花の日々

はなのひび

広島名物「穴子飯」

2006年01月22日 | Weblog
1月22日日曜日 

全国都道府県対抗広島男子駅伝、広島6位入賞。出足振りを観ていたら、優勝しそうな予感もあったけど、惜しくも6位でした。油谷選手の3区15人抜き、区間賞。力強くてかろやかな走りでした。すごいですよね、1度油谷選手に乗り移って走ってみたいです。気持いいだろうなあ



昨日、去年食べそこねた、大好物の「殻付き牡蠣」を求めて、大野町へ行きました。世界遺産の宮島の対岸です。男子駅伝のコース宮島街道になります。直売店に行くと、贈答用にならない不ぞろいの牡蠣が、安く買えるのです。12、3個で1,000円と主婦必見

昼食は「穴子飯」を食べました。とてもおいしい「上野」、というお店の穴子飯です。「上野」はJR宮島口前、男子駅伝第3中継点にあり、ガイドブック片手にいつも長蛇の列です。というわけで、いつもあきらめて食べずに帰っていましたが、お弁当ならすぐ買えるということを知り、去年、数年ぶりにやっと食べることが出来ました。お弁当といっても出来たてで、ほっかほか。お弁当箱の蓋をあけると、閉じ込められた、こうばしいいいにおいがいっきに広がる…。店内で食べるのではなく、お弁当を買って、車中で宮島、海を眺めながらの穴子飯、さらにおいしく感じます

宮島駅は明治三十年に、宮島への玄関口として開業されたそうです。それからしばらく後、駅弁当「穴子飯」誕生。穴子飯の「上野」は、創業百余年の老舗。長年引き継がれた秘伝のたれと、穴子のアラで、炊き上げられたご飯の上に、ふっくらこんがり焼かれた穴子が載せられた穴子飯は、ほんとうにおいしい。もみじ饅頭よりこちらをお薦めしたい

気になる、レトロなお弁当の包装紙。このレッテルは、創業時より大正11年にかけて使用された復刻版だそうです。包装紙をあけるときからワクワクします。



『お弁当その1』


『お弁当その2』  
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2年遅れの厄払い

2006年01月11日 | Weblog
1月11日水曜日 晴れ

今日はいつもお世話になっている、広島市安佐北区の西廻クリニックと安佐市民病院へ、2週間に1度の通院でした。11:00頃の国道温度は10℃と、3月上旬のようなあたたかい一日でした。そして、今日は47回目の私の誕生日でもあり、母方の祖母の命日でもありました。「おばあちゃん、天国ではいかがお過ごしですか?お蔭様で今年も元気で誕生日を迎えることが出来ました。ありがとうね。」

西廻クリニックで、お誕生日カードをいただきました。お誕生日に来院された患者さん限定プレゼントだそうです「笑顔いっぱいの年でありますように」と書き添えられていました。婦長さんがお手入れされているお花でいっぱいの院内。いつもいつもあたたかいお心遣い、ありがとうございます



病院から帰ると、幼なじみのきっちゃんから、プレゼントが届いていました。思いもかけぬプレゼントに大感激ありがとう。実家の斜め前のきっちゃんとは、小さいときから学校もずっと一緒で、よく遊びました。頭がよくて剣道部だったきっちゃん、今は三原市に住み、一男一女のやさしいお母さんです。4年前、何10年かぶりに再会。あの昔のままのきっちゃんでした…。友達って、いいですね。ほんとうにありがとう~



それからそれから…
夫からは、



私のお気に入りのshop「AIGLE」のベスト。「寒い冬だからあったかくしてね。」と。いつもいつもありがとう



7日、今度は梓と三篠神社へ初詣に行き、2年遅れの役払いをしていただきました。よく食べてよく寝て、とても元気なのに、小さい頃から死にかけそうな病気をしたり、ケガの多い子で、大学生になっても相変わらずで、先日も救急車で運ばれたようです。
梓は生後30日でのお参り「初参り」をしていません。私が体調を崩したこともあって、タイミングを逃しそのままでした。ずーっと気になっていたのです。


 
        

数段ある階段を宮司さんも車椅子を抱えてくださり、神殿の前まで行くことが出来ました。「……かしこみかしこみ…」懐かしい響きです。実家は商売をしていて、祖父は毎朝毎晩、神棚を拝んでいました。水まわりに行っては、水の神様、火のまわりに行っては火の神様に。仏壇も毎日拝んでいましたが、商売やの娘かな、「かしこみかしこみ」と手を合わせていた祖父の姿と声が懐かしい。

宮司さんはとても笑顔のいい、明るくて気さくな方です。こちらまで笑顔になって、いいことが起きるような予感がしてきます。精進料理は野菜中心だけど、おいしく食べてもらいたい、と愛情を込めて作ると、お肉やお魚に負けないくらいおいしい料理が出きる。何事も愛情、プラス思考、感謝でがんばりましょうと言われました。
私達だけの飛び込みの厄払いに、気持ちよくお受けしてくださいまして、ほんとうにありがとうございました。

