まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

ころりん

2012年09月28日 23時52分21秒 | 日々雑感
他人の握ったおにぎりが食べられない(食べたくない)人の話をネットの何かで見た。

この「ネットの何かで見た」ってこと結構多いけど、必要もない情報をしょっちゅうネットから得ているわけだ。

それはともかくとして、わたしの母がやはり人の作ったおにぎりは食べたくないと言ったことがあり

母は、潔癖とか衛生観念とかからほど遠い人なのだけど。

他人の握ったおにぎりがダメな人は「生理的に嫌」だというひとが多い。

この「生理的に嫌」という言葉は便利である。

なぜ嫌かとか何の言い訳も考えずに、何かを蛇蝎のごとく嫌えるのだ。

蛇蝎のごとく嫌うと言うけれど、わたしは蛇も蠍も嫌いではない。

虫が嫌いだという人のほとんどは生理的に受け付けないと言うだろう。

何がと説明は出来ないが、気持ち悪いと。

だから、夜中にゴキブリが出てパトカー呼んでしまう人もいるわけだし。

しかし「生理的に嫌」は理由を放棄しているだけに、思い込みでどんどんひどくもなるし

克服できる可能性もある。

この前、風呂の掃除をしていたら何か黒いものが外から飛んできて胸に止まった。

一瞬驚いたが、「なんだゴキブリか」で終わり。

嫌いな人なら気絶という感じだが

わたしにしてみれば、正体がわかるものは怖くないのだ。

ナメクジも手づかみできるし。

しかし、こんなに虫が平気なわたしでも実は苦手な虫がいたのだ。

かまどうま。

トイレにいることが多いので別名「便所コウロギ」。

コウロギをもっと薄くしたような色に、バッタのような手足。

そしてなぜか予測不可能な跳躍をする。

子供の頃、この虫が嫌で嫌で仕方なかった。

とにかく気持ち悪かった。

何というか、虫なのにむちむちした感じが。

いや、むちむちしてるならアゲハの幼虫だって同じだ。

しかし、青虫はなんでもない。

なぜかかまどうまだけが苦手だったのだが。

大人になって気づいたら、平気になっていた。

逆の人は多い。

子供の頃は平気だったのに、大人になって虫が苦手になった人。

昔はて手づかみできたのに、虫から遠ざかっているうちにダメになってしまったパターン。

どういうわけか、いつの間にかかまどうまが平気になった。

よく見たら、普通の虫じゃないか。

話が長くなったが「あの人、生理的に嫌」などというが、そこにはちゃんと

見た目がとか服装がとか性格がとか理由があるはずなのだ。

で、おにぎりはと言えば「汚い気がする」というのが最大の理由だろう。

知人の男性に「母親の作った料理以外食べられない」という人がいて

30過ぎてそんなこと口に出せるってすごいなと思ったが、外食は平気なのである。

見ず知らずの人が見えないところで作った料理は平気で、

友達のお母さんとか、知ってる人の作った料理はダメってどういうことなんだろう。

外食を作った人が、トイレに行っても手を洗わない無精なアルバイトだったりするかもしれないのに。

まあ、そんなこと考え始めたら外のものは何も食べられなくなるけれど。

わたしは、猫の背中に落ちたシュークリームも食べちゃうような衛生観念の持ち主だから。

まあ、自分が正しいとか平均とかは全く思っていない。

ただ「本当に汚い」のと「汚い気がする」のは違う。

世の中、衛生的には何の問題もないのに、汚い気がするというイメージが先走っているような気がする。

コンビニのおにぎりなら平気という人は、製造過程でなにか混ざるとか

お店におにぎり並べた人がすごいくしゃみしたとかは考えないんだな。

他人の握ったおにぎりが汚いと思うくらいなら、それくらい神経質でも不思議じゃないのに。

決して責めているわけじゃないのだ。

ただ、それが正しいと思って口にして欲しくない。

衛生観念は人それぞれだ。

毎日掃除をしなければストレスがたまる人もいれば、毎日掃除をすることがストレスな人もいる。

掃除はするに越したことはないが、だからといってしない人のことを不潔だとか決めつけられないだろう。

病気にならない程度に清潔にしてればいいんじゃない?

適当な方が耐性が付くかもしれない。

と、思うようになったのはここ数年で昔は「こうじゃなければいけない」という基準があり

ハンカチを持ってこない同僚を白い目で見たりしていたが、今は好き好きじゃん?と思っている。

シーツも毎日替えなきゃとか頑張っていたが、替えなくてもどうってことないと気づいてからは適当になってしまった。

もしかして堕落か?

