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いつか元気になぁ~れ♪

ある日の突然の体調不良。
そして突然見つかった脳動脈瘤。術後元気になるまでの日記。
そして新たに息子と私の日記。

どうしたらいいかな・・・

2009-10-27 | 脳動脈瘤
今日は、とてもいい天気でしたね。
こんな気持ちのいい天気の日は、ゆっくりとお散歩でも…と思っていたのですが、毎月診察して頂いている病院の診察日で、朝からバタバタと病院でした。

「体の調子はいかがですか。痙攣は落ち着いていますか?」と先生はいつもの穏やかな笑顔。
私は目の調子が悪い事や目からきているのか、ひどい痛みの頭痛があった事、その時細かい痙攣が続いていた事などを話しました。

「眼科の先生が、目の動き等に異常はないのですが、見えていた右目の視界が急に半分位になってしまって、痙攣等が原因で視神経が委縮してしまっているので、脳外科の方で詳しい検査をしてみた方がいいのでは…と言われましたが…」と話したら、穏やかな笑顔の先生は厳しい顔をして…
「どこの眼科で言われたの!痙攣から視神経になんて事はないよ!大きな病院の眼科で検査してもらったの?色々と心配の点は多いのに、頭痛が続いている時に救急に電話してロキソニンの話しをしたなら、その病院で眼科、脳外科とチーム医療をなぜしてもらわないの?あなたの場合は救急で対応したくちゃいけない場合もあるから、地元の病院へかかれる方がいいのに…」

地元の病院でどこかいいところは…と聞かれても、今の病院へ通う前に地元の病院で見てもらっていたのです。
眼科へ行っても「難しい手術だったから、目の状態がどう変化するか分からない…脳外科の範囲だよ」と言われて、脳外科へ行けば、「眼科で見てもらってよ。脳には異常はないからね…」と言われて、患者の私はどうしたらいいのか分からなくなりました。
どこかに異常を感じて、病院へ行っても、最後には「手術をした病院じゃないし、詳しい症状は分からないからね。旭川へ行って診察してもらう以外ないでしょう」と言われてしまいます。

約1年前から息子の病院の先生が私の痙攣の症状を書いてある紹介状を拝見して下さって、今の先生を紹介して下さいました。
今の先生は、精神神経科の先生ですが、脳外科の先生とチーム医療として私を診察して下さっています。
「地元で、眼科、脳外科、神経科とチームで診察してくれる病院はないの?北海道ではどうだったの?」
返事に困ってしまいました。
地元にはそのような病院はなく、手術した時の旭川でも眼科と脳外科の先生は連絡をなかなか取れないと話しておりました。
病院が言うチーム医療って何だろう…。

「先生、目はどう変化していくのか分からいというのは、旭川でも脳外科の先生も、眼科の先生もおっしゃっておりました。私もこれから視界や視力が変化していっても仕方ないと思っています。ただ、視神経の委縮から来るのならば、何かいい治療法があるのならばと思いました。手術をした左目は失明という状況になっても仕方ないと思っています。出来れば右目が改善出来れば…」

「失明なんて!そんな事だめだよ!この病院で眼科もかかってもらうのはいいんだけど、たとえば毎週診察にとなったら、あなたを一人で病院へ来させるのは心配な点が多いんだ。突然痙攣やめまいが起こったら大変なことになるからね。脳外科の先生と相談してこれからどうするか話してみるよ!今の状態も一時的なものであれば、いいんだけど。あなたの場合は医師同士が話をして診察していくというのは大切な事なんだよ。まったくどうして他の病院はそう対応しないかな!」

私は、この先生をとても信頼しています。
週に1回しか診察日のない忙しい先生ですが、難しい診察の私の状態を理解して、いい方向へと力をかしてくれます。
それでも、すこし怒り気味に言われてしまった私は、診察室を出るとき、しょんぼりしていたのかもしれません。

「それでも、頑張ってるよ!よく頑張ってるね」と先生はそう言って見送ってくれました。

チーム医療。
海外では当たり前の様ですが、日本では少ないように思います。
確かに脳動脈瘤は、脳外科の担当です。
でもその手術に対して、他の科の先生が関わるような症状が手術後に出てくる可能性はあるのです。
素人なので、詳しい事は分からない私が言うのはおかしいのですが、私が今まで診察して頂いた病院では、眼科、脳外科、神経科…とそれぞれの意見で最後はたらいまわしの様な状態でした。

昨年の12月に旭川に入院した時は、脳外科の先生と神経科の先生がお二人で対応して下さいました。
それによって、痙攣の詳しい状況が判明したのです。

私。どうしたらいいかな…。
視力は、とても不自由という状況じゃなければ、少し見えないという事でもいい。
痙攣は細かい痙攣が起きても、大きな痙攣を抑えられればいい。
頭痛もロキソニンを飲めばおさまるならいい。
贅沢なお願いをしている訳じゃないんだけどな。

とても気持ちのいい天気なのに、太陽が眩しすぎて視界が真っ暗でした。
でも、たまには外を歩かなきゃ!と少しだけ散歩しました。
でも何となく、下を向いて歩いている自分に弱さを感じて、ため息…。

なるようにしかならないよね。頑張れ!負けるな!挫けるな!
母は強くなければねっ




やっぱり発作は突然に!

