先週の水曜日、静岡の息子の病院の診察日でした。
息子も久しぶりに脳波検査です。
検査結果は…
「だいぶ脳波が落ち着いてきているね。良くなってるよ。薬は飲み忘れないでいれば、更に良くなるのは意外と早いかもしれないね」
ほっとしました。
約1年前、突然倒れた息子の姿。
スポーツ少年で、元気一杯の、病気一つした事がない息子が倒れたのです。
はじめて息子のてんかんの発作の姿を見た時は、母である私も情けなく腰が抜けてしまいました。
その時の脳波と今の脳波はずいぶん改善されているのです。
高校を卒業する時はどうか脳波は全て改善されていて異常がないとなって欲しいと毎日願っています。
ちょうど息子の学校もお休みで、娘も大学が休みだったので、娘の荷物を名古屋に届けながら、広島まで車で長距離旅行へ行きました。
私はずっと前から広島へ行ってみたいと思っていました。
でもさすがに関東からは遠い道のりです。
家族で広島旅行なんて予算もないし、車しかない!と思っていました。
名古屋から広島までも7時間近くかかる道のりです。
でも運転してくれる友人が今回は一緒に出かけてくれたので、何とか頑張ってひたすら高速道路を走って出かけてきました。
息子の病院に診察に行くので、名古屋から近場の奈良へ行ってみようか…と話していたのですが、息子がちょっぴり甘え顔で
「母さん、広島へ行きたかったんだよね。だったら呉に行ってみない?」
息子は自分の夢の大学を見に、呉に行きたかったのでしょう。
来年は2年生になって、自分の進学を決定しなければなりません。
その前に自分の思いや夢を確認したかったのかもしれません。
旭川で急遽入院した時に私の世話をしてくれたお礼と思って、運転覚悟を決めて広島行きを決めました。(出発当日まで迷っていたのですが・・・)
呉は、静かなとても素敵な町でした。
息子は大学の前で笑顔で写真を撮って満足顔。
「俺絶対入学して、必ずここにくるから…」と夢を語っておりました
(私と娘はハイ!ハイ!って感じですが・・・)
宮島も行きたかった場所です。
宮島の美しさ、自然、町並み…どれもとても素敵でした。
空気が澄んでいて、吸い込むたび体の中から悪い空気が入れ替わるようでした。

宮島の住民の鹿達。町の中にはどこでもゆっくりと歩いています。

宮島の町並みです。

夕方の宮島です。とっても素敵な時間です。

手術後旭川へ診察へ行く以外、長い時間の外出は手術後初めてでした。
発作が薬が効いてきたのか、落ち着いてきている今だからこそ行けたのですよね。
それだけ元気になったのですよね。
原爆ドームはショックでした。
博物館では、亡くなったお子さんのお洋服などがどんな状況だったのか説明文と共にあったのですが、母としての気持ち、親としての気持ちを考えると読むたびに涙があふれてきました。
娘も息子もずっと無口でした。
博物館を出てきた子供達は「私たちは幸せだね…」と涙ぐんで一言。
私は「そうね。こうして生きている。夢を持てる。本当に幸せだね」と二人の肩を組んでつぶやきました。
息子の一言で出かけた広島は、忙しく回りましたが、色々な思いを持てた旅でした。
旅行中は気が張っていたのか、比較的元気だったのですが、自宅に戻りほっとして体中の力が抜けたのか、3日間寝たきりの私でした・・・とほほです
息子も久しぶりに脳波検査です。
検査結果は…
「だいぶ脳波が落ち着いてきているね。良くなってるよ。薬は飲み忘れないでいれば、更に良くなるのは意外と早いかもしれないね」
ほっとしました。
約1年前、突然倒れた息子の姿。
スポーツ少年で、元気一杯の、病気一つした事がない息子が倒れたのです。
はじめて息子のてんかんの発作の姿を見た時は、母である私も情けなく腰が抜けてしまいました。
その時の脳波と今の脳波はずいぶん改善されているのです。
高校を卒業する時はどうか脳波は全て改善されていて異常がないとなって欲しいと毎日願っています。
ちょうど息子の学校もお休みで、娘も大学が休みだったので、娘の荷物を名古屋に届けながら、広島まで車で長距離旅行へ行きました。
私はずっと前から広島へ行ってみたいと思っていました。
でもさすがに関東からは遠い道のりです。
家族で広島旅行なんて予算もないし、車しかない!と思っていました。
名古屋から広島までも7時間近くかかる道のりです。
でも運転してくれる友人が今回は一緒に出かけてくれたので、何とか頑張ってひたすら高速道路を走って出かけてきました。
息子の病院に診察に行くので、名古屋から近場の奈良へ行ってみようか…と話していたのですが、息子がちょっぴり甘え顔で
「母さん、広島へ行きたかったんだよね。だったら呉に行ってみない?」
息子は自分の夢の大学を見に、呉に行きたかったのでしょう。
来年は2年生になって、自分の進学を決定しなければなりません。
その前に自分の思いや夢を確認したかったのかもしれません。
旭川で急遽入院した時に私の世話をしてくれたお礼と思って、運転覚悟を決めて広島行きを決めました。(出発当日まで迷っていたのですが・・・)
呉は、静かなとても素敵な町でした。
息子は大学の前で笑顔で写真を撮って満足顔。
「俺絶対入学して、必ずここにくるから…」と夢を語っておりました
(私と娘はハイ!ハイ!って感じですが・・・)
宮島も行きたかった場所です。
宮島の美しさ、自然、町並み…どれもとても素敵でした。
空気が澄んでいて、吸い込むたび体の中から悪い空気が入れ替わるようでした。


宮島の住民の鹿達。町の中にはどこでもゆっくりと歩いています。

宮島の町並みです。



夕方の宮島です。とっても素敵な時間です。

手術後旭川へ診察へ行く以外、長い時間の外出は手術後初めてでした。
発作が薬が効いてきたのか、落ち着いてきている今だからこそ行けたのですよね。
それだけ元気になったのですよね。
原爆ドームはショックでした。
博物館では、亡くなったお子さんのお洋服などがどんな状況だったのか説明文と共にあったのですが、母としての気持ち、親としての気持ちを考えると読むたびに涙があふれてきました。
娘も息子もずっと無口でした。
博物館を出てきた子供達は「私たちは幸せだね…」と涙ぐんで一言。
私は「そうね。こうして生きている。夢を持てる。本当に幸せだね」と二人の肩を組んでつぶやきました。
息子の一言で出かけた広島は、忙しく回りましたが、色々な思いを持てた旅でした。
旅行中は気が張っていたのか、比較的元気だったのですが、自宅に戻りほっとして体中の力が抜けたのか、3日間寝たきりの私でした・・・とほほです