「おむすびころりん」って、落としたおにぎりをおじいさんがどこまでも追っていくけれど

子供の頃は、えー、落ちたものは食べられないのに・・・と思ってた。

昔はきっと落としたおにぎりも食べたんだろうな。

土をほろって。

だってお米は貴重だ。

他人の握ったおにぎりは食べられないなんていうのは、飽食の幸せの象徴かな。








スプラッタ

2012年09月28日 00時03分23秒 | 箸が転んでも
職場で若い娘と探し物をしていると、上司が「そんなに血眼で探さなくてもいいよ」と言った。

悪気はないのだろうが、なんだかむっとして、別に血眼では探していませんと言い返す。

その後、若い娘になんでああいう言い方なのかなーと愚痴ると

「ちなまこってなんですか?」

なんだって。

「なまこはわかるんですよ、なんとなく。こういう変な生き物でしょ?」

なんだって。

「それが血だらけになってるんですか?」

なんだ、その怖い話は。

それ冗談で言ってるの。

本気か。

娘の名誉のために言うならば、たまに分からない日本語があるけれど、とても賢い娘です。

季節限定

2012年09月25日 22時08分12秒 | 日々雑感
久しぶりにスカートをはいて出かけた。

以前、同僚男性と話していて「一年のうち99.8%くらいはジーンズだ」と言うと

ものすごくがっかりした顔をされた。

なぜだ、とそのときは思ったが、その後のリサーチで(大げさ)

たいていの男はパンツスタイルよりスカートが好きらしいということが判明した。

まあ、わたしのスカート姿とモデルのスキニージーンズのどちらを取るかと言えば、

それはジーンズなんだろうけど。

同じ条件の女性だったら、スカートやワンピースのほうが点数高いらしい。

わたしがスカートをはかない理由はみっつ。

①寒い

②O脚

③合わせる靴がない

真冬にスカートなんてはいている人を見ると、我慢強いのか寒さに強いのかどちらだろうと思ってしまう。

太くても形の良い足ならともかく、子供の頃から足の形が悪い。

ジーンズならスニーカーを合わせればいいが、スカートだったらそうもいかないだろう。

ヒールの靴が履けないので、いつもぺたんこのバレーシューズでごまかしてるけどワンパターン。

そんなわけで、スカートは年間2度くらいしかはかないのだが、最近通販でうっかりスカートを買ったので

今はかなければ、いつはく!という勢いではいているのだが

それがまた、ちょっと若作りな恰好なのだ。

大体わたしは若作りが好きで、わたしに限らず、今はみんな年齢より若い恰好をしたがる人多いけど。

しかしこれには理由があるのだ。

大体、「若い子」向けの服は可愛いものが多い。

これが「ミセス」とか「大人」とかなった途端にオバサンぽくなるのだ。

オバサンなんだから、と言われればそうかもねーとしかいいようがないが

だって気持ちは若いのだ。

いきなり変な柄物とか着たくない。

デザインも妙にゆったりして、年取ったら太ると思ったら大間違いだ。

今、20~30代向けという洋服を40代で着ている人はかなりいるはずだ。

本当に洒落た大人服ってべらぼうに高いし。

結局リーズナブルにそこそこ趣味に合うもの着ようと思ったら若作りになってしまうのだ。

それで今日は、デパートでコンサバとロマンティックの中間みたいな店でジャケットを見ていた。

鏡の前で袖を通すと若い店員さんが寄ってきた。

「可愛いですよね」

丈が短めで、仕事向けというよりは遊び向けのジャケット。

ちょっと甘めのデザインのものもあり、そちらも試着してみる。

背中にフリルというかフレアというかタックというか(一応アパレルで仕事をしているのにこんな説明しかできないわたし)

甘めだけど、下に合わせるもの次第では着られるかも・・・

「こちらはスカートもあるんですよ」

セットアップなのか。

スカートも可愛い。

ふーん、買ってもいいかなー。

どちらも単品で使えそうだし。

「七五三でお召しになる方もいらっしゃるんですよ」

一気にわたしの気持ちは萎える。

七五三ね。

子供いないのに。

別に、子供もいないくらい若く見られたかったとかそういうことじゃないが

わたしくらいの年だったら、子供がいて当たり前という発想が販売員として貧弱じゃないか。

もしかしたらわたしが、ちょっとわたしには若すぎるデザインかしら、と心配しているとでも思ったのだろうか。

だから、ミセスの方が着てもおかしくないんですよ、ということをさりげなく言ったつもりなのだろうか。

残念でした。

わたしにそんな謙虚さはないのだ。

世間から後ろ指刺されたって着たい服は着るんである。

他人に「イタイ」と思われても、自分が似合うと思えば着ちゃうんだもんね。

全く失礼な販売員だよ。

わたしにはちょっと可愛らし過ぎる?と聞いてもいないのに。

なんて。

彼女はただ、七五三にも着られるくらおしゃれ着になるとアピールしたかっただけかもしれない。

ちょっとしたことにひがみっぽくなるのはよくない。

大体、わたしの同級生には中高生とか成人した子供がいるのである。

七五三の子供がいる、と思ってもらえたのなら喜ぶべき?

全然嬉しくないけど!