2009-06-09 | 脳動脈瘤
先日綴った涙、涙、涙…の後の痙攣発作。

映画を見て帰ってきて数時間後、軽い痙攣発作が起きた。
その夜は、数回痙攣発作が続く…。
それでも、普通の時は、発作は1日位で治まるのだか、翌日の朝とても小さな痙攣が度々起きていた。
2日続くときは、注意しなければ…と思いながら(前回救急で運ばれた時も2日続いていたから)夕方、ワンコ達の散歩を…と思って隣の友人が我が家にやってきて数分後、痙攣発作が起き始めた。
私の発作を一番見ている彼女が、様子を見ていたが、20分位続く痙攣の発作で、いつもと少し違うと思ったらしい。

「今回は救急車呼ぶからね!このままじゃ死んじゃうよ!」
呼吸も困難な状況になっていたそうで、意識もない訳ではないが、問いかけても返事をする事はなかったそうです。

救急車の方は、途中電話を我が家にかけてきて、私の状況をさらに詳しく聞いたそうです。
その状況を向かっている最中に判断し、運ぶ病院を決めていたのでしょうか。

国立の大学病院へ運ばれました。
後で友人から聞いた話では、私の体の状況などを病院と話している時、私のレベルは98%です!とかなり高い危険度だったようです。

私の意識が数時間後に戻り、目を開けた時には、気道確保で、肺までチューブが器官内挿入されていました。
それがとても痛くて、痛くて…。
先生が横に立つ度、はずしてほしくて、伝えようにも口は器械が入っているので動きません。手も重くて、動かせないので先生の白衣をつかもうとしても動かせないのです。

救急の入院で、常に看護婦さんが隣にいて私の状況を判断しているようでした。
入院中は意識がもうろうとしているし、寝たきり動くこともできなかったので、とても辛い入院でした。

色々な薬のせいなのか、今回の発作が大きな痙攣発作だったからなのか、痙攣発作がどんなふうに始まったのか、救急車にのって、どう病院へ行ったのか、救急で入院中どうだったのか、所々しか記憶にありません。

なぜ、急にこんなに大きな発作が起きたのでしょうか。
大学病院の救急の先生も頭の手術もしているし、原因はいま一つ分からないようでした。

痙攣発作は突然に起こるのです。
でもこの痙攣発作は、偽発作というのもあるそうです。
今回のは本当の痙攣発作が起こってしまったそうですが、日常的に起こる小さな痙攣発作は、偽発作というケースも多いそうです。

今通院している東京の大学病院の先生が説明してくれました。

偽発作、本当の発作、起きてみなければ医師も判断が出来ないそうです。
今回の痙攣発作の入院は、脳動脈瘤の手術の入院の時よりも辛かったです。

ある日突然襲うこの発作を自分自身の事なので、受け入れなくてはと理解しているものの、怖い事です。

発作時の救急で使われる薬も、自分が分からなくなってしまうような強い薬達です。それも何を使っているのか、体にどう影響するのか分からないのです。

発作は、本当に突然に!襲ってきます。
とても辛かった入院を乗り切るには時間がかかりそうです。
ただ少しだけ幸いに記憶が途切れ途切れ…なので何が起こったのか分からない事。

それでも自分の事なので、もっと痙攣発作が自分がどんな時に起きやすいのかとか良く整理して、さけれるように出来ればいいなと思っています。

入院はいやだもの…。

ありがとう・・・。

2009-05-23 | 脳動脈瘤


今日は脳動脈瘤の手術をして2年目の記念日。
新しい誕生日と同じ。

2年前の今頃は意識の反応もなく、左瞼も全く開かなくて、左の視力も全くなかった。
それから比べれると2年経って、良くなっていることだってある。
見え方に不便を感じる事が多いとはいえ、左瞼は開いているし、首の動脈を切った傷だって、すっかり首のしわで分からなくなっている(笑)

まだまだ色々な症状に悩む毎日だけど、今日息子と夕飯を食べながら
「2年前の夜はたいへんだったよね…」と思い出し話が出来るのは、少しつづでも良くなっている証拠だよね。
それに、そう話せる時間を持てる事は、幸せな事だよね。
だって、同じ病気で母は急に天国へ行ってしまったのだもの。

今日は1日沢山の幸せを感じていました。

夕方わんこ達の散歩をしながら、空を見上げて遠い旭川へ「ありがとう」って私を助けて下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

