母の日、茜からお花が届いた。大好きな花「カンパニューラ」。デッサンしたいけど、ただ今時間がなくて…。相変わらずのピンボケですけど、hideさんが写真を撮ってくれたので、そのうちきっと…。茜、ありがとう~
母の日が近づくと、hideさんのバラの季節。今年も咲き始めた
「白:野バラ」
「渋い黄色:バタースコッチ、ピンク:デインティ・ベス」
年々株も大きくなり、毎年たくさん蕾をつけ大輪の花を咲かせる。どこか品があり貴婦人のようだ。
「バタースコッチ」
今年は、一段とどのバラも元気よく、青々と茂っている。hideさんの話によると、肥料がいいのでは…ということ。なんと「コウモリ」のたい肥がいい、と聞いて変えてみたそうだ。コウモリもいい仕事をするなあ…
「オールド・ブラッシュ・チャイナ」
「カフェ」
仕事から帰ると、夕食を済ませ、バラのお手入れが始まる。水やり、虫退治、消毒…。休みの日は、朝起きて、バラ園?へ行ったり来たり行ったり来たり…。
「セシル・ブルンナー」
hideさんの、可愛い恋人達。手をかければ、”文句も言わず”にきれいに育ってくれるので、かわいいですって。ドキッ
「ラフランス」
何年か前、岐阜にある「花フェスタ公園」へ行った。たしか、東京ドーム5個?8個?分の敷地ぐらいある、広い花公園。バラの種類が世界1と言われる。確かにどこを観ても、バラ、バラ、バラ…。ここに、「ラプソディー・イン・ブルー」という、青紫色の大人っぽくて、色っぽいバラが咲いていた。バラにしては、珍しい色。早速通販で購入。今年も、ますます磨きをかけ、姿を見せた。
「
「ラプソディー・イン・ブルー」
明日から岐阜へ行く。17日は、時間の合間に、「花フェスタ公園」へ寄ってみたい、と思っていたけど、どうも天気は雨。晴れ女のパワー不足のようだ。でもでも、まだ諦めず、「神様、雨が上がりますように」
10日も前の話になるけど、5日岡山県立美術館へ行った。片岡球子展を観る為だ。数カ月前、「なんでも鑑定団」で、片岡球子の絵を初めて観た。色も背景も独創性のある、力強い絵、大胆な絵の中に、近づいてみると細かい作業が美しい。一目で大ファンになった。
3日朝、NHK日曜美術館で、片岡球子が紹介された。日曜美術館の大ファンであるhideさんと一緒に観た。やはり素晴らしい!hideさんも、とても感動したらしい。17日まで、岡山県立美術館で展示される、と聞いて、GWの渋滞を覚悟で、観にいくことにしたのだ。
思いの外、渋滞は少なく、岡山県立美術館に到着した。「やっと片岡球子さんの絵に出会える…」
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片岡 球子(かたおか たまこ、1905年(明治38年)1月5日 - 2008年(平成20年)1月16日)は昭和・平成時代に活躍した日本画家である。日本芸術院会員・文化功労者・文化勲章受章者。北海道札幌市出身。
1926年(大正15年)、女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科卒業。
卒業後は神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校に勤めながら創作を続ける。画家志望に反対する両親から勘当を受けながら画業を進めるが帝展(現・日展)に3度落選。しかし1930年(昭和5年)、第17回日本美術院展(以下「院展」)に「枇杷」で初入選> だが1933年(昭和8年)の同展に入選するもその後何回もの落選を経験、「落選の神様」と呼ばれた時期もあった。
しかしその後の1939年(昭和14年)、第26回院展に「緑陰」が入選し院友に推挙され以後は毎回入選する。1955年(昭和30年)に横浜市立大岡小学校を依願退職し、女子美術大学日本画科専任講師となる。1960年(昭和35年)に助教授、1965年(昭和40年)には教授となる。1966年(昭和41年)に愛知県立芸術大学が開校、日本画科主任教授、1973年(昭和48年)より客員教授。
