話がかかってきました。
「まさか…倒れたのでは!」とどきどきしながら話を聞くと、頭痛がひどくて早退させるので迎えに来るように…との電話でした。
息子がてんかんを持病である事を十分わかって下さっている保健室の先生は、私の体調も心配してくれながら、息子の心配もして下さいます。


息子は私が飲んでいる頭痛薬「ロキソニン」を飲ませ、横になっていても頭痛は続いていたようです。
3日前位から頭痛は続いていたそうです。

次の日私の脳外科の診察なので、一緒に病院へ連れて行きました。
1日中頭痛は続き、辛そうな息子。
診察が混んでいて、6時間も待たされた疲れからか、私は待合室で痙攣を起こしてしまいました。
自分の頭痛もあるのに、私の面倒も見なくてはいけない息子は辛かったでしょう。
CT検査では何の以上もありませんでした。
息子の頭痛は3週間位様子をみて、もし心配だったらMRI検査もしてみましょうという事で診察は終わりました。

それから毎日、頭痛はどうだった?と学校から帰ってくると聞いているのですが、頭痛はずっと続いているようです。
我慢できない程の時は、処方されたロキソニンを飲んでいるそうです。
16歳でロキソニンが常備薬なんて!
てんかんのお薬は今まで飲んでいて頭痛などありませんでした。
突然頭痛に毎日苦しめられているなんて…。

息子の頭痛はどうしたらいいのだろう…。
もしかしてストレスからかと思って、学校の事、部活の事などを聞いてみました。
学校は去年よりも楽しいし、部活も努力が認められてやりがいもあって、何も不満はないそうです。
じゃ、家の事は?と聞いた時、ちょっと小さめな声で「ないよ…」とつぶやきました。私が心配している、私の体調の事でのストレスから頭痛が来ているのでしょうか。「お母さん、心配かけてばかりでごめんね」と言ったとたん、息子は怒り顔で「そんな事で頭痛が続いている程、やわじゃないよ!」

息子の頭痛は続いています。
何とかしなくては…と気になっている体の症状を一つ一つ診察していく事にしました。
私が脳動脈瘤の手術をした3日後、息子は学校の体育祭の人間4段ピラミットのてっぺんに一人で立ち上がる役でした。練習中、ピラミットが突然崩れて、息子は頭からまっさかさまに落ちてしまう事故にあいました。(事故っていうのかな)
救急車で病院へ運ばれたのですが、保護者である私は旭川です。
私の友人が対応してくれたのですが、運ばれた病院も脳出血がある訳じゃないしという事で1日で退院したそうです。
ただ、その時、首の骨が一本前に出てしまっていて…心配もあるけど大丈夫でしょう…という事だったそうです。

もしかしてその首から、頭痛が来ているのではないかと大きな病院の整形外科に診察に行ってみたり、てんかんの先生に相談の電話をしてみたり、息子の体も何か起きているのではないかと心配が尽きません。

むすこが倒れて、脳波異常が発生し、てんかんが発病したのもこの学校の怪我からです。
「もしも私が脳動脈瘤の手術をしていなかったら、息子もこんな辛い体調を抱えなくてもよかったかもしれない…」と毎日学校から帰ってきて、今日も頭痛がひどくてね…という息子にすまない気持ちになります。

今の私に出来る事は、まず息子を病院で色々と調べてもらう事も大切ですが、私が倒れる事もなく、痙攣も来ないで元気な母親になる事…と自分に喝!