3年目はどんな私になっているのでしょうか。
きっと元気になっている…。
だから今は、少々の事にも立ち向かっていかなければ!
頑張らなくていい…あきらめるな!だよね。

これから、昨年富良野のガラス工場で購入したグラスで、一人ゆっくりと乾杯します♪

旭川の病院のスタッフの方々の思い、いつもブログで元気を下さる方々の思いやりに感謝でいっぱいの乾杯♪です。

…ありがとう。

後遺症ってなんだろう…

2009-04-21 | 脳動脈瘤
今日は、いつも行ってる東京の大学病院へ診察に行きました。
行く電車の中でも、フラフラとする体をなんとか保ちながら、病院へ到着。
診察科に着くなり、看護婦さんが横になれるベットを用意してくれて、診察の順番を待っていました。

先生に、救急で運ばれて、地元の病院での診察の説明をし、現在毎日意識不明になって倒れる事がある事の相談等をしました。

先生もひどい痙攣がある事や、呼吸が1分半位止まってしまう発作が数回ある事などから、地元の病院で何とか対応してくれる病院がないか探してくれたのですが、この前の救急で運ばれた時対応してくれた脳外科の先生もおっしゃっておりましたが、手術の状況も難しく、またこうして後遺症らしき症状が出ているものの、原因がつかめない事などから、救急で痙攣を止める治療はできるけど、診察としてはかなり難しいよね…。と言われてしまった話をしました。

「そうだよね。かなり複雑、難しいケースだよね…」
そう言われた時、とても心配になりました。前回眼科の先生が紹介して下さった違う大学病院の先生は、脳外科の色々な検査をして原因が分からなくなった時、最後は「手術した病院で対応してもらってください。どんな手術をしたのか、脳梗塞もあるしね…」と嫌がられてしまいました。

「先生、後遺症だろうが、原因がなんであろうが、いいんです。普通の生活が出来る薬があれば、いいです。倒れるのを抑えられて、痙攣を止めておける薬があるのであれば、普通の生活ができればいいと思っています」

「脳外科の先生とチームを組んで、これからは対応していくから、話を聞けば確かに難しいケースだけどね。それから、緊急の時(ひどい痙攣)は救急車で病院へ行って対応してもらうんだよ。この病院までは遠いから運ぶことも出来ないし、痙攣を起こしているときに無理して自家用車でこの病院まで来るまでに、痙攣を起こしている肩から脱臼することが多いからね」

痙攣を起こしているときに、無理して自家用車などに座って運ぶと体が硬直している場合が多ので、脱臼を起こしてしまう事が多いそうです。

先生と診察している時も具合の悪い私を見て、脳外科の先生に当日でも診察してくれるか問い合わせをしてくれました。
診察をしてくれると返事を頂き、脳外科に行こうと診察室を出た瞬間、軽く意識不明になって、倒れてしまいました。痙攣は軽くて数分で落ち着きましたが…。
痙攣を止めるため、筋肉にとても痛い注射をうたれ、脳外科の先生はわざわざ私が横になっている部屋に診察に来て下さいました。

今週の金曜日に今度は脳外科の診察です。
私が今診察に行っている精神神経科の先生とお二人で私の難しいケースの対応のお話をしばらくされていました。
どちらもてんかん医療が専門の先生方です。

脳外科の先生に手術から今までのお話を伝えて終えた時、脳外科の先生が
「色々苦しい症状を抱えて苦しいのは分かりますよ。でも一時的に色々な症状が出て、良くなり、また症状が出て…となる時もあります。良くなりますよ」

私ははずかしと思ったのですが、胸が一杯になって涙がこぼれそうになりました。
「先生、手術から色々な症状が出るたび、何度も乗り越え、何度も挫けそうになりながらここまで来ました。でも最近はさすがに疲れてしまいました。
普通の生活ができれば、いいんです。後遺症の症状で、手足を動かすのが不便になる事があったり、言葉が話せなくなったり、物の見え方が違ってしまったり、それらは大きな手術をしたから、乗り越えられます。でも痙攣、突然意識不明で倒れるという発作だけは何とか止めたいのです。どうぞよろしくお願い致します」

最近手術後の色々な辛い症状を後遺症といいますよね。
後遺症ってどういう症状の事なんでしょうか。
後遺症ってなんだろう…。
どこまでも奈落の底に落ちてしまったような気持ちになってしまいます。
でも必ず明かりは見つかるはずですよね。

診察して下さる先生方。
心配して、お世話をしてくれる友人。
元気に!とコメントをくださる方々。
戦ってるのは私だけじゃないんだもの!


