3月9日、高松で開催された勉強会へ参加しました。よりによって突然の寒波、強い風やみぞれが降ったりと久々に震えました。寒かった~〝❅
翌日は晴れて、昼頃には暖かくなりました。ほっ~。。。
hideさんが学生時代、4年間過ごしたアパート。何年か前にまだ残っていると聞いて訪ね、感動の後しばし思い出に浸るhideさん…。まだあるかなあと行ってみると、ありましたよ!!数年前とほとんど変わらず、嬉しそうにアパートの周りを散策。hideさんの部屋は、緑の屋根の右隣だったそう。この一角だけ、昭和へタイムスリップしたような不思議な光景…。
裏に回ると
54年前から4年間過ごした場所、長い年月が想像できますね。もう誰も住んでおられないような?雰囲気でした。
それからコロナ禍で亡くなった三豊市の友達のお宅へ向かいました。4年前の3月にお手紙をいただいて、桜の頃に会えたらいいねとお返事を書いたのが最後のやり取り。5月に急に体調が悪くなり入院し、6月10日に旅立ちました。ご主人も入院後2回しか会えなかったそうです。コロナめえ……😢
彼女と出会ったのは24年前。広島で開催された頸髄損傷者の懇親会、全国から多くの方が参加されました。懇親会が終わった後、平和公園で私と同じく車椅子を旦那様が押す彼女とばったり。受傷後間がなく不安が大きかったあの頃に、初めて同じような組み合わせのご夫婦と出会い、とても親近感を覚え笑顔になったあの瞬間を今でもはっきりと覚えています。7歳年上の彼女は姉の様な存在でした。いつも明るく、何があっても弱音を見せずいつも前向き。そんな姿に背中を押されっぱなし。
彼女のお宅の前では、ご主人が待っていてくださいました。庭の梅、枝垂れ梅が迎えてくれました。初めて訪れた彼女の家なのに、初めてとは思えないくらい落ち着く。ご主人が入れてくれたコーヒーやお茶を口にすると、胸がいっぱいになりました。ご主人も2年前体調を悪くされ入院されたそうですが、前を向いて過ごされていて彼女と同じだなあと…。仏壇の前に座りお参りをさせていただいた時、やっぱりいなくなったんだあと涙が止まらない。
彼女の車椅子はそのまま残され、部屋もそのまま。窓際にある彼女の机からは、きっと真正面に庭が見え、四季を楽しみながらパソコンや手紙を書いていたのでしょう。庭は、長男さんが生まれた時作られたそうです。
部屋にいても庭にいても、彼女の話声が聞こえて来るようでした…。
これから農繁期になるから忙しくなるとご主人。どうぞお体に気を付けてお元気でいてくださいね。私も頑張ります!またお会いできる日を楽しみにしています。
帰りの瀬戸大橋。
改めて美しい橋に感動!
んん!?右の遠くに見えるのは…
鷲羽山ハイランドです。長女が9才次女が5才の夏、瀬戸大橋が出来たということで高松~松山へ旅行に行きました。瀬戸大橋を渡る前に鷲羽山ハイランドへ寄りましたが、次女は年齢と身長制限でジェットコースターに乗れず、ジェットコースター嫌いのhideさんとメリーゴーランド。階段の多い通路、よーい!ドン!と誰が早いかと登りながら笑い声が響いたあの日。そんなことを思い出しました…。
自分が学生時代過したアパート気になるものですね~
自分もGoogleで検索して見たことありますが
新しい建物と建て変わっているようです。
すんでたときのものがそのまま残っていると
懐かしさもひとしおでしょうね~
旦那様も喜ばれたでしょうね~
鷲羽山ハイランドは自分も子供の頃祖母と親戚に
行ったときつれて行った思い出があります。
橋から見えるので瀬戸大橋を通るたびに思い出します。
すごいですよね、50年も前に過ごした学生時代のアパートが残っているなんて。しかも周りはマンションやビル。奇跡の一角です。
私は学生寮だったので、どうなっているかわからないですが、独身時代過ごしたアパートは壊され、マンションが建っていますよ。
瀬戸大橋は、お互いに思い出の橋ですね。