まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

いずれも美しく

2007年08月30日 20時38分20秒 | 箸が転んでも
クイズ・ミリオネアに出演した及川光博を見て父が

「いい男だな」。

(珍しいね、そんなこと言うの)

「これは、『風林火山』に出てる奴か?」

それはガクト。

説明しても「違うのか?」としつこい。

テイストが違うと思うんだが、古希の父には難しかったか。
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軽く味わえ

2007年08月29日 21時58分15秒 | ごちそうさま
何かの会合でもらったらしいスナック菓子の詰め合わせが家にある。

駄菓子屋さんにも置かれているような一袋50円くらいのサイズ。

駄菓子とスナック菓子の違いはよくわからないけれど

麩菓子とかきな粉棒といったばら売りされている懐かし系は駄菓子で

ポテトチップスとかカールみたいな、袋に入った揚げ物系はスナック菓子と

わたしの中では分類されている。

子供の頃は、どちらもよく食べた。

学校帰りの買い食いはいけないのに、学校のすぐ前の駄菓子屋さんに出入りした。

スナック菓子は、食べ過ぎて夕食が入らなくなるのでよく怒られた。

しかし、ある程度の年齢になると「スナック菓子は身体に悪い」と伝え聞き

健康大好きのわたしは、ほとんど食べなくなった。

カップラーメンも同じ時期にやめている。

しかし、いくら健康のためとはいえ好きな物はやめられないだろうから

元々、そんなに好きではなかったのかとも思う。

あるいは成長に伴い、他に好きな食べ物ができたか。

大人になってから「たまには身体に悪い物も食べないと」と

わけの分からない理由でカップラーメンを解禁した。

一年に三度くらい食べる。

無性にあの、身体に悪そうな味が食べたくなる。

しかし他のときは、我慢ではなく一切食べたくないのだ。

同じ理由で、たまにスナック菓子も食べる。

さっき、「サッポロポテトバーべQ味」にしようか

「うまい棒」にしようか見ていたら、そそられるネーミングの物があり

その名も「キャベツ太郎」。

親指大ほどの、丸くてスカスカした食感。

原材料のどこにもキャベツは書かれていない。

パッケージには警察官の格好をした蛙。

なにがキャベツか考えたが、お好み焼き風味だということ以外考えられない。

それだけの理由で「キャベツ太郎」か。

太郎の意味もわからないし、パッケージの蛙も正体不明だし

謎を残すのも戦略だろうか。

なんて、考えすぎね。
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コピーで萌える

2007年08月26日 20時43分40秒 | 箸が転んでも
「フェチ」という言葉が世間に浸透してどれくらい経つのだろう。

元はたぶん、キワモノとして扱われていたのだろうが、今は結構市民権を得ている。

女の子同士でも気軽に「なにフェチ?」などと話し、

自分は男子の背中が好きだとか、二の腕に魅かれるとか、

はたまた手の血管などというマニアまで。

性器から離れるほどフェチ度が高いのだと聞いたことがあるが、

わたしはその世界に疎いので、正確ではないかもしれない。

新聞に、女子高生の上履きを盗んで捕まった男のニュースが載っていた。

女子高生の靴の匂いを嗅ぎたかったという。

この、足元関係は結構フェチが多い。

以前には靴の左だけというもっとフェチ度の高い男が逮捕されている。

もっとすごいのは、下駄箱の前で恍惚としていたという男。

もはや女性の足でも靴でもなく、対象は下駄箱である。

下駄箱で興奮しても罪ではないが、旅館に忍び込んだので捕まった。

こういうフェチに比べれば今回の上履き男なんてまだまだ甘いわね・・・と

記事を読み進めたが、最後の記述で一気に逆転した。

「盗んだ上履きは捨てたが、特に汚れのひどいものはカラーコピーして

時どき見て楽しんでいた」。
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危険なマフィン

2007年08月25日 09時46分51秒 | 箸が転んでも
買い物から帰ってきた母が言った。

「パン買ってきたよ」

ふーん、なにパン?

「いろいろ。カレーパンとか」

袋からひとつ取り出し

「ほら、食べなさい。マフィア美味しそう」
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天女

2007年08月24日 16時07分55秒 | きれいになりたい?
モデルの山口小夜子さんの訃報は、少なからずわたしを驚かせた。

「生きていくことは知人の死を見送ること」という言葉がある。

もちろん、個人的に小夜子さんを知っているわけではない。

しかし彼女に限らず一世を風靡した有名人の死は

ひとつの時代が去ったようでさびしい。

どの時代が終わったとはっきり言えるわけではないが

とっくに過ぎ去った少女時代かもしれない。

わたしと同世代で小夜子さんを知らない女性は少ないだろう。

「ジャパニーズビューティー」「アジアンビューティー」と評されるけれど

神秘的なまなざしと美しい黒髪は日本人だからというよりも

彼女にしかない魅力だったと思う。

「目力」というものが騒がれて久しいが

アイラインやアイシャドウで目を囲み、

マスカラを塗り重ねて目を大きく見せる目力とは対極の目力を

小夜子さんは持っていた。

大きさよりも切れ長を際立たせる化粧、伏し目がちであったり

視線を微妙にずらして、こちらを見据えないまなざしの強さと美しさ。

全身で人を惹き付ける表現者であったからこそ

モデル以外の分野でも、長く活躍し続けていたのだろう。

彼女のような表現者ならともかく、ごく普通の女性が

個性とか自分らしい美しさを確立するのは難しい。

ともすれば、テレビで活躍するタレントや雑誌を飾るモデルの真似をしがちだ。

街を歩けばいくらでも「XXに似た化粧」をした女の子を見ることができる。

そのことを全面否定する気はない。

ただ、いつか真似から脱却しなければ

みんな同じ、のっぺらぼうになってしまうと思うのだが。

みんな同じことに安心を覚えるのは不気味なことではないのだろうか。

そんなことを考えながら追悼記事に目を落とすと

写真の小夜子さんは、どこか遠くを見つめていた。
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