発作の原因

2009-04-16 | 脳動脈瘤
ここ数か月、発作止めの薬が効いてきたのか、発作も止まり普通の生活ができるようになっていました。

でも1週間ほど前から、頭痛と首筋の血管がつるように痛くなる事があって、発作止め以外にも頭痛薬を飲むことが多くなりました。

「季節の変わりめでちょっと体が対応しきれてないのかな…」と気にもせず過ごしていました。

物の見え方も不便を感じる事も多くて、視力の低下も感じていました。
でも見え方が変わるのは、今までも変化があったので、気にしないでいました。

一昨日の夕方、一瞬ふらつくような感じで目が回り、胸が苦しくなりました。
「発作が始まる…」と思って、部屋に座り込んだとたん痙攣発作が始まりました。
胸の苦しみひどく、胸、のども苦しく、息を吸う事が出来ません。
意識は朦朧としてきました。

呼吸が出来ない、発作はどんどんひどくなっていくのを感じました。
どうしよう…どうしよう…と遠のいていく意識の中で答えを探します。
もう自分ではどうしようもない痙攣と呼吸困難になっていった頃、隣の友人が帰ってきました。

友人が私を抱きかかえて、ひどい痙攣発作の対応をしてくれました。
私は意識が朦朧としているので、発作の状況は分かりません。
結局1時間半以上、痙攣、痙攣が止まると眠ってしまうように体中の力が抜けて呼吸が止まってしまうようです。
私のほっぺたを真っ赤になるほどひっぱたいて起し続け、意識はないものの、目を開けると呼吸をし、また痙攣を起し、痙攣が止まると目をつぶってしまって呼吸をしなくなる…そんな繰り返しをしていたようです。

呼吸をするといっても、弱い呼吸でいつ止まってしまっても不思議じゃなかったのよ…と友人は顔を青くして話していました。

今通っている東京の大学病院へ相談の電話をしたのですが、痙攣の止まる強い薬を注射して、様子を見るしかない事でこれ以上の治療法がないそうです。

その日は夜中も、辛い痙攣は起こりました。

朝起きていつもの薬を飲んでも、細かい痙攣は止まりません。
それだけ痙攣が続いているせいか、頭痛もひどくなるばかりです。
さすがに翌日は夜地元の病院へ運ばれました。

診察した先生も、痙攣に対して強い薬を数本注射し、その夜は入院でした。
「絶対に動かないでね。トイレにもだめだからね…」
どうしてか理由を先生から聞いて驚きました。
「強い薬を使っているから、呼吸が止まってしまったりすることもあるから…。そのくらいだから、常に状況を確認しているからね」

翌日担当してくれた脳外科の先生に、色々と症状の相談をしました。

「旭川で入院した時の紹介状を読むと、色々と手術、手術後と複雑で苦労しましたね。この痙攣は、てんかんとは少し違う症状だし、かといって精神的なもので発症するようなものとも違う…脳動脈瘤の手術から2年近くたってきたし、はっきり言って原因を追究することはとても難しい事だと思うよ。昨日の痙攣を見ているととても辛いと思う。でも何とか発作を止める薬を探していくしかないけど、今の薬以外で思い当たるものもないし、副作用が色々あるから難しいよね。
またひどい発作が起きた時は、救急でも大丈夫だから、一時的に止めるしかないかもしれないね」

退院をする時も、まだ体はふらふらで一人で歩けるような状態ではありませんでした。

発作の原因はどこまで行っても分からない。
分からなくてもいいんです。完全に発作を止められる薬さえ見つかれば…。

今日お天気が良かったので、隣の友人とウッドデッキでお昼を食べながら、彼女が言った一言。
「呼吸も出来ず苦しそうにしていた姿を何度も見た時、このまま首を絞めて楽さにさせてあげようかと思ったよ…。脳動脈瘤が見つかった時手術の事で苦しみ、今まで色々な後遺症を乗り越え、ここまで来てこんなに苦しい姿。私に娘がいなかったら、楽にさせてあげたいと思ってしまったかもしれない」
小さい頃からの幼なじみで、責任感も強く、気持ちもしっかりとした強い彼女が、そう言ったとき、私は胸が苦しくなりました。
いつでも一番側で私を見守ってくれている友人の苦しみは、どんなに辛いのでしょう。

原因が分からない病気というのもあります。
その時はどうしたらいいんでしょう。
手術する時悩んだ事よりも、今の方が回りにも迷惑をかけているような気がして落ち込んだりします。
でも手術をして「生きている」んです。
手術、手術後…病気になって道を選ぶときは、とても難しい事です。



間寛平ちゃんに感動~!