先日テレビでがんと戦いながらも、がんばってホノルルマラソンに出場し、完走している方々の番組がありました。
息子は涙を溢れさせて、つぶやきました。
「お母さんも、絶対元気になるよ…」
そのつぶやきは、今まで聞いていた言葉よりやさしく、心から溢れ出て来る様なつぶやきでした。

「そうだね…」涙で一杯の私の顔はそっぽを向いて答えました。

息子の病院

2009-01-15 | てんかん
今日は息子の病院へ行ってきました。
薬が体に合っているのか、本人はとても元気です!
病などどこにあるのだろう・・・と思うほど。

そこで、息子の先生に私の発作の相談をしました。
旭川の病院でもらってきた紹介状を見て頂いて、痙攣発作の症状を説明しました。

「この薬の飲んでいるのですよね。毎日きちんと・・・」

きちんと飲んでる話をしたら、それでも発作が15分からひどいと1時間近く続くなんて・・・と話を聞いた先生は愕然としていました。

「お母さん、早急に入院して下さい。再度検査をして、薬も体に合うのにさらに探してみましょう。発作を止められる薬を探さなくては、いけませんよ」と言われてしまいました。

「じゃ、娘の大学がお休みなる2月にお願いします」と話したら、先生は
「現在も毎日発作が止まらないのですよ!異常な状態なのですからすぐに入院してください!お母さんがこんな状態じゃ息子さんだって心配が尽きないでしょ!」と怒られてしまいました。。。

私の都合が付き次第入院となってしまいました。
入院に落ち込んでいる私に息子は、「お母さんの発作は異常だよ。息が出来なくなる発作を見ていると、いつ止まっても不思議じゃないよ。俺は一人でも大丈夫だから、入院して良くなる方法を探そうよ!」と言われてしまいました。

息子の病院は、難しい発作を起こす患者さんが日本中から診察に訪れる専門病院です。様々痙攣発作のプロの先生です。
専門医の先生ならば、私の発作を止められる薬を探せるかもしれない。
入院はもういや・・・なんてくじけた事言わないの!と自分に喝です!

今年の目標「あきらめない!」に向かって、また入院です。
どんな結果が待とうとも、あきらめないで前に進まなきゃ!
前に進まなきゃ、良い結果も訪れませんものね



息子の病院

2008-06-10 | てんかん
今日の天気は

天気が良かったからなのか、疲れが取れたのか久しぶりに私の体調も落ち着いていました。

先週、静岡の息子の病院に診察に出かけました。
すごーく疲れて、自宅に戻ってから数日間は寝込んだ母です。(ぐすん・・・)

病院は自宅から車で4時間程掛かります。
出かける数日前から体調もいま一つの状態で車の長距離運転。
電車か車か・・・と悩みつつ時間の事を考えて車にしました。
体調がいま一つだけに、神経を集中させて運転。。。

私の体調を考慮して、診察日の前日に出発。
さて、ホテルに泊まってと思っていたのですが、息子が一言。

「ホテル代高いし、お姉ちゃんの家に泊まろうよ。あいつも喜ぶしさ・・・」

結局名古屋まで、運転して行きました。
病院から名古屋まで2時間弱。
まっ!いいかと軽く考えていたものの、今回ばかりは名古屋がとても遠く感じました。
何度も車で名古屋へ行っていたのに、今までは距離を感じることも無かったのに、
やっぱりちょっと体の調子が悪かったのでしょうか。

名古屋は美味しい食べ物が沢山あって、大好きな街です。
ひつまぶし、味噌カツ、味噌煮込みうどんなどなど。

息子は「名古屋に着いたらひつまぶし食べに行こうよ!」とわくわく♪
ひつまぶしを食べたくて「名古屋へ!」という言葉が出てきたのだな・・・と後で思いました。
・・・・全く親の事など考えてないのね~
でもそれも息子の体調が良い事!と自分を宥め、翌日病院へ。

「静岡てんかん・神経医療センター」はてんかんや神経医療の専門病院です。
てんかんの研究に対しての資料を読んで驚きました。
てんかんもまだまだ研究しなければ、分からない点が沢山あるようです。
頭の病気はまだまだ解明されていない点があるのですね。

今回の息子の診察は、初めて薬を飲み始めて2ヶ月の状態の確認と、血液検査、体の状態の検査でした。
薬を飲むことによって、血中濃度が濃くなったったり、肝臓を傷めてしまったりするようです。
検査結果は「異常なし」一安心です。
薬を飲み始めて倒れると言う発作もありませんし、至って息子は健康!元気!です。

