広々とした庭を持つ一軒家を見ると、犬小屋を探してしまう。
飼っていないのがわかると、もったいないなーと思う。
もちろん犬好きばかりとは限らないので、飼わないのは勝手であるが
住宅事情で飼いたくても飼えない身からは羨ましくもあり、もったいなくもある。
犬は好きだが飼わない人の意見は大きくふたつだ。
①死んだら悲しい。
②世話が大変。
これまで何匹もの犬を見送ってきたわたしにすれば、
死なれるのが悲しいことであるのは間違いない。
しかし、それよりも一緒に過ごした日々の素晴らしさのほうが勝る。
うちはわりと長生きの犬が多く、15歳を越えたあたりから
少しずつ老いて弱ってくるのが分かるので
ある程度は覚悟が出来ている。
死因は老衰がほとんどだから、悲しさもあるけれど
今までありがとう、という感謝の気持ちで送れるのである。
世話も確かに大変かもしれないが、生まれたときから犬と暮らすわたしには
犬の散歩も世話もDNAに組み込まれているようなもので
毎日当たり前にすることであるから、さほど苦労には思えない。
ただひとつ、わたしが犬を飼う上で大変と思うのは
家を留守にするときが心配、ということである。
もちろん、一家全員で泊りがけなんて出来ないが
朝早く出かけて夜が遅くなるときなど
水の入れ物をひっくり返していないかとか
変な人が来ていたずらされていないかとか
首輪が外れてしまっていないかとか
正直、仕事中もずっと心配している。
もっともこの手の心配は、猫でも一緒だけれど。
犬を見送った途端に猫がやってきて3年。
わたしの人生には、動物と暮らす喜びと心配が組み込まれているのだろう。
飼っていないのがわかると、もったいないなーと思う。
もちろん犬好きばかりとは限らないので、飼わないのは勝手であるが
住宅事情で飼いたくても飼えない身からは羨ましくもあり、もったいなくもある。
犬は好きだが飼わない人の意見は大きくふたつだ。
①死んだら悲しい。
②世話が大変。
これまで何匹もの犬を見送ってきたわたしにすれば、
死なれるのが悲しいことであるのは間違いない。
しかし、それよりも一緒に過ごした日々の素晴らしさのほうが勝る。
うちはわりと長生きの犬が多く、15歳を越えたあたりから
少しずつ老いて弱ってくるのが分かるので
ある程度は覚悟が出来ている。
死因は老衰がほとんどだから、悲しさもあるけれど
今までありがとう、という感謝の気持ちで送れるのである。
世話も確かに大変かもしれないが、生まれたときから犬と暮らすわたしには
犬の散歩も世話もDNAに組み込まれているようなもので
毎日当たり前にすることであるから、さほど苦労には思えない。
ただひとつ、わたしが犬を飼う上で大変と思うのは
家を留守にするときが心配、ということである。
もちろん、一家全員で泊りがけなんて出来ないが
朝早く出かけて夜が遅くなるときなど
水の入れ物をひっくり返していないかとか
変な人が来ていたずらされていないかとか
首輪が外れてしまっていないかとか
正直、仕事中もずっと心配している。
もっともこの手の心配は、猫でも一緒だけれど。
犬を見送った途端に猫がやってきて3年。
わたしの人生には、動物と暮らす喜びと心配が組み込まれているのだろう。