2009-03-11 | 脳動脈瘤
今日の天気は少々

おそいお昼ごはんを食べながら、間 寛平さんがヨットでの太平洋横断に成功し、ロサンゼルス近郊のロングビーチ港に到着したドキュメントを見ました。

昨年寛平さんが、ヨットとマラソンで世界一周にチャレンジという記事を読んだとき、そのパワーに驚きながら、心配もしました。
昨年の秋頃だったと思うのですが、健康番組で脳動脈瘤の事をやっていました。
説明していた医師は旭川赤十字病院の上山先生だっと思います。
ゲスト6人の方々に脳検査をしたところ、寛平さんに2~3mmだったと思うのですが、脳動脈瘤が発見されました。
寛平さんご本人ももちろん驚かれておりました。

まだ数ミリとはいえ、未破裂の動脈瘤が発見されたのです。
ヨットとマラソンで世界一周なんて、健康そのものの方でも過酷な事です。

私も若い頃ずっとヨットに乗っていたので、ヨットを操作し、海を横断するんて事がどんなに大変な事かわかります。

未破裂の動脈瘤が破裂する原因には、ストレス、疲れ…など色々とあるのだと思います。
いくら自分の夢を叶える為といっても自然との戦いの中でヨットで横断なんて、疲れも、ストレスも最大限だったはずです。
テレビを見ていた私は、寛平さんの体の方が心配になりました。
「寛平さん、体大丈夫かな・・・」

それでも次へのステップに進んでいく寛平さんの言葉や態度には、力強さと病気と共存する姿に感動しました。
ご心配はご本人もご家族の方もあると思います。
でもその事だけに振り回されず、自分の道を信じた自分の力を進んで行く寛平さん、それを見守る奥様、ご家族。

私が手術前、手術後と色々な気持ちに左右されていた事にはずかしく思いました。
今もしも小さな未破裂の動脈瘤が見つかったら、私だったら母を亡くしているので、破裂する恐怖心と、手術後の後遺症の恐怖心で落ち込む毎日だったと思います。
自分の夢に向かって…と言う気持ちは生まれなかったと思います。

どんな病気も、症状も自分本人がどう受け止めるか、どう共存していくかと言う姿勢がどんなに大切なことか寛平さんをみて感じました。

がんばって世界一周を元気な姿で完走してほしいです。
頑張れ!頑張れ!寛平ちゃん~!

とても大切な気持ちを教えてくれてありがとう

少しだけ回復♪

2009-02-11 | 脳動脈瘤
今日の天気は

発作がずいぶん落ち着いてきました
薬が身体に馴染んだのか、体調が落ち着いてきたのか分りませんが、
3日に1回くらいの発作になりました。
それだけでもずいぶん楽になりましたし、家族も私の発作に落ち着いて対応しています。
こんなふうに今の状況とうまく付き合っていくのが大切な事ですよね。

ミシンを踏んで、小物を作ったりもできるようにもなり、ちょっとだけの回復に喜びです

昨日この前入院した病院の先生からご紹介して頂いた病院へ診察に行きました。
都内の大学病院です。
旭川の先生の紹介状と、静岡の病院の先生の紹介状と2通持って、今までの病気の経緯を説明しました。
先生は今までの話を受止めてくれるように聞いてくれました。

「確かに診断の違いはありますが、一概に静岡の先生の診断に決めてしまうには、少々無理がありますし、あなたの発作は色々な体の状況から複雑になっているように思います。これから検査をしながら、色々と良い結果を探していきましょう。私もお二人の先生の紹介状をよく読んで、考えて見ますね。
こうして、原因が分りずらい発作は結構あるのです。それを精神的なものからと一言で診断するには、かなり無理がありますから…」

先生の話を聞いていたら、涙が出そうになりました。

「私は手術がどうこうとか、原因がどこからで、それがどうこうと思っている訳ではありません。私は発作を抑えられて、普通の生活ができればいいと思っています。発作の原因が手術の後遺症でも、それはしょうがない事と思っています。難しい手術をしたのだし、それでも身体に何の障害もなく手術をして下さった事に感謝いたしております。今の発作の原因をある程度判定できれば、発作を抑えられる薬が分るのではないかと思っております。
発作を抑えられれば、いいのですから・・・」

「分りました。出来るだけ色々と考えて、対応して行きましょう。」

眼科の先生がご紹介して下さった病院の先生は、色々検査をしても原因が分からなかった時、手術先で対応してもらってください…と嫌がられてしまいました。
脳の白くなっている箇所が、脳梗塞と診断した事に対して、旭川の先生は静脈梗塞だと意見に違いがあったからです。
旭川の病院に診察に行ったときは、今までの説明をして、東京の先生の説明を伝えたら、今までのとても穏やかな先生を怒らせてしまった事にとても傷つきました。
「手術の事をとやかく言っているわけではないのです。私の申し上げ方が悪かったのだと思います。申し訳ございません。」と謝り続けでした。
一緒に診察室に入った息子もこの状況に驚きでした。
その夜今までにない、発作で入院となったのです。
退院して来て、息子の先生に相談した所、至急入院してと言われて、入院したものの、入院2日目に息子がインフルエンザにかかり、退院しました。
退院時に再度入院した方がいいのか相談した所、入院時の担当の先生には、「精神的なものでしょうから…」と診断されました。
その時にも脳梗塞の話しと手術した箇所に多少気になる脳波はあるのですが、私は脳外科ではありませんから、分りませんので…」ととても簡単な診断でした。