でも、今飲んでいる薬の量では発作を止めるだけの作用は無いそうです。
2週間で1錠づつ増やしていくのですが、2錠までは体調の変化などは無かったのですが、3錠になったら「だるさ、倦怠感、眠気、吐き気」があり、2錠に戻りました。
2錠を1ヶ月程続けてから、3錠に変更。
2錠で体を慣れさせたのか、今度は副作用の様な状態にはなりませんでした。
今は3錠です。

先生:「少なくても4錠から5錠飲まなくてはいけません・・・。様子を見ながら増やしてください。手がぴっくっとなるのは止まりましたか?」

息子:「たまにあります」

先生と話しているのを黙って聞いていました。
息子の発作は倒れないだけで小さな発作は続いているのです。
手がぴっくっとなるというのは小さな発作です。
てんかんというとバタン!っと倒れるのが一般的ですが、手がぴっくっと一瞬引っ張られるような感じで動く症状も発作なのだそうです。
初めての診察の時に色々な発作があるのだと驚きました。

すっかり元気!な息子の姿に「もしかして直ったかも・・・」なんて思った私は自分の甘さを恥ずかしく思いました。

薬を増やしながら飲み続けること、それでも手のぴっくっと動くのが止まらないようであれば、薬を変えてみるという事で診察終了。
最後に初診の時から気になっていた事を相談してみました。

「先生、息子の病気が私の遺伝か何かなのか調べることはできますか?」

「血液で調べることになります。でも結果が出るのは長くて年単位です。大丈夫ですか?」

「年単位!」

「人間の遺伝子は数十万個以上あります。それを一つづつ調べていくのです。遺伝子解析研究として調査することはできますが、調査いたしますか?」

調査の内容の説明を聞きながら、遺伝子の奥の深さを感じました。
人間の体の中の細胞の数!全く素人の私には驚き!!です。

「お願い致します」

たとえ年単位での検査でも私の体からの遺伝で息子がこうなったとしたら、息子が子供を持つ時に参考になると思ったのです。
父をなった息子が自分の子供の小さな変化に驚かず、対応できるはずだと思ったのです。

息子と私は採血し、研究の同意書にサインしました。
息子が笑いながら、
「DNAで親子じゃない!なんてなったらどうする!」
「う~ん、そうかも!」と2人で笑いながら、いつもはここまで感じない親子の絆というのを感じました。

親と子。
血の繋がり、遺伝子・・・。
私と息子がこうして今回調査することで、これからの先の事は色々な事がわかるのでは・・・と期待しています。
母がくも膜下出血で亡くなり、私が大きな脳動脈瘤が発見され、私が原因不明で15歳から20歳まで倒れる発作があり、15歳の息子が倒れる発作でてんかんと診断された・・・。どこまでも頭の遺伝子に何かあるのではと気になっていたのです。
私の母がもし生きていれば、自分の遺伝で娘が動脈瘤になったのだと自分を責めていたと思います。
もし今回の検査で私の遺伝子が息子の発作の原因だとしたら、私も自分を責めるのだろうと思います。

「もしさ、お母さんの遺伝子で病気になったとしたら・・・ごめんね」とつぶやく私に息子は、
「本当だよ!母さんの血100%かよ!似たくないな!でも親子だから気にすんなよ♪大丈夫!大丈夫!俺で変えてやる!」と大声で笑いながら叫んでいました。

いつも明るい息子に今回も助けられました。

私の母がもし私の病気の事で同じような台詞をつぶやいたら、私も息子と同じように伝えたと思います。
「お母さん、大丈夫よ!私だって元気になるし、親子なんだからさ!大丈夫!」

・・・母と私、私と息子・・・遺伝子で全て繋がっているのですね。
こんな事を深く感じるなんて、ちょっと不思議な感覚でした。

息子の病気から学ぶ事は本当に沢山あります・・・。












全てに前向きに!