型破りな構成、大胆な色使いにより一部の人々から「ゲテモノ」とも揶揄され思い悩むが、小林古径は「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ…。あなたの絵を絶対に変えてはいけない…」と励ましたという。球は「美しく描くことが全てではない」と信じ自分の信念に従った創作を続け、従来の日本画の概念を揺るがすような力強い表現を確立。「面構(つらがまえ)」・「富士山」シリーズでは特に高い評価を受ける。1982年(昭和57年)からは裸婦の「ポーズ」シリーズにも取り組む。また歌舞伎俳優・4代目中村雀右衛門と交流があり、有名な助六の揚巻の内掛けの墨絵も手がけている。
100歳を迎え脳梗塞に倒れ療養に努めながら現役を続けていたが、2008年(平成20年)1月16日21時55分に急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で死去。103歳没。叙従三位。
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思った以上に、絵は大きく、鮮やかで大胆な色調で描かれている。近くで見れば見るだけ、一見ダイナミックな絵だけれど、一つ一つが細かい。
片岡球子の作品の中で、特に富士山が目を惹く。
どうしたら、こんなに力強く 、色と形で表現できるのだろう。片岡球子は、初めて富士山をスケッチに行った時、富士山があまりにも美しく素晴らしくて、何も描けなかったそうだ。
黒い縁取り、残雪の表現、遠近感のない独特の表現、印象的だ。
富士山の前には、鮮やかな花の絵が描かれれている。これは献花だそうだ。富士山に負けないくらい、大きく、たくましい。富士山を心から愛し、感謝の気持ちが伝わって来る。
残雪部分は、雪の結晶一つ一つが描かれているかのように見える。まるで、レースのモチーフみたい。
美術館を出る時、時計を見ると2時間が過ぎていた。感動し過ぎて、hideさんと話しながら夢中になっていたら、あっという間に時間が過ぎたらしい。
帰り道、岡山県総合グランドの前を通った。最後に走ったレース「人見絹枝杯 山陽女子ロードレース」は、この会場だったなあ。大阪国際女子マラソンへの、出場記録を取得したこともあって、ほんとうに思い出深いグランド。あの日を、懐かしく思い出していた…
帰りの高速は、行きと違って車が多い。どのS.Aもいっぱいだ。hideさん大好物のソフトクリームも、すごい人で食べそこねた。ETC1000円効果は絶大!
途中東広島へ降り、久しぶりに焼き肉屋さん「あみ焼き館」へ寄った。相変わらずおきれいで、明るくてかわいらしいママと、楽しいおしゃべりをして…
今日は、いい時間を過ごすことが出来て、よかったなあ。またこんな時間を過ごしたい。
5月3日、槇原敬之…マッキーのコンサートに行った。3年ぶりのツアー、去年の9月にチケットを買って、首を長~くして待っていた。コンサートは茜も一緒、いつの間にか2人で行く恒例行事となった。そして、この度はたくさんのマッキーファンの友達も一緒。加藤さんは、マッキーのことは知らないことはない、というくらいの熱狂的なファン。年下なのに、何かにつけ、いつも頼りになる人物です
そしてそして、この度は「どうしても行きたい」というhideさんも一緒だ。
hideさんも、一応マッキーファンだ。
絵を描く時は、いつもマッキーのCDが流れている(幸せのひととき)というより、マッキーの歌でないと絵が描けない。集中するためにボリュームはガンガン。なので、泥棒が来てもわからない?
そんな中、hideさんが帰って来ると、「うるさいのう、頭が痛くならん?」と言う。「ならんよ、もっと大きくしたいくらい!」
こんなので、コンサート行けるの?…と思っていたけど…
以外にも、開演と同時に一緒になってスタンディングをして、結構のりのり
この会場には、相変わらず車椅子席がない。チケットは15列の中央と、とてもいい席だ。でも車椅子では無理なので、この度も通路の端っこから観た。人がスタンディングすると、人に隙間からかろう時で観えるくらい
せっかくなので、hideさんと茜にはチケットの席へ座ってもらい、別々で観た。でも、茜と一緒に並んで観れたhideさん、嬉しかったようだhideさんにはにぎやか過ぎたようだったけど、それなりに楽しめたようだ。
いまだに、余韻に浸っているマッキーの伝えたい音楽、しっかり受け止めましたよ~しばらく元気で頑張れそうです