昨年の秋頃からの病院通いに、とても疲れました。
それでも、良くなるのならば・・・どこかで道が開けるのならば・・・と出会う先生を信頼して、ここまで来たのに、「精神的なもの・・・」で終わってしまうのは余りに悲しくて、先生方の診断の相違にどう対応していいのか分らず、静岡からの帰りは、どう帰ってきたのか、分らず、駅で何も分らなくなってしまうほど放心状態でした。
難しい手術の脳動脈瘤が見つかった時よりも、悲しく、辛く、どこに向かえばいいのか分らず、全てに疲れた…という気持ちでした。

そんな色々な気持ちを持って、今回診察に行ったのですが、
「先生は難しいケースだけど、脳外科、精神神経科と組んで色々と対応していきますからね。」と私が悩み続けている気持ちを受止めてくれたように感じました。
少し安心顔でいる私に娘が、
「お母さん、とてもいい先生だと思うけど、期待しすぎちゃだめだよ。難しいケースだから、また診断に相違が出てって事もあるし、傷ついちゃうからね。」
と心配顔で言いました。

病気と付き合うというのは、とても大変なことです。
ましてや、後遺症の様なはっきりしない状況を診察する先生も診断するのが大変だと思います。
だからこそ私自身がしっかりと自分を受止めていかなくてはいけないのですよね。
こんなふうに思えるようになったのも、少しだけ回復したのですよね。

もうすぐ春。
大丈夫ほんの少しでも回復していく。
それが続けば、元気になれるから、ゆっくりとゆっくりと気持ちに余裕を持って、
ほんの少しの回復を感じていこうと思っています



あきらめない!

2008-12-31 | 脳動脈瘤
今年ももうすぐ終わり。
終わり間際に、新たな病気の発症・・・。
手術を選んだ事は正解だったのだろうか・・・そう悩んだりしたけど、いくら悩んでも手術は成功して、私の「命」はここにある。
後悔はおしまい・・・。
前を向いて歩かなきゃ!

今日お墓まりに行くのにいつものお花屋さんへ寄った。
お花屋さんのおばさんは、私の症状を聞きながら涙ぐんでしまった。
別れ際におばさんが力強く私に伝えた言葉・・・

「頑張れとは言わないよ。でもあきらめるな!」

私はその言葉に涙が止まらなかった。
どんな時も、どんな状況になってもあきらめない気持ちはとても大切な事。
忘れてしまっていたかもしれない・・・と思いました。

来年の目標!
「あきらめない!」

辛い発作に苦しい時もあるけど、必ず良くなる気持ちを持ち続けて行きたいです。

ブログで元気を分けて下さる方が、良いお年でありますように・・・



退院しました!

2008-12-28 | 脳動脈瘤
状態良好!ではありませんが、退院しました!

とても色々あっての入院だったので、今回は色々と悩みの多い入院生活でした。

薬をどんなに色々と変えても、発作は1日に数回発症してしまいます。
体に合う、発作を抑えられる薬との出会いがない限り、私は半分寝たきり生活になってしまいます。

でも、必ず良くなる日が来ると信じています。
だって、元気になりたいのですから。
そして、ブログでも心配して下さる方や、応援して下さる方がいてくれるのですから!

ありがとうございます。

もうすぐ今年も終わり。
どうか来年は良い年であります様に・・・。
ブログで出会った方々も健康でいられます様に・・・。

脳梗塞

2008-12-03 | 脳動脈瘤
もう12月。
もうすぐ今年も終わり。なんて1年が早いんだろう・・・。

先日眼科の先生の紹介状を持って、東京の大学病院へ診察に行ってきました。
初診なので、色々な検査の予約を取って診察終了と帰る時、椅子から立ち上がる時全身の痙攣で倒れてしましました。

急遽CT検査とMRI検査をしました。
まだ検査は途中なので、はっきりとした結論は出ないけど「脳梗塞」が引っ掛かっているようです。

先生も私が倒れた時の状態を見て、これからもっと検査をしていかないといけないと思いつつ、手術をした時の状態を知らないので、困惑気味。
東京の先生は今の体の状態は脳動脈瘤の手術の後遺症ではなく、脳梗塞の後遺症だと話します。
脳梗塞がいつなったのか、それによって脳が白くなってしまったのがいつなのか、先生に聞かれても、私は答えられなかったのです。
だって脳梗塞になったとは聞いていないし、知らなかったのです。
私自身の事なのに・・・手術をした事は分かっているけど、そこから先の事は理解し得ていないのです。

・・・私の頭の中はどうなっているの?
時折とても体の調子が悪いのは、手術の後遺症じゃなかったの?