2008-05-30 | てんかん
「今日ね。野球部の顧問の先生に俺の病気の話し、話していいって言ったよ!薬も飲んで倒れてないし、先輩たちとも少しだけ距離が縮まったしね。大丈夫だよ!野球部で頑張りたいしさ!」

先生方に話してから2週間。息子は吹っ切れた様な笑顔をして話してきました。

「大丈夫なの?」私は心配顔。。。

「大丈夫だよ!なんとかなるさ!もう倒れないような気がする!」

春の試合が終わった頃、野球部の部員全員の前で、息子の話をしたそうです。

話をした後の帰宅した息子が、
「今日、話したよ!先輩達も受け入れてくれたし、すごくほっとしたよ!帰るときに頑張れよ!って言ってもらったり、困ったことがあったら相談しろよ!って言ってくれたり、すげ~嬉しかったよ!話して良かったよ!中には頭触って大丈夫なのか!触ったりしていると倒れるのかって頭をコツコツ触る先輩がいて笑い話にされちゃったよ!」

私はその笑い話の内容を聞いて、多少ショックを感じていました。
「そんな事されて、傷つかないの・・・」

息子は大笑いで答えました。
「そんな事位で、傷ついてたら部活なんて出来ないよ!気にしない!前から思っていたけど、母さんは心配しすぎ!そんな事で傷つくなんて弱すぎだよ!」

中学校の部活とは全く違う、高校の部活の中で随分成長した息子を感じました。
そして、全てに前向きに向いている息子の言葉で、私の足りない部分を感じました。
・・・親として恥ずかしいです。。。(トホホ・・・)

前回倒れてから1ヶ月も過ぎ、薬が合っているのか倒れる事もありません。
来週診察に行きます。
もしかしたら、すご~く良くなっているのではなどと期待心を持っています。
昨日から学校の送迎も終えて、自転車での登校も始めました。
登下校時に倒れたらどうしよう・・・などと心配は尽きないのですが、
いつまで心配していても・・・と本人に任せてあります。

本当に親も子供と共に成長していくものなのですね

無事入学♪

2008-05-30 | てんかん
倒れてから、進学する高校へどう説明していいのか分からず、悩んでいた。
いつ倒れるか分からない発作。
説明しなくては・・・。

倒れた状況を息子に話したら、元気なくつぶやいた・・。
「部活辞めなきゃだめかな・・・」
野球が大好きな息子が、寂しそうに聞いてきた。
「辞めなきゃだめなら、内緒にできないかな・・・」
「野球。続けたいんだよ・・・」

息子の中学校の先生に相談してみた。
中学校の先生は、息子の倒れた状況を聞いて驚きながらも、色々と助言してくれた。おまけに知り合いの高校の先生にも相談してくれて、連絡をくれた。

「3人の高校の先生に尋ねてみましたが、どの先生も学校に入学を取り消すとか、部活を辞めさせるとかないそうですよ。だから大丈夫です。今の状況を分かる範囲で学校側に説明しておけば、大丈夫ですよ」

すぐに進学する高校へ電話をして、息子の体の状況を話した。
詳しい内容は入学式の後で・・・という事になった。

心配の中、無事入学式を終了。
入学式の後、担任の先生、保健の先生、野球部の顧問の先生、学年主任の先生達に息子の体調の話しをしました。
全ての先生方が了解してくれ中、野球部の顧問の先生は少し困り顔。
それは、当たり前である。
スポーツだけに、倒れる場所や状況によって大きな怪我に繋がることもあるのだ。
野球部の先生に、
「本人の強い希望です。今はまだ発作の回数がこれから多いのか、それとも薬によって発作を止められるのかはまだ分かりません。ご迷惑を多大にお掛けする様になれば、退部致しますが、今はどうか様子を見て頂けないでしょうか」
少し無理なお願いをした。