全て同じということも全て違うということもない

2012年09月21日 22時07分35秒 | 日々雑感
映画でもドラマでもバラエティでも「赤裸々な女性の本音」のようなものを宣伝文句にされるとげんなりする。

同性ならではの悩みに女性の共感を得られること間違いなし、とか。

女同士なら分かり合える、という乱暴な幻想も嫌だし共感できたから好感を持つとは限らないじゃないか。

共感=同族嫌悪ということだってある。

大体、他人が自分と同じ悩みを持っていると知ったことで軽減される悩みなんて

ほとんどの場合、大した悩みじゃないだろう。

もちろん、大した悩みかどうかは人それぞれだし、大したことじゃなければ悩んじゃいけないというつもりはない。

わたしも日々、こんなことで悩むのはくだらない、ということをぐじぐじ思い悩んでいる。

しかし、だからこそ、そのくだらなさに他人の共感を得たいとは思わないし

みんな同じことで悩んでいるというような安心感を得たいとも思わない。

しかしまた、こういう女性ならではの赤裸々な本音、のようなものに

共感を覚えて喜ぶ人がいることも事実なので、それはその人の勝手だからわたしがどうこう言うことはできないだろう。

嫌なのは、人と同じことを喜ぶ人の中に、排他的な人が多いことだ。

ちょっと違う意見を言うと、警戒して異端視する。

違う意見=敵意と受け取る。

正しいとか正しくないではなく、こういう考えもあるという議論の余地がない。

「みんな同じ」みたいなもので喜んでばかりいると、違う意見に聞く耳を持てなくなることがある。

知人に、子供のいない夫婦に向かってすぐ「まだ作らないの?」とか「まだできないの?」と聞いてしまう人がいる。

親しい間柄でもデリケートな質問だと思うのだが、そんなに親しくない人にも聞いてしまう。

メディアでは随分と不妊で悩む人のこと、不妊治療の大変さが取り上げられているのに

こういう人は、そういうものを見聞きする機会はないのだろうか。

それとも自分には簡単に子供ができたから、子供ができないなんてことはないと思っているのだろうか。

結婚すれば子供ができるのが当たり前だとか、作るのが当たり前だとかいう考えが

欲しくてもできない夫婦を一層つらくさせるということが分からないのだろうか。

或いは、不妊で悩む人がいることも分かった上で、好奇心と興味本位と優越感から

「まだできないの?」と聞いているのではないかとさえ疑ってしまう。

不妊治療している人の中にも

「特に子供好きというわけではなかったが、他の人に簡単にできたことが自分に出来ないことがショック」という声があり

それは確かにつらいだろうけれど、それで不妊治療に励むのでは目的を見失ってしまうだろう。

子供が欲しいのか、他の人と同じことがしたいのか。

わたしは子供が欲しいと思ってきたが、年齢的にもう無理だろう。

伴侶もなく、安定した収入もない。

外国の女優のように、体外受精を受けて一人で子供を産むという選択肢もあったのだろうが

そこまでの強い決心も欲望もなかった。

結婚はしたくないと思って生きてきたけれど、子供は欲しかった。

しかし、もうどうにもならないことである。

子供の頃から周りの人に出来ることができなかったわたしにとって

周りの人の得ている物が自分に得られないことは、よくあることだ。

みんな違ってみんないい、とかオンリーワン的な考えもまた好きではないのだが

人って、そんな大した生き物じゃないだろうと思うのだ。

周りと違うからって大げさに悩むこともないし、共感できることに過剰に喜ぶこともない。

同じ角が生えてる!ってカブトムシが喜ばないのと一緒だ。

・・・何のことかわからなくなってきた。

どこにいるの?

2012年09月01日 20時59分13秒 | 日々雑感
折り込みチラシをつらつらと眺めていると、敬老の日という文字とイラストが目に入った。

またいた!

そこにはおじいさんとおばあさんのイラストがあったのだが、おじいさんはまだいい。

眼鏡をかけて口ひげをはやし、頭のてっぺんははげているが脇にはふさふさと毛が残っている。

問題はおばあさんだ。

おだんご頭。

こんなおばあさん、今時いるか?

とにかく、おばあさんの絵というとかなりの確率でおだんご頭なのだ。

ひどいときにはおだんご頭に丸眼鏡をかけ、着物を着ている。

何時代のおばあさんだ。

「おばあさん」という記号なのは分かるけど、もうちょっと工夫したらどうだ。

おだんご頭じゃなければおばあさんに見えないようなおばあさんしか描けないのか?

あと、これは結構いろいろな人が言っていることだけど

今時「~じゃ」というおじいさんも、そうそういないよね。

しかし童話でも新聞でも、おじいさんと孫の会話と言う形式だと

ほとんど「~じゃ」が使われている。

これもおじいさんの記号なんだろうけど。

侍は「拙者+ござる」で姫は「わらわ」、お金持ちの奥さまは「そうざます」。

本当にそうか。

大体、いくつの人を想定してのおだんご頭と「~じゃ」なんだろう。

今の70歳だったら携帯持ってメールもやってる。

一体、どこに行けばおだんご頭のおばあさんを見られるのだろう。

と言いつつわたしは、記号としてのおだんご頭を見るたびに喜んでいるのだ。

意地悪か。