東京の大学病院の先生は、とても親身になって下さる先生で、
「これから検査をしながら、改善できる方法を考えましょう。今の状態は心配な点が沢山ありますから・・・」

12月は、私の誕生日に母とお別れした・・という余りいい記憶のない月です。
12月が来る度に、悲しいことがあるのではないかと心の中は恐怖心でいっぱいになります。
だからこそ、元気でいたかったのに。

元気になります様に
笑顔になれます様に


眼科の診察でダウン・・・

2008-11-10 | 脳動脈瘤
先週の土曜日は、眼科の診察でした。
涙点プラグの治療の結果、ドライアイは解消されて、目の潤いは順調。
でも多少の痛みや頭痛は相変わらずでした。

見え方も違和感がかなりあったので、遠近両用の眼鏡をした方がいいのではと相談した所、先生もメガネをしていると目には負担をかけなくていいかもしれないということで、遠近両用メガネをつくることになりました。

視力検査をしていると、いつも目が回り始めて、気持ちが悪くなってしまいます。
おまけに遠近両用なので、見えずらい文章を確認する検査がありました。
気持ちが悪くなっても、視力検査をしない限りメガネは作れません。
何とか検査終了。ところが、目が回り、目の痛みも増加。
頭痛も朝よりひどくなってきました。
検査を終わって、椅子から立ち上がった瞬間、体中の力が抜けて倒れこんでしまいました。。。

うまく体を動かす事も出来ず、目の痛み、頭痛、吐き気、弱い痙攣、光が眩しくて目にタオルを覆い、横になりました。
言葉もうまく話すことはできません。
先生も色々と対応してくれたのですが、落ち着くまで30分ほど苦しい時間が過ぎました。
眼科の先生は、私の症状を観察してから、家族に「後遺症という症状を超えているように思えます。一度大きな病院で脳機能の検査をしてみてはいかがでしょうか。症状が似ている病気が2つほど浮かぶのですが・・・」と話していました。

自宅に戻り、その病気を調べると、確かに症状が似ているものが多く、とても不安になりました。
来週紹介状を持って診察に行くことになりました。

「病気じゃないよ・・・。手術して病気は治ったはず!元気にもどるはず!」
そう信じたい!

病院の先生が話していた病気は「難病指定」されている病気でした。
「・・・まさかね。・・・まさかね。」

どこまで山を登り続けなければいけないのだろうか。
「きれいだね。ここまで登るのは大変だったね」と頂上でゆっくりできる日は来るのだろうか。。。
今日の天気のように心も




涙点プラグ

2008-10-31 | 脳動脈瘤
今日はとっても寒かったです!
半纏を羽織って寒さ対策・・・。

息子にもちょっと生地にこだわって半纏を作りました。
 

寒いくせにとっても薄着でいる息子に作った半纏は、裏地に綿を入れた他、フリースも使って、厚手!厚手!
余りに暖かく出来上がったため、今度は素肌に羽織っているとんでもない息子です。
いつも「この暖かさが母の愛情よ!」と言い聞かせてます!

昨日は、眼科の診察でした。
ドキドキしながら、涙点プラグの治療を受けました。
注射針で涙点にコラーゲンを注入して、ドライアイを防ぎます。

診察の朝から左目が痛くて、頭痛もします。おまけに左側の顔面まで痺れいているような、痛いような・・・。診察を待っている間右目も痛くなりました。
目に注射なんて、恐怖心でいっぱいだったのですが、目の痛さのため診察を受ける頃には、
「痛くても、どんなでもいい・・・早く良くなるのならば・・・」
と思いました!

実際には、注射をうたれているという感覚もなく、痛さもさほどでもありません。
ただ、コラーゲンが入って行く感覚には違和感がありました。
注入し、鼻が詰まるような感じまで注入すると終りなのですが、終り頃になると頭の中がふわっとした違和感がありました。
まさか、頭の中まで感じると思わなかったで、驚きました!
両目が終わった時には、放心状態です。先生の話も聞こえているような、聞こえていないような・・・。頭の中に感じた違和感に驚きとショック?でした。
見えるものも落ち着くまで涙目でうるみっ放し。
15分程で落ち着いてきます。

数時間後、治療をした効果に驚きました。
目の瞬きをした時に、眼球のつるっとした感覚が膜が入っているような感じで、快適なのです!
瞬きに不自由を感じたことはなかったのですが、今までとの違いを感じているということは、前はばり!ばり!って感じだったのかもしれません。
潤いがある目って、こんなに快適なのね~と目に対して初体験。
これで少しでも目の痛みや見え方の改善になってくれたら嬉しいのですが・・・。