数分考えてから、先生は
「本人の希望なので、了解致しました。でも倒れる状況、そういう病気を持っていることなどは、部員全員にお話していいですか。それを了解して頂かないと困ります。倒れた時に処置するのは子供達のケースも多いのです」

私は、
「分かりました。本人にその旨は伝えます。話していいかどうかは本人からお返事させます。宜しくお願い致します」

退部ということは無く、また学校側も快く息子の状態を受け入れてくれた。
当分学校への送迎は、私が車でする事になったが・・・。

部活を終えて、疲れきって戻ってきた息子に先生方の返事を伝えた。

「・・・そうか。部員全員に話すんだ。そうだよね。少し考えてから答えを出していいかな・・・」

思春期の息子。そんな自分の事を話されるのは色々な心配や決断があるのだろう。

「顧問の先生も、少し考えて・・・と言ってたから大丈夫だけど、長い期間考えるのは無理だよ。でも焦らず、よく考えて・・・」

本当は入学式を迎えた夜なんて、これからの楽しみに胸を躍らせている時間だろう。

「まっ!色々とあるけど、とりあえず無事入学!これから頑張ろうよ!」と
少しだけ笑顔でこれからの未来に乾杯♪した



4月4日の発作

2008-04-08 | てんかん
4月3日に病院へ行って、高校の野球部をお休みした息子は、
「休んじゃうとちょっと行きづらい雰囲気だよなぁ~」と元気に登校して行った。

脳波に異常があるといっても、見て分かるような変化はないものだなぁ~と
少し安心した。

今日の夜から薬の投与が始まる。
効果がどうか出ますように!

息子は夕方「疲れたよ~」といつもの様に部活から帰ってきた。
少ししたら、コタツにもぐって寝てしまった。
別に気になる変化もなし。
すっかり3時間程熟睡して起きてきた。

夕食を食べようとキッチンへ呼んで、テーブルの前に立った瞬間、
まるで足を滑らせて転んだように、息子が倒れていく姿が横目に入った。
「何ころん・・・・!」
言葉の途中で私は絶句した。
何かにつまずいたのではなく、倒れてしまったのだ。
顔もゆがみ、体中が痙攣し、うなり声のようなものが聞こえる。
私は、息子の頭部を抱え、名を呼びながら上半身をさすった。
痙攣は更に酷くなり、両足は硬直しているように見えた。
私は自分に「落ち着いて・・・落ち着いて・・・」と言い聞かせながら
どうしたらいいのか分からないでいる自分がいた。
数分したら、大きないびきをかきはじめた。
そして数秒したら、目を開けて、苦しがるようなもがく様な
動く動作をし始めた。
私は体を抱きしめて、動く動作を止めた。
そして、最後は動く力も尽きて、静かに横になった。
倒れてから15分間の発作だった。

近くに寝かせ話しかけたが、目はうつろで、うまく答えることはできなかった。
倒れてから4時間後私の肩を掴まりながらベットまで歩いて行けた。

始めて見た息子の発作。
母親でありながら、恥ずかしい事だが、倒れている姿を見た時から涙が止まらなかった。
名前を呼び続けている時も、泣きながら・・・。
冷静に今思えば、情けない母親である。
でも、こんな驚きとショックは初めての事だった。

高校生になったら、私も子育てが終わる。
あんなに大きく、元気に、良い子育ってくれた。
ちょっと寂しいけど、心の中には、ひと段落が着いていた。
今までは子ども扱いしていたけど、これからは息子が自分で歩いて行く道。
親としての道しるべは随分少なくなるだろう・・・。
などと一回り大きくなった息子を感じていたのだ。
そんな息子の倒れた体を抱きしめながら、とても小さく感じ、
胸が痛むだけ痛んだ。