梓の大学生活も後1年。楽しい思い出がで来ますように…。        
















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今日が無事終わり…

2006年01月04日 | Weblog
1月4日水曜日 

「ただいま~。」



        

無事に帰ってきました。  

今日は事故に会ってからちょうど12年。夕方の7時前でした。毎年、この日のこの時間、夫、茜、梓、どうぞ事故に会わないで…と、思わず祈ってしまいます。7時過ぎ、倉敷から梓が、夫と待ち合わせて一緒に帰ってきました。8時半頃、電話で茜の声を聞いて、ホッとしました

夫と梓は、アストラムで帰って来たのですが、梓と2人きりで電車とか公共の乗り物に乗ったのは初めてで、2人ともとても新鮮に写ったようです。茜といい梓といい、ほんとうに仲のよい親父と娘です。「アストラムの中で、梓とずっとしゃべっとった。」と嬉しそうな夫「仕事帰りのアストラムで、父さん、よく寝てしまって、乗り過ごすんだってね。」と楽しそうな梓

茜は小さい頃、「パパ、パパ」とよく話していたのですが、梓は今から想像がつかないくらい,無口だったのです。3歳のとき、夫と梓と2人だけで、東広島へ車で出かけことがありました。助手席の梓は、話しかけても正面を向いたまま、ひとっこともしゃべらなかったそうです。「すごい緊張した。」と夫から聞かされ大笑い。あの頃から、頑固振り発揮

昨日、茜と一緒に初詣に行きました。今年も西区横川駅の北側にある三篠神社です。55年前は夫、25年前茜と、親子2代で初参りでお世話になった神社です。


『55歳になりました』
  
        
        『寒くってえ…』

お賽銭箱がある階段の下でお参りをしていたら、宮司さんが降りてきてくださり、御払いをして下さいました。去年お世話になったお守りと破魔矢を神社へ返し、今年も買って帰りました。おみくじは、末吉。運気はじょじょによくなるそうですよ。焦らず、少しずつ頑張りたいと思います。

  
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あけましておめでとうございます

2006年01月01日 | Weblog
2006年1月1日日曜日 



天気予報通り、晴天!でも寝過ごして、初日の出は拝めませんでした。
昨夜、映画を観に行って、帰りの車の中で新年を迎えました。家に着いたのは0時30分。寒空の中、星がたくさん輝いていましたあたたかく新年を迎え入れるかのように…。なんだか今年は、いい年になりそうな予感

「男達の大和」観ました。今だ感動覚めやみません。
去年、大和ミュージアムヘ行って、大変感動し、戦艦大和に興味を持ちました。大和ミュージアムで広島頸損ネットワークの懇親会があったのです。関心があまりなかったので、交流会がなかったら、わざわざ行くことはなかったでしょう。

家族、仲間、愛する人、命の大切さ、なんでもない日常の尊さ、戦争の残酷さを、迫真な演技の中に感じさせられました。
戦艦大和の飛行機を撃ち落とす機関砲って、囲いもなんにもないところで、撃つのですね。驚きました。爆弾がどんどん落ちる中、次から次から弾を撃ちつづける。まるで3000人もの隊員が乗った、巨大な人間魚雷です。すごい気力、責任感、恐怖感なんて感じさせられない。目の前で、撃たれ倒れる隊員達の救護活動。「あきらめない」「生きる」というすごい気迫。任務と大切な仲間とはいえ、実際私だったら出来るのだろうか、と思いました。

最後の別れになるとき、母がが作ったぼた餅を「しっかり食べて。」と言われ、涙ながらに食べる息子、「死んではいけない」と息子を抱きしめる母親。好きな人、家族との別れ…。胸が引き裂かれる思いでしたが、強い絆も感じました。夫と娘達の顔が浮かんできました。

そして、戦艦大和の生き残った方々の、想像以上の苦しみに胸が痛みました。大和ミュージアムで、「へえ~、生き残った人がいるんだあ。すごいなあ。」としか思えなかった自分にも、涙が止まりませんでした。

ほんとうに最初から最後まで、感動させられた「男たちの大和」でした。今の自分の悩みは、本当にちっぽけなものです。平和のありがたさと家族、愛するすべてのものを大切にしたいと思います。人のお役に立てれる人でいたいと思います。

去年は銀婚式に始まり、待望の上高地旅行、夫は55歳を迎え定年…と,体調不良で悶々とする中、Happyな出来事が過ぎ去りました。その1年の締めに、「男たちの大和」を観て、新年を迎えることが出来、どこか引き締まった思いです。2006年、新たな気持ちで頑張りたいと思います。
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