まだ目の調子はいま一つですが、数日後には良くなっているはず!と思っています。
だって、今朝目の赤みは随分解消されていましたもの

眼科の診察

2008-10-24 | 脳動脈瘤
今日の天気はすごい

そのすごい雨の中、眼科に診察に出かけました。
ここ数ヶ月、視力の低下や、視野の変化に戸惑っていました。

術後から変化に変化を重ねて、今の状態まで回復してきたので、これからも変化はしていくだろうと思っていたのですが、回復から今度は低下に変わってきました。

黒い影も多くなってきて、見えづらいのです。

術後近所の眼科に診察に行った時、
「脳動脈瘤の手術後の変化なので、眼科だけでは、診察できないから、総合病院で診察してください」と言われてしまいました。
そこで、総合病院の眼科に診察に行けば、
「術後の事なので、後遺症ですね。手術もどんなふうに、どんな手術だったかも分かりませんし、ある程度はしょうがない症状ですね。見えなくなったわけじゃないから・・・」ととても軽く診察されました。

それから、目に関して少し変だなと思っても病院へは行きませんでした。
でもさすがにここまで色々低下してくると不安になってきます。
インターネットで色々と調べました。
眼科で、脳神経系に詳しくて、検査もなるべく早くおこなってくれる病院。
車で1時間ちょっとの場所に見つけました。

検査を6種類。診察もとても丁寧にして下さいました。
視野が随分欠けているのにも驚きました。
右目は左半分側しか見えず、他の部分は欠けていたのですが、頑張って働いてくれている右目の視野も欠け始めていたのです。
おまけに目がおかしい・・・と感じ始めてから夜になると目が赤く充血してしまうことが多くなりました。
これはどうも異常な位のドライアイが原因のようです。
涙の量の検査というのを初めてして分かったことです。
そして最後に先生はもう少し詳しく検査するけど、
「緑内障の疑いもあるね」と言われてしまいました。

緑内障といえば、いずれ失明してしまう病気です。
来週更に詳しい検査とドライアイの治療のため涙点プラグという治療をします。

涙点プラグとは・・・
涙の排出口である涙点を閉じ、涙の流出を抑えて、涙を目の表面に十分にためる方法です。涙点にシリコンや合成樹脂製の涙点プラグを挿入します。

目の涙点は目の上下にあるそうです。私は下の涙点に栓をするそうです。
その治療法を聞いて、鳥肌が立ちました!

「注射を涙点に差して、栓をします。コラーゲンを注入します。痛みはそれぞれ違いますが、少々痛いですね。ちくっとします。腕に痛い注射をする感覚と考えて頂ければ何となく想像が付きますよね」

看護婦さんは優しい笑顔で説明してくれましたが、腕じゃなくて目に注射なんて!しかも痛いんだよね・・・目にちくって痛みどんなの?と想像すればするほど痛い感覚が増してきました。
でもそれで少しでも良くなるのならば!我慢。我慢。

来週の診察は眼科の先生だけでなく、神経内科の先生の診察もあるそうです。
色々な方向で診察して下さる事に感謝です。

術後1年半。まだまだ回復していない点は沢山あるけど、後遺症だからと受止めながら、少しでも改善できる方法はないのだろうかと探る気持ちも大切ですよね。
だって!元気になりたいんだもん!

それでも来週の「涙点プラグ」の治療は痛さに恐怖。。。
「痛いよ~!」と叫ばないよう心得て行かなくては

出来たぁ~♪

2008-10-10 | 脳動脈瘤
今日は息子の体育祭でした。
娘と2人で見学に♪
高校の体育祭は始めてみました!体の大きな子供達が走っているのは迫力があって面白かったです。
足の速い息子は、リレーの選手として役目を果たしていました。
とても元気な姿に母は涙・・・・
薬が効いているのか、とても元気です!

こんなに元気な体なのに、突然倒れるようなこともあるなんて、頭の中はやっぱり不思議な事ばかりですね。


今日は手術後2ヶ月から作っていた脳動脈瘤のホームページを完成させました!

作っている途中作り上げようか、どうしようか迷っていたのですが、友人に病気の参考にしたいけど、ブログじゃ分りづらいよ~と連絡を頂いて完成させようと思いました。

まだ完成ではなく途中なのですが、少しづつ作り上げていこうと思っています。
ホームページを作るのは好きな作業です。
お店のホームページも数年前から作っていました。
色鉛筆でお絵かきしているような感覚が好きな作業です。

脳動脈瘤のホームページは好きな写真の素材やさんから素材をお借りして、
病気というちょっぴり暗いイメージのテーマからは外れて・・・と
作りました。

ぜひぜひよろしければご覧になってみて下さいね♪
未熟な者の作りなので、見づらい点などあると思いますが、宜しくお願い致します。
文章も手術後うまく綴ることができなくなりました。
だから、読みづらい所もあると思います。

それでも少しでも力になれることがあれば、とっても嬉しいです。
このブログやホームページを通して、力になって頂いたり、力になれたりと出来たら素敵だと思います。
ブログでは力になって頂いているばかりなのですが・・・。

ホームページのアドレスは・・・
「http://www5.ocn.ne.jp/~treasure/top.htm」です。
本当に未熟ですが、どうぞ宜しくお願い致します。