健康で元気な息子が倒れた瞬間から顔が変わってしまった。
その一瞬の出来事を初めて受止めた私は、ショックから立ち直れないでいる。

・・・だめだよ。私がしっかりしなきゃ・・・。しっかりしなきゃ・・・。

息子は倒れてから数日間、頭痛と疲労感が続いていた。

倒れた次の朝、病院へ電話して倒れた症状を話し、相談してみた。
倒れるという事よりも、倒れた後動く動作が気になったのだ。

倒れた後、名前を読んだり、体を触ったりしませんでしたか?と先生に聞かれた。
倒れた時に、私は大きな声で息子の名前をずっと呼び続けていた。硬直している体をさすり続けていた・・・。
それがいけない動作だったようだ。

「倒れて数分で意識が戻りかけた時、周りがそういう動作をしていると答えなければと倒れた本人が動こうとします。動こうとしても完全に意識が戻っている訳ではないので、変な行動をします。だから倒れたときは静かに見守ってください」

・・・倒れたときの対処の仕方を知らなかった。

高校の入学式は3日後。
どうしよう・・・。もし入学式でこんなふうに倒れたら・・・。
学校にどう説明しよう・・。
まだ治療もし始めたばかりだし、病気として説明も、薬を飲み始めて体に合っているのか、発作が起きるのはどういう時が多いのかなど何も説明できない。

倒れた息子の姿が頭に浮かんだ。
・・・息子はどうなるのだろう。
・・・私はどうしたらいいのだろう。

病気を見守る側の難しさを今度は私自身が感じた。
去年は子供達が乗り越えてきた。(病気の私を受止めて・・・)

冷静に、冷静に・・・。しっかりと受止めて!と自分に言い聞かせていた。

てんかん

2008-04-05 | てんかん
「てんかんの疑い」と診断された息子は無事元気に卒業式を迎え、高校も入学準備が忙しい。

中学の担任の先生も「あんなに元気一杯のあいつですから!もう大丈夫ですよ」と励ましてくれた。

あの日だけで、本当に相変わらず元気だ。

それでも、私の胸はもやもやするばかり。
「これから入学し、新しい生活が始まる。そんな息子がもし私のように何度も倒れるような状況になったら。
それまで疑いだけでいいのだろうか・・・。
それとも本当にただの疲れで、いやまさか・・・でも私も比較的若くに大きな動脈瘤が見つかった。
私の母親だってくも膜下出血で亡くなっている。専門医にきちんと検査してもらった方が・・・」

インターネットでてんかんの専門病院を検索してみた。
私の動脈瘤の手術も北海道だったのだ。日本中どこでも構わない。
私の倒れていた状況と同じになるなんていうのはどうしても避けたい。
息子の青春時代は輝く思い出にしてあげたい。。。

専門病院が随分少ないのには驚いた。
静岡にある病院に目が留まった。
「静岡てんかん・神経医療センター」
電話をして、今の現状を話し、診察してもらえるか聞いてみた。
予約日を探してくれて、数週間後来院。
出来る検査は全てしてもらい、医師から検査結果の説明があった。
「脳波には異常がありますね」
病気の説明もとても詳しく、病気を受け入れなければならない私達家族を
落ち着かせるように静かに話してくれた。
私の質問も1つ1つ答えてくれた。
薬の服用が始まった。
最初は少量から2週間おきに増量していく。

果たして効果はあらわれるのだろうか。
もう倒れないのだろうか・・・。
私の様に薬が効かなくて、倒れてばかりだったら・・・。
不安は山のようにあるけど、今は昔と医療も違うと信じて薬を飲ませてみよう・・・。

それに始めて倒れて救急車で運ばれた時の先生が言ったように、発作はもうないかもしれない。
脳波に異常があったって、もう数週間前から元気に入学する学校の野球部の練習に精を出している。

そう!そう!大丈夫!
薬を飲んで、発作を止めて、息子は普通に生活できるさ!!と
不安を飲み込んだ。

帰りの車の中、音楽を聴きながら、鼻歌を歌っている元気な息子の姿に安らぎながら、
数時間掛かる道のりを少しだけ心地よく運転していた。

2月29日の出来事

2008-04-05 | てんかん
ブログを随分更新していなかった間に、新しい病魔と闘うことになってしまった。
今度は私自身ではなく、15歳の息子・・・。
母親として自分の病気よりも悲しいよ。。。
でもこれからが戦いの始まり。

2月29日・・・。
公立高校の入試試験終了日。
中3の息子が無事高校入試試験を全て終了。
28日が教科試験で29日は面接。
昨日は、「試験・・・力出せなかったよ・・・。ごめん。多分公立は無理かも」
落ち込んでいた。
でも面接は自分らしく元気に発揮できたようで、明るい顔で帰ってきた。
「落ちても、最後まで戦ったよ!ちょっと悔しい気持ちもあるけど、後悔なし!!」
元気に笑顔でそう話すと、すぐに着替えて近所の友人の家へ遊びに出かけた。

2時間程経った頃だろうか。
息子の友人達が顔色を変えて我が家へ走ってきた。
「○○が、おかしいんです!すぐ来てください!!」
「苦しんでもがいている様な感じなんです!!」

部屋へ入っていくと、おでこから血を流し、目は虚ろで言葉が出てこない。呼んでも返事をうまくすることが出来ない。今まで見たことも無い息子がそこに座り込んでいた。
愕然とする気持ちを落ち着かせながら、息子の名をを呼び続けた。
座っていた息子は横になり、大きないびきをかき始めて、目をつぶってしまった。

いびき!まさかくも膜下出血??
救急車で病院へ・・・。

病院に着く頃には意識は戻っていた。
でも言葉はうまく出てこない。
歩き、普通に話せるようになるには、倒れてから7時間位経ってからだった。

こんな状態になるのを、初めから見ていたわけでもないので、医師に状況説明も出来ない。
息子の友人達の話では、
「トランプをしていたら、急に目つきが変だなと思ったら、苦しがるようにもがいていて・・・」と急な出来事に子供達も驚くだけでうまく説明などできない。
ただ、友人の部屋のじゅうたんには血が沢山着いていた・・・。という事は倒れておでこをぶつけたというだけではないだろう。相当苦しんで?いたのだろう。

医師は「てんかんの疑いですね。」
数日後脳波検査で、はっきりと異常脳波が見つかった。

「てんかんだと思います。初めての発作なので次倒れるのを待ちましょう・・。もしかするともう倒れないかもしれないしね」

てんかん!てんかん!簡単にそう判断するなんて!それに次の発作が起きてからもう少し検査をしましょう・・・なんて。
私の脳裏に15歳の自分が居た。
母親である私自身が15歳の冬、急に倒れて検査の結果「てんかん」と診断された。
でもどんなに発作止めの薬を飲んでも、発作を止めることは出来なかった。
発作は更にひどくなり、1日起きに倒れるという状況にもなり、15歳から18歳までの青春時代は随分辛い時間だった。
20歳に倒れたのを最後に倒れることは無くなった。
結局色々な病院で検査や診察はしたが、最後には「てんかんではなく、脳に何かしらの障害があったのでしょう。それが成長期に乱れたのでは・・・」と辛かった数年にピリオドが打たれた。

40数年の人生の中でもこの時代の事は一番思い出したくない辛い時間。
一番楽しい青春時代が送れたはず。。。でも私は送ることが出来なかった。
母親に「こんな体に何で生んだのよ!」と酷い言葉を投げつけることもあった。

スポーツは何でも器用にこなす。体力は十分ある!野球を小学校2年からやり続けていて、高校野球も楽しみにしていた。
病気もしない、元気な体だった。
その息子が!なぜ急に!

突然訪れた出来事に、昔の自分と重ねてしまう息子の姿。
親として冷静に対処しなくては・・・しなくては・・・と自分に言い聞かせていた。

本当はお疲れ様!!って家族中が気持ちも軽く、明るく食事してたはず。
受験という試練を乗り切った最後に起こった